公開中 燃やしてはならない「消せない火」を私たちは燃やしてしまった ・その23

2019-09-14 05:27:55 | 日記

2011年.4月11日 

   揺れる、揺れる。3.11の再来か 

 

  3.11以来、人々の間では1ケ月後に大きな余震が来るとの噂がまことしやかに流されていました。いわゆる風評である。それが来たのです。午後5時16分頃、携帯電話とテレビから例の警報が流れました。そして間もなく大きな揺れがやってきました。身構えて戸をあけた私の目の前の電柱が左右にゆさゆさ、ぎしぎしと動いています。

 一瞬でしたが、私の脳裏に浮かんだのは、これで原発は「決まった」ということでした。

 福島県沖が震源。マグネチュード7という報道が流れてきました。

 福島県浜通りは6弱、中通り5強の震度でした。幸いにして揺れは短時間であったため被害は小さく、それでも死者1名、重軽傷者5名との報道がありました。津波は来ませんでした。

 しかし、原発に関する情報が出されていません。どうなっているか、不安は高まるばかりです。 やがて「原発に新たな被害はない」との報道が入りホットしました。でも、またぞろ今日の揺れが、1ケ月後の「5月11日余震」のうわさとなって広がっています。 

 「不安を煽るうわさ」。何時の時代にもあることであり、そして人心は左右されます。 

 問題にしている放射線量の数値です。数十メートル平方の中でも2マイクロシーベルト程度の差が出ています。校庭の砂を2~3センチ掘っただけでも数値は半減以下になります。屋外にいる時間は一人一人バラバラです。しかも勤務地と自宅でも異なります。そして服装もあります。素肌を広く出している人、袖口まで覆っている服装など放射線量を身体に受ける条件はバラバラです。このことが大多数の皆さんの実態であると考えます。

 勿論、専門的な知識、経験を持ち合わせていません。この分野の「科学的立証」は、65年前の広島・長崎の被ばく、米ソを中心とした世界的規模で実施された「核爆発実験」。そしてチェルノブェリとスリーマイルの原発災害から学ぶといわれていますが、その資料も100%公表されてはいません。あるのは「国際規格1~20ミリシーベルト/年」です。

 涙の記者会見をした学者の1ミリ論は全国の母親に強烈な印象を与えました。しかし、また異なる説もあります。そして各々の主張の最後には「あなたの判断です」と言うことになっているところは一致しています。結局はその域を出ていないということではないでしょうか。

                                               


燃やしてはならない「消せない火」を私たちは燃やしてしまった ・その22

2019-09-13 05:05:17 | 日記

 

 2011年4月3日

   「雨が欲しい」

 

   罹災以来3週間が過ぎました。依然として原発の状況は改善されません。放射能物質は海へ漏れていますが、それを止める手立ても見つかりません。しかし、放出は続いているが、「今、緊急な危険ということには結びつかない」との説明が例のごとくされています。

   そして今度は、原発建屋を大きなシートで覆うという案が浮上してきました。大手ゼネコンの発案で費用は800億円ということです。それはフランスの企業の支援で「廃炉ビジネス」を背景にしたものと言われています。当然にしてシートで覆うえば、屋内照明が必要とします。そこにアメリカ企業が大型発電機の需要を狙ってのものだとも言われています。

   それでも、日本の原発メーカーの「原発輸出」の方針は変更されていませんし、政府も前自民党政権の「政策の継続性」としてこれを認めています。

 他国を非難できません。

   しかし、いろいろな対策は必要です。外国の援助も含め、まず放射線量の縮小と拡散防止。そのための「冷温停止」への道筋を一日でも早くと望みます。これも「地元の願いです」。このままでは不安は解消しません。帰るところのない「難民」の放置となりかねません。

   避難者への炊き出しが今も続いていますが、いつまで続くかその保障はありません。その中で若松市の東山温泉の旅館などによる受け入れが実現しました。その費用は県費の持ち出しです。県は後日、東電に対して請求をすべきです。しかし、これもいつまで続くかです。

   それでも放射線量は高め安定となっています。原発から遠距離にある郡山・福島は、周辺の市町村に比べて高い数値を示しています。それは盆地であり、コンクリート面積が多いということで「チリ」が漂っているためだと専門家の説明をしています。現に郡山市内で田畑の多い地区に行きますと数値は激減します。

