余りにも静かな大晦日の夜、そこで考えたこといろいろ

2015-12-31 21:20:49 | 日記

  余りにも静かな大晦日の夜、そこで考えたこといろいろ

   

    2015年12月31日・大晦日。以前であれば「紅白歌合戦」というテレビの時間帯であるが、ここ数年その番組は観ていない。そして今自室にいる。年が明けると79歳になる。私の子ども時代の60歳は腰が曲がり老人そのものであった。中には「シャン」とした老人もいたが、およそ今では考えられない「年よりの時代」であった。

   そして、私たちの年代はあの第二次世界大戦を経験している。当時、国民兵役の義務は40歳と定められていたが、戦争末期の1943年以降は45歳にまで引き上げられた。まさに「根こそぎ動員」であった。昭和初期の平均寿命は48歳である。(戦後昭和22年になってやっと50歳を超える)よって、かなり高年齢層までの総動員体制であったことになる。そして父親は戦地で亡くなり多くの未亡人と子どもが残った。

    今年は戦後70年。それを総括する総理大臣の「戦後70年談話」をめぐり国論は二分をした。

   そして今午後8時半穏やかな時間を過ごしている。部屋の広さは6畳間、机があり、テレビ・ステレオ、整理をしたが若干の書籍棚と資料のファイル棚がある。机のバソコンに向かっているが余りにも静かだ。私が打つ端末のキーの音が微かに聞こえる。

   冒頭79歳と述べた。父を7歳で失い39歳の母に育てられた。3人兄妹であった。昭和19年の暮れのことである。弔問に訪れた町内の方の言葉は今でも記憶をしている。「こっちの父ちゃんは畳の上で死ねたのだから良いわね」と。敗戦の前年の12月末である。当時は、毎日のように町内のどこかで戦死をした父や兄の野辺送りをしていた。また毎日のように道端に並んで、白木の箱を胸に抱いた方のお迎えをした。

    今年2015年を忘れてはいけない。安倍政権は「安保関連法」を強行採決させた。「日本をめぐる情勢は変化をした。よって外敵から日本を守らなければならない。より強固な抑止力が必要だ」との政治方針によるものであった。しかし、その保証はない。戦争とは予測しない偶発的な事件から始まった歴史を忘れてはならないからである。また「火力」がある限り、武器の製造、輸出がある限り、戦争は無くならないという事実も忘れてはならない。

    安保関連法の施行は3月である。参議院における採決の成否も問われなければならない。また消費税の軽減税率もある。会計検査院が指摘をした「秘密保護法」の憲法に触れる問題も問われなければならない。課題は山ほどである。そしてそれらの信を問う「参議院選挙」がある。場合によっては衆・参ダブル選挙もあるかもしれない。その意味では1月開催の通常国会は、まさに国のあり方が問われる国会になるだろう。

   そして安倍首相ならやりかねない「究極の戦術・消費税8%据え置き」も想定される。それらはすべて憲法改定を主軸とする安倍流の反動政治を予測するからである。

   さて、前に戻りたい。今や私たちはどこにでもある老夫婦二人世帯の一つである。どちらも自分なりの過ごし方ができる状態となっている。このことは幸せなことであり、ありがたいことである。そんなことを実感している。時計は2015年12月31日の午後9時をまわっている。あと僅かで新しい年・2016年である。期待もあり、不安もある。


「ここは暖かいし・安心だから」。それさえも消されていく昨今の介護行政

2015-12-28 15:26:01 | 日記

 「ここは暖かいし・安心だから」。それさえも消されていく昨今の介護行政

 

 「仕事と介護両立」10%・毎日新聞28日の2面の下段に小見出しで載った記事である。読み落とした人もいるだろう。それは40代以上を対象に有料老人ホームを運営するオリックス・リビングが実施したものである。

 仕事を持っている男女に仕事と介護が両立できるかを問うている。両立「できる」と回答したのが10%、「できない」が58%、「わからない」が32%である。特に40代女性では両立できるとしたのが僅かに3%と低く「子育てと親の介護が重なるダブルケァとなる」ことを物語っている。

