Dr. WAKASAGI at HEI-RIVER(閉伊川ワカサギ博士)

森川海をつなぐ学び合いの活動を紹介します

新しい里海の町・志摩「稼げる!学べる!遊べる!」

2012-05-31 | 里海探偵団


三重県志摩市では,我が国初の新しい取り組み「里海基本計画」がスタートしました。里海とは,人間と海とが共存しながら持続的に利用できる海を指します。

ただし,ここでいう海とは,私たちが関わる水圏環境のことを指します。沿岸域の海だけでなく,源流の山から下流域の河口域までを含んでいます。なぜかといえば,沿岸域の自然環境は陸域の自然環境(人間活動ももちろん含む)とも密接な関わりを持っているからです。

三重県志摩市は真珠産地であり,観光リゾートの町としても誰でも知られる名所でした。しかし,近年は水質が悪化するとともに漁業生産も落ち込み,これといった産業もなく,過疎化が進行しています。

そこで,志摩市では一元的であった海の利用を,地域住民やステークホルダー等様々なセクターが積極的に関わって持続的に活用できる環境にしよう,と「里海」作りを始めたのです。そして,地域住民らによる基本計画策定会議を開催し,里海基本計画を策定するにいたったのです。

里海基本計画は「稼げる里海」「学べる里海」「遊べる里海」の3つを目標として掲げ,市役所内に「里海推進室」を設置しこの4月からスタートしました。
最終的な成果は今は形として見えにくいものですが,里海づくりが順調に進めば,環境が改善され,水産資源が回復するだけでなく,観光資源,教育資源など新しい価値が生まれてくると思われます。

このような取り組みが今後ほかの地域でも採用され,島国である日本の地方の沿岸域が元気になることを願っています。


1月16日(月)のつぶやき→「うつ(空)とうつつ(現)」

2012-01-17 | 里海探偵団
08:38 from gooBlog production
うつ(空)とうつつ(現) goo.gl/p0dsF

09:45 from Tweet Button
②国連大学のスリカーンタ・ヘーラト学術部長 日本を創る - 47NEWS 47news.jp/47topics/tsuku…二度と繰り返さないためにも「津波は逃がす構造を」

09:47 from Tweet Button
県が4河川に水門新設 5年で完成目指す iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnew…ただ作るだけでなく、ぜひ、スリランカの例を見習ってほしいものだ。

18:08 from gooBlog production
全米科学基準にいよいよ海洋科学が盛り込まれます blog.goo.ne.jp/hypom/e/fed90c…

by Hypomesus2 on Twitter

全米科学基準にいよいよ海洋科学が盛り込まれます

2012-01-16 | 里海探偵団
アメリカの海洋教育者が長い間,必要性を訴えていた「海洋科学」がついに,全米科学基準に盛り込まれることとなった。

現在,関係者にパブリックコメントを求めている。現在,オーシャンリテラシーネットワークのメンバーに対しコメントが求められている。

ぜひ,コメントを送っていただきたい。

2011年回顧と展望 歴史的危機と民主主義(増田寛也氏寄稿文47NEWS転載)

2011-12-30 | 里海探偵団
47News寄稿文【激動の年に地方自治を再考する】新年は自助と共助の再構築で地域の自治力をより高めなければ-増田寛也・野村総合研究所顧問 2011年回顧と展望 歴史的危機と民主主義を掲載します(47News http://www.47news.jp/47topics/e/224088.php)


 2011年という年は永遠に歴史に刻まれる年となるであろう。文字通り、まさに激動の一年であった。1000年に一度の規模といわれる東日本大震災による壊滅的被害と原発の事故。人類が作り出した原子力という科学技術を人類がコントロールできないという事実が発生し、あろうことか大量の放射能が空中に飛散した。さらに、電力喪失と深刻な風評被害によって東北のみならず、日本全体が被災地となってしまった。福島の状況は今日現在も日々悪化していると言って過言ではなく、住み慣れた土地から追い立てられた人々の無念さは想像に余りある。人間が自然を制御することは不可能であるという事実の前で、人々は茫然と立ちすくみ、悲しげな風景が広がっている。こうした中で震災直後に被災地東北の人々が見せたお互いに助け合う規律ある姿に全世界の称賛が集まり、日本中に「絆」や「つながり」という言葉が溢れた。