   ここで雨が欲しいのです。その雨は放射能物質を少しでも薄め、洗い流してくれるでしょう。その時間帯はなるべく雨にあたらないようにするという知恵と努力をすれば、リスクよりベターが多いはずです。そして乾燥した毎日は私たちの心や肌にもぎすぎすした思いを抱かせます。庭の木々が「雨を受けて喜ぶように、私たちの心にも潤い」を与えてくれるでしょう。放射能対策が進まない中で私たちに力を与えてくれるように思います。

 「雨が欲しい」。しかし当分は雨雲はやってきません。


燃やしてはならない「消せない火」を私たちは燃やしてしまった ・その21

2019-09-12 05:26:02 | 日記

2011年4月2日

この期におよんでも、なお東電は

       7・8号機の増設の申請を経産省に

 

 3月26日に福島県は「第一原発の7・8号機の増設計画」の説明を、東電から受けたとのニュースが目に飛び込んできました。この計画書は経産省にも提出していると言う。東電は狂っています。

 この期におよんでもなお、原発推進を図る東電の意図はどこにあるのでしょうか。今、東京都知事選が闘われています。候補者の一人である石原慎太郎氏は、声高に「私は原発推進者」であると宣言しています。そして当選を確実にするかの勢いにあると報じられています。

 もちろん企業である以上「利益を生む商売であれば『死の商人』になることも厭わない」。これは歴史が証明するところですが、エネルギー政策とそこに成り立つ経済成長と、それにともなう膨大な利潤の追求が原発が一体になって進めようとしているところに東電の存在があるということでしょう。

 そして東電が描く「脚本」は決まっています。

 「想定外の破壊力に、想定外の被害を出してしまった。今後はこの事実を真摯に受け止め、想定外の災害にも耐えられる設計を確立したい。また与えてしまった被災者の皆さんには最大限の賠償をもってお詫びをしたい」と。そして「日本の経済発展のため、雇用の確保のためにも東電は企業をあげて尽くして生きたい」と語るでしょう。

 この論理を世論は許すのか、許さないのか。民意はどう結論付けるのか。せめて都知事選においてその答えを出して欲しいと願うところです。

 (注)東電は後日〈4月5日〉副社長談話でこの計画の撤回を述べている。

 私の地域にある小学校で消防車による校舎の放水清掃をしました。結果して0.3ミリ減少したとのことですが、すぐに元にもどったそうです。いずれにせよ、この放射線量の数値については正確な判断ができないというのが実態ではないでしょうか。

 ある学者が次のような提起をしていると聞きました。「一人ひとりの一日の行動を時間単位で記録し、その行動地域の放射線量を乗じて一日の被ばく量を計算すべき」というものです。ではその線量マップをどのようにしてつくるのでしょうか。それがなければ計算できません。それなら全員に「線量計」を携帯させたらとなります。それだけの線量計を確保できるのでしょうか。さらに、一人一人の行動範囲、そしてその時々の周囲の環境、衣服の違いなどなどが克明に記録されなければなりません。こうなるとそれが科学かという疑心を抱かざるを得ません。

 


燃やしてはならない「消せない火」を私たちは燃やしてしまった ・その20

2019-09-11 05:28:47 | 日記

2011年4月1日

   戦時中、空襲を思い出す

  ガソリンを満タン。所要があって福島市に行ってきました。早朝と夜の7時半ころに余震が、震度3の揺れがありました。

慣れとは恐ろしいものです。戦時中、空襲のサイレンにはじめは右往左往しましたが、何回か繰り返される中で「危険の程度」を予測することができるようになり防空壕に行かず寝ていた記憶がよみがえりました。人間の習慣とはそのようなものでしょう。

そして、今度は、原発現場に線量計が無いということです。作業者が線量計を携帯していないです。それは許せないことです。このことは「ブレーキの利かない車に乗って走れ」と言うことに等しいものです。建築現場で言えば「高所作業をする者に安全帯を着用させないで作業をさせる」に等しいものです。これは重い罪です。例えば建築現場では書類送検という法的制裁を受けます。今までは、東電の、現場に対する認識や姿勢に「想定できない問題の連続の中で」として理解を持とうとする面がありました。しかし、この度の「線量計の不携帯」の問題は絶対に許せません。

とりわけ「前戦」で復旧に携わっている協力会社の作業者をどのように考えているのでしょうか。平常時であれば「職場放棄」の運動が起きても不思議ではありませんし、私たちも、その運動を促し支持したい想いです。しかし、今は「そうであれ・なんであれ、彼らの力を借りて『消さなければならない』」。この矛盾はあります。

