2011年3月22日
燃やしてはならない火を
私たちは燃やしてしまいました
「燃やしてはならない火を、私たちは燃やしてしまいました」。そして津波から逃れた命を、今、避難先で失おうとしています。この悲しい、悔しい事実はこれからも増大するでしょう。
また阪神淡路災害を大幅に上回るものになってしまいました。それでも、他県の一部の地域においては、早くも仮設住宅の「つち音」が響くようになりました。しかし福島県においては、「原発の不安」はますます深まりつつあります。原発災害の説明も不十分です。修復も図られません。
いわき市の脱出は収まっていません。市の大部分が40㌔を超えていますのに。
「見えない、想定できない不安」と電気、水道の復旧がままならないところに油の欠乏です。親戚などを頼っての避難です。災害発生の翌日からの二夜で「10万人規模の脱出」がありました。
福島県人ということで忌避される事実が起きています。避難の途中、車をコンビニの駐車場に止めて買い物をしていたら「放射能がついている。早く出ていけと言われた」ということが報じられていました。
農作物の出荷停止と牛乳の摂取規制です。しかし、乳を搾らなければ牛は死にます。牛舎の溝に「白い乳」が流れているのがテレビの画面で報じられていました。
菅首相が「光明が見えてきた」と述べても、佐藤福島県知事の「助けてくれ」という叫びが、私たち現地の県民の心からの叫びです。
今後も多くの県外の皆さんに、「現地の言葉」を送信続けていきます。東海、関西、四国、九州の友人にも送信しています。