■2011年の地方自治について語る増田寛也氏

 一方海外に目を転ずると、春先のチュニジアのジャスミン革命、エジプトの民衆蜂起によるムバラク体制の打倒に始まった一連の「アラブの春」の流れは、秋にはリビアのカダフィ政権を崩壊させるに至った。そして年末に飛び込んできた隣国北朝鮮の独裁者金正日の突然の死亡のニュース。1990年前後に東欧を中心として多くの独裁国家が崩壊したが、それ以来の大きな変革といってよいだろう。しかし、独裁者亡き後の後継体制作りは苦難の連続であることは民族の血が多く流れたユーゴ内戦を見るまでもなく、数々の歴史が物語っている。

 問題は辿りつくべき先の民主主義国家体制に深刻な亀裂が生じていることである。民主主義の壮大な実験として誕生したEUはギリシャ発の国家債務危機でユーロ圏崩壊の瀬戸際にある。富める独仏と苦境にあるギリシャ、イタリア、スペインなどに二分化しつつあり、自由な市場から保護主義的傾向を強めている。新興国が台頭し、各国が自分の利益追求に走り始めると、欧州分裂も現実味を帯びてくる。

 ▼政治の劣化と英雄待望論

 自由を求める近代主義は、価値観の多様化を生み出すが、ここまで経済財政が不調になると、社会に閉塞感が充満する。政治が有効な政策を打出せば、解決に向かうが、国民の多様な意見の中でEU内各国民皆を満足させる解決策を見出すのは苦難の業だ。往々にして政治が立止まり、困難な政策決定を先送りし続ける。ここに民主主義国家の限界があり、油断すればナチスの例の如く大衆民主主義(ポピュリズム)から独裁性に逆戻りしかねない。

 東日本大震災とEUの危機は一見無関係に見える。しかし、「災後日本」の姿を見ると何事も決断できない政治の劣化に対する日本国民の失望感が英雄待望論に結びつく危うさを感じる。両者に共通するのは金融資本が国境を越えて瞬時に動くボーダーレス経済の中で、伝統的な資本主義が金融資本主義に変質し、国家の価値観や安定的な経済社会システムが崩れた後に、次に目指すべき健全な国家目標を提示し得ない無力な政治と危うい民主主義の姿である。

 こうした見方を日本で裏付けるのはいわゆる「橋下現象」の出現であろう。鋭い政治センスと扇動政治家(デマゴーグ)的要素を身に秘めた橋下徹氏の大阪府知事から大阪市長への華麗なる転身は2011年の国内政治を飾る最大のイベントだったと言ってよい。菅直人前首相から野田佳彦首相への首相交代も橋下フィーバーの前では霞むほどであった。ここではこうした地方政治の動きについて述べておきたい。

 ▼地域政党への期待、首長新党への疑問

 2011年は4年に1度の統一地方選挙の実施年であった。東日本大震災で被災地の選挙は秋に延期されたが、それ以外は予定通り4月に行われた。ここでの話題は地域政党、なかんずく「大阪維新の会」や河村たかし名古屋市長率いる「減税日本」などの首長新党である。首長新党の確たる定義はないが、一言でいえば、人気の高い自治体首長が率いる地域政党である。これまで地域政党はわが国ではなじみが薄い。国政では沖縄の社会大衆党が長い歴史を有するが、苦戦を強いられている。