ところが、地元の福島労働基準局は「口頭注意」です。おかしいです。

昨今のニュースも含め、報道がますます「東京化」していくことを痛感します。「福島は今もって揺れています。再度の津波も恐れます。それが揺れと津波と原発の再爆発の『極限の不安』」にたじろいでいるのです。つまり「原発災害の全県的な拡大への不安です」。現に58㌔離れた郡山市でも、家屋、塀などの損害の復旧にためらっている方が多数います。ここに永住できるかという不安です。お金は避難のことを考えてとっておこうと迷っていることも事実です。

政府、国会(政治家)のこのことに対する認識の薄いことを痛感しています。

また、私たちの側における認識もあります。確かに「反原発」の学習と運動をして参りました。しかし、これらも原発の危険と災害を一つの「仮定」として討論してきたことは事実です。それが現実のものとして目の前に実現した時、なすすべのない状態におじ惑い、うろたえているというのも実態です。

今、「原発の是非とか、廃炉にすべき」とかの論議をしている時ではありません。「消すことです」。

そのために私たちは何ができるか。「戦時の玉砕」ではありませんが、被ばくを覚悟して高濃度の状態にある現場に走りますか。そんなことはできません。

「きついことであり、大変なことではありますが、専門家に託す」しかありません。

「避難者の実情が、帰る土地が無いと言う意味では、福島は他県とは違う」ということをあらためて訴えたいと思います。
                                                     


燃やしてはならない「消せない火」を私たちは燃やしてしまった ・その19

2019-09-10 04:57:22 | 日記

2011年3月30日

何としても火は消して欲しい・そして避難者の皆さんへの支援も

 

福島県は、未だ『揺れ』の中にあります。重ねて訴えたい。罹災による苦しみや不安はどこでも同じですが、福島県はそこに「原発事故」というトリプル災害で苦しんでいます。他県とは異なる状況がもう一つあるということです。

例えば仮設住宅に入りたくないと言います。住む家が今も残っているからです。それだけに深刻です。また、他県とは異なり、より遠方への避難が拡大されています。遠くは沖縄まで。そしてこの間3回も避難所を移動したという事実も生まれています。まさに「流浪の民」です。 

ありがたいことに避難先の皆さんの善意による炊き出しなどを頂いているものの、限界があることは承知しなければなりません。 

また避難者の中には、精神的疾病の増加が報告されています。郡山のボランテャの皆さんの中には、鍋、釜、ガスボンベを用意し避難者に提供する。そして避難者が自ら炊事をするなどの準備を始めるということでした。これも自分の手で「自分の食べ物をつくる」ということであり望ましい企画だと思います。

自衛隊、そして都市消防隊の不眠・不休の努力には感謝と敬意を持ちます。同時に米国・フランスをはじめとする「核先進国」の支援は欠かせないと判断します。 

  現に外国の専門家の訪日・防護服、油の援助・特殊車両の提供などの支援がマスコミによって報道されていますが、具体的には私たちの目には触れません。防護服は今もって「白い」ものです。しかもこの防護服は放射線を防止できないものと報じられています。現地の私たちには具体的に目に見え、そして統一的な声明(情報)を得ることによって不安が解消されるのです。

今日におけるマスコミの報道にも問題があります。東電が要請した支援であれ、政府が要請したものであれ、すべて政府(対策本部)の名において報道すべきであり、マスコミを通すにしても「対策本部」の責任によるものとすべきです。

また空いている公営住宅の活用などが実現しつつあります。同時に旅館・ホテルなどの活用なども報告されています。しかし、どこまで継続することができるかの限界は目に見えています。善意や受け入れの自治体に依存するのではなく、むしろ「国の政策」を明確にすべきと考えます。

そして避難者が、住民票を移す選択を望むならそれもあって良い時期ではないでしょうか。そのような状況に入っていると理解すべきと思います。そして新しい仕事を見つける、そのような時期に入っていると思います。このようなことを述べると「帰れないということか、俺たちを見捨てるのか」となります。また「ハローワークで簡単に仕事は見つからない」となります。しかし、配食を受け、ダンボール仕切りの中で「座して待っている」よりは先を見つけることができると思いますが、いかがでしょうか。住所を移しても戻れる状態になったら戻れば良い。移したからと言って帰ることの要求は捨てる必要はない。新しい就職先や子供の将来(結婚とか就職とか)を考え、避難先に永住することもあって良いのではないでしょうか。この間の、数回にわたる避難所訪問の中で何人かの方々とお話しをし合った感想です。

そして避難所を出るにあたって要求が一つあることを知りました。「集団避難」では最低の衣食住は保障されます。しかし、個人が仮設住宅や賃貸住宅に移った場合、住居費は保障されてもそれ以外の生活費があります。その補助が欲しいていうことでした。