 また、働いていない者も含め家族の介護に不安を持つ人は全体の85%であり、前記32%の「わからない」の多くが、結果的には「できない」のクループに属することがわかるというものである。その理由を複数回答で求めている。その答えは「精神的負担・68%」「費用面で無理・67%」「体力的負担・59%」「日常生活の変化・53%」と続いている。この種の調査はあらゆる分野で行われている。しかも度々行われているが傾向は同一である。だが年々「介護に対する悩み」は拡大しつつあることは確かである。

 今から10年前のことである。市内5ケ所の介護施設を訪問し続けたことがある。年末であった。入所されている車いすの老女に「お正月は家に帰られるのでしょう、楽しみですね」と声を掛けた。「いいや、ここに居た方が暖かいし、安心だから」という答えが返って来た。もちろん、暖かい部屋で過ごせる、そして安心ではあろう。しかし、孫もいる自分の家に帰りたいのは当然であるはずなのに、この答えは何だろうか。しかし、家族に、とりわけお嫁さんに負担をかけたくないという想いが強く働いているということを気づくのに、さして「時間」を必要としなかった。それは施設を辞する前に所長と話し合う若干の時間を持つことにしている。その時、所長から入所者の複雑な気持ちの実情を伝えられたからである。

 今年も、余すところ3日となった。幸い暖冬であるがそれでも寒さは堪える。ベットで、あるいはコタツにもぐる独居、あるいは老々世帯の身で年の瀬を迎えようとしている方は多いであろう。地域のボランテァによる「おせち」の配食などを兼ねた見守りのあるのもこの時期である。しかし、その一人ひとりの心に秘めるものは、それを超えるものであることを知らなければならない。また親許に戻ることのできない子どものも少なくはないのも実態である。今日から始まるだろう帰省ラッシュ。ホームで迎える祖父・祖母の姿をテレビの画面で見ることは嬉しい。よく言われる言葉に「来て良し、帰って良し」というものがある。来てくれることは嬉しいが疲れ果てる。帰った後はほっとする。どちらも本音というものである。しかし、もう一つの「暗い面」のあることも忘れてはならない。かく言う私も「老々予備群」の一人である。

 そして暮れを前にして「ここは暖かい、安心だ」と答えた老婆の事を思い出す。であれば尚の事「先が見える、そして安心して介護が受けられる施設」の充実を政治を強く求めるのは自然な気持ちではないか。低所得者給付金3万円など選挙目当ての一過性でだましてはいけないし、まただまされてはいけない。来年夏は参議院選挙がある。この騙し続ける政治に批判の一票を投じたいものである。


生存に関わる権利と、電気代の高い低いの問題を並べて論じるべきではない

2015-12-25 20:13:45 | 日記

 生存に関わる権利と、電気代の高い低いの問題を並べて論じるべきではない

   福井県「高浜原発3・4号機」の再稼動を認めた司法の裁断が下された。同じ地裁で前任者の裁判官の決定を後任者が覆した事例である。そのようなことは過去にもあったが、今般の判決は司法権に対する「政治権力」の介入という危惧を拭い去ることはできないものであった。

 この間、安倍政権はことあるごとに「原発再稼動」の政治的発言を強めてきた。しかも福井地裁の司法判断がくだされることを前にして、知事の再稼動承認をはじめ地元高浜町の再稼働決議は、司法の決定を予期したものとして前日まで「再稼働の準備」をおし進められたところをみても明らかである。まさに「政治の介入」を色濃く示された一連の動きであったと受け止めたい。