 現在の地方議会は民主党や自民党など既成政党の地方組織に所属する議員が中心となって会派を構成しているが、既成政党は中央集権的体質が色濃くしみ付いており、民意をすくいきれていない。地域主権や地方分権を唱えながら、実際の政策は中央から降ってくるものがほとんどで有権者は魅力を感じていないし、その活動をふがいなく思っている。そこに、地域政党の伸長の可能性がある。

 私も地域政党には期待を寄せる1人である。分権改革が進めば、当然のことながら地方政治に占める地域政党の比重はしだいに大きくなり、すべてが地域政党によって構成される議会があってもおかしくないと考えている。むしろ、そのようなレベルまで地方の政治力を高める必要があるとも思っている。

 しかし、それにしても首長新党となると首をかしげざるを得ない。首長新党の主張は単純明快で一見わかりやすい。名古屋市民の市民税減額の是非。大阪の府と市の司令塔の一本化の是非。高い支持率を誇る首長の主張を丸写しして、白か黒か、○か×かを有権者に迫るやり方には、ポピュリズムや大衆迎合、大衆扇動の影が見てとれる。

 こうした首長新党が議会の過半数を占めることになれば、果たして議会は、自分達の親分が率いる執行部に対しての監視機関の役割を全うすることができるだろうか。今まで以上に、首長の単なる追認機関と成り下がってしまうのではなかろうか。首長と議会の対立を議論と説得を駆使して合意に至らしめる、いわゆる「熟議」の必要性は中央における国会だけの話ではない。国政、地方政治を通して議会制民主主義が追求すべき理想像である。

 人気の高い「自称」改革断行首長が、行く手を邪魔する「抵抗勢力」たる議会を制圧する狙いと、首長の人気で当選を果たしたい候補者の一致点としての首長新党に地域の将来を委ねるのは甚だ危険であることを十分理解しておく必要がある。選挙で候補者がつくった「借り」はそれだけ重いということでもある。

 最近の「キャラが立つ」「とんがった」首長に対しての期待感は、中央政界における政治家のふがいなさと裏腹で、一種の英雄待望論となっているようである。しかし、そこに落とし穴はないだろうか。

 ▼内容見えない「都構想」

 こうした中で橋下前大阪府知事が11月下旬に行われた大阪ダブル選挙の争点として仕立てたのが「大阪都構想」である。この構想は、大阪市と堺市の両政令指定都市を解体して中核市並みの権限を持つ複数の特別自治区に再編し、広域行政は「都」に一本化して効率化を図り、住民サービスは特別自治区が行うというものである。

 知事と市長という司令塔を一本化して二重行政の解消を図るとともに、地域内の小さな自治を特別自治区を基に実現するというものであるが、それ以外は未だ不明の点が多い。内容からすれば実現のためには法律はもちろんのこと議会の議決や住民投票が必要となり、手続きだけでもハードルが高い。橋下氏は選挙に圧勝して見事新しく大阪市長に就任したことから、今後、早急に構想の具体化を図るものとみられるが、市長就任当日に早速上京して各政党の党首、代表に大阪都実現を迫るという手際の良さを見せた。一方、各政党も次期衆院選への思惑から橋下氏に露骨なスリ寄り姿勢を見せて国民を呆れさせている。

 こうした橋下氏の政治力の評価は別にして、大阪都構想については、私は現段階で次のように考えている。まず、生活保護の急増や犯罪の増加など大阪が抱える様々な課題に対して都と特別区の事務権限の配分をどうするのか、併せて地方税財政制度をどのようにするのかを明らかにして、それにより課題が解決できるか検証を急ぐのが先決であろう。都構想の内容の確定が先決ということである。こうした都構想の内容を決めた後に、それにふさわしい統治機構として「都」がふさわしいのか検討し、手法を考えていくべきもので、現在、ともすれば移行手続きの議論が先行していることには異和感を禁じえないのである。いずれにしても人口減少・超高齢社会時代に突入し、厳しい財政環境の中で、持続可能なかつ経済成長をけん引する力のある大都市のあり方を検討する必要があることは間違いない。

