燃やしてはならない「消せない火」を私たちは燃やしてしまった ・その12

2019-09-03 05:24:23 | 日記

2011年3月23日

ようやく繫がった尼崎の友

 

多くの皆さんから安否と励ましの言葉を頂いています。また、述べてきましたようにアドレス帳に記録されている皆さんにはメールを、そうでない方にはお手紙を送り実情を報告しています。原発被害は水道・野菜・牛乳などの汚染が拡大しています。

牛乳を側溝に垂れ流している光景は見るにしのびません。

断水をしたままの水道。また水が出ているが飲まない。乳児のミルクはどうする。心配だ。ペットボトルを探しに走る。しかし、店頭からは姿を消しました。

流通を通して、西からのものが入ってくるでしょうが、問題は首都圏で止まってしまうことです。福島の佐藤知事が声を大にして言いました。「福島はエネルギーも含め首都圏を支えてきた。今度は我々が支えてもらう番だ」と。その通りです。

本日は東電の副社長が避難場所を訪問し、頭を下げて歩いていましたが、住民は「謝罪は原発災害を止めることだ。現場に行って陣頭指揮をすることが先だと」と叫んでいました。

尼崎の友から本日電話がありました。ようやく繫がったと。涙声での電話も頂きました。有難いことです。また、赤穂の友人からもありました。何か必要なものがあれば送ろうかと。嬉しいことです。

 

2011年3月24日

「おにぎりトラック」が高速を走れない

 

現地から言わせれば首都圏における買占めにはガマンがなりません。しかしオイルシヨック時もそうですが、子どもがいればオムツ、ペットボトルとなります。学んだはずなのですが、やむを得ないのかとも。 

それにしても災害支援の手続きを取った車輌は高速を走れます。しかし「おにぎりを積んだローソンのトラック走行」は許可されないのです。政治とは、法律とはそれで良いのか。

許可しないのであれば、政治が「おにぎりの完全配付」に責任を持つべきです。指摘は幾つもあります。冒頭述べましたように、私はこの時に、ここにあってしっかりと事実を記憶しておきたいと思っています。その意味で全国の知人、友人に発信を続けています。そしてこの報告を、今度は皆さんが、自分言葉で、回りの皆さんに広めて欲しいと念じています。今後も発信続けます。