 政府も昭和30年の政令指定都市制度創設以降、大都市制度について大きな改正をしてこなかったこともある。第30次の地方制度調査会で来年、この大都市制度について検討を行うこととなっているが、時代の変化のスピードが速いことを踏まえ、早急に結論を出すことを期待したい。

 ▼消費増税に国、地方の説明責任

 最後に地方消費税の引上げの動きに触れておきたい。税と社会保障の一体改革に伴い、政府は次期通常国会に2010年代半ばまでに消費税率の5%引き上げを目指す法案の提出を予定している。この増収分の配分について国と地方の間で争いがある。現在は消費税5%のうち、1%の地方消費税の外、国税分4%についてもその3分の1が地方交付税の財源となっている。すなわち、5%を国が2.82%、地方が2.18%で分け合っている形だ。

 しかし、今回の増税分についてどのようにするか国と地方で見解が大きく異なり、現段階では決まっていない。そもそもこうした消費税増税をめぐる国と地方の議論については、国民の目にどのように映っているのか大いに懸念がある。単なる国と地方の財源分捕り合戦と見られてはいないか。確かに、最近の各種世論調査を見る限り、将来に向けて持続可能な社会保障制度構築のために消費税を増税せざるを得ないことについては、国民の理解はかなり進んでいると見てよいだろう。しかしながら、この問題についてどれだけ地方が汗をかいてきたのかについては、はなはだ心もとない。

 これまで、各自治体が工夫を凝らして社会保障関係の地方単独事業を実施してきたことは事実であり、地方側はその総額を6.2兆円と試算している。これらの事業はきわめて重要なものと思うが、その財源として消費税増税を求めることを果たして住民にきちんと説明してきたと言えるだろうか。住民に新たな負担を求める以上、しかもその総額が6.2兆円にのぼるとすれば、この地方単独事業の内容について要否をあらためて精査し、徹底して効率的な実施を図りつつ、その上で事業の必要性について住民に理解を求める努力が不可欠である。

 この問題は、社会保障制度改革に伴い消費税増税がテーブルに載せられて以来、常に国と地方の間でくすぶってきた課題だ。私は、かねてより、消費税の増収分について地方への配分を求めるなら、むしろ地方消費税を単独で増税するくらいのつもりで、地方が真剣に住民理解を求める努力をすべきであると指摘してきた。国に対して配分を主張することも良いが、第一番に正面から向き合い理解を求めるべき相手は各自治体の住民であることを地方の関係者には改めて認識してほしい。さもなければ地方のフリーライド(ただ乗り)と受け取られかねないであろう。

 消費税増税については、政府や最高責任者たる野田首相から今もってその必要性と実現について必死の覚悟が伝わってこない。この点は地方のトップである知事や市町村長も同じで、橋下氏の毎日ぶら下がり取材に応ずるスタイルとは真逆である。本当は、国民に大きな負担を求めるこのような時こそ、民主主義の基本である説明責任を果たす先頭にトップ自らが立たなければならないのである。

 ▼「結(ゆい)」再構築で自治の力を

 東日本大震災後の混乱期に被災自治体の市町村長は人命救助の先頭に立った。自らの家族の被災を顧みることなく懸命に動き回る姿は、当然といえばそれまでであるが、何倍にも大きく見え、信頼感を高めた。それ以上に、国民ひとりひとりの冷静かつ思いやりの心はこれほどの危機でも揺らぐことのない日本社会の健全性を表しており、世界中から評価された。

 日本には、かって集落共同体での生活を支える仕組みとしての「結(ゆい)」があった。社会の基本は自助であるが、それを補完する共助である。こうした日本型システムを再構築して新たな自治の力を興したい。2011年は内外ともに民主主義の仕組みに軋みが目立った。新しい年は地域の自治力を高めることによりこうした軋みを克服していかなければならない。