 今回担当をした裁判官はそのことを意識してか、もっぱら「原子力規制委員会」の新規制基準を前面に掲げた判断に終始した。そのことを当日の福井新聞の記事からも察し取ることができる。以下その内容を取り上げたい。
 裁判官は「司法審査の在り方」を冒頭に取り上げた。その中で原子炉施設の安全性を判断する際には、原子力規制委員会の新規制基準や規制委による新規制基準への適合性から判断すべきであることを明確にしている。それが基準地震動・耐震安全性・使用済み核燃料・津波対策などのすべて課題に対し、規制委の判断に不合理な点はなく高浜原発の安全性に欠点はない。そして住民らの人格権を侵害する具体的危険があるとは認められないと断じている。さらに原発事業者に対しては、常に最新の知見に基づく安全性の確保を求めた上で、関電や規制委は福島原発事故に対する深い反省と絶対的な安全は存在しないという姿勢を貫き、高いレベルの安全を目指す努力を常に続けるべきあるとの言葉で結んでいる。そこには僅か8ケ月前に出された判決を180度変えてしまった裁判官のためらいの姿勢が感じとれると言え「福島の悲惨な事故」への司法の責任の立場を葬りさったものであり、その罪は許すことはできない。

 そこで、あらためて記憶を8ケ月前に戻してみたい。当時の福井地裁の裁判官樋口英明氏は、昨年5月福島第一原発事故後、初めて原発の運転を認めない判決を下し注目を浴びた。その際樋口裁判官は「人の生存そのものに関わる権利と、電気代の高い低いの問題を並べて論じるべきではない」「豊かな国土とそこに国民が生活していることが国富であり、これを取り戻せなくなることが国富の喪失だ」と、人格権を尊重し住民の思いに寄り添った判決文を読み上げた。私たちはこの判決を重く受け止め「あってはならない原発災害、そして核廃棄物の最終処分も決められない原発を動かすことは人類にたいする究極の犯罪行為」であることを強く認識し合ったところであった。

 そして今そのことが覆された。さらに許されないことに、関電はこの期を逃してはならないとばかり、3号機で過去に一度燃やした8体のモックス燃料と新燃料16体の計24体を燃やそうとしている。使用済みMOX燃料の「処理方法が定まっていないにもかかわらず」にである。

 最後に批判を受けることを覚悟で述べたい。福島における原発の歴史を振り返る。そして言えることは住民もまたその誘致を望んだことの事実である。町の経済効果と原発三法に基づく交付金への魅力を持ったこともそうである。そして地震、津波とはいえ原発の破壊と悲惨な被害を受けた。薩摩川内原発の再稼動以降、高浜においても「地元住民の要求」は生きている。とするなら住民の責任はゼロではない。その責めも負わなければならないと思うがどうだろうか。これは福島を経験した一人としての発言である。


あらためて抗議したい。軽減税率で吹き飛んだ「社会保障の充実政策」

2015-12-21 14:21:20 | 日記

あらためて抗議したい。軽減税率で吹き飛んだ「社会保障の充実政策」

 

 前回のブログ(12月10日・政策から政権課題へと使われる軽減税率に抗議する)にも書いたが、あらためて「軽減税率」に触れたいと思う。ここに福島県の地方紙(福島民報)による県内世論調査(12月21日)がある。この記事を紹介しながら提起をしたい。

 その前に公明党の体質について付け加えたいことがある。それは軽減税率について自民党との合意が得られた公明党は、すかさず沖縄県宜野湾市の首長選挙の自民党推薦候補への選挙協力を決定した。この間、公明党は沖縄県内の首長選挙には「自主投票」を方針としてきたのであるが急きょ一変した。この変わり身の早さに対し、沖縄の県民そして宜野湾市の市民が出す答えは「夏の参議院選」を占うものとなるだろう。

 さて軽減税にたいする福島県民の回答であるが、福島民報紙は「生活必需品などの税率を低くする軽減税率の導入についての是非」を問うている。それに対し「賛成50.6%・反対29.3%」と答えている。さらに軽減税率の実施に伴う財源確保のため「社会保障費が削られる可能性がありますが」の問いに対しては「不安を感じるが90.8%・感じないが9.2%」となっている。軽減税率の導入と財源の捻出は相互関連するものでありながら、これに対する県民の答えのこのギャップをどう見るかである。と言うより「意識のねじれ」と考えるべきであろう。よって「税と社会保障」のあり方をあらためて考える機会とすべきであると思う。

 前回のブログにも書いた。今般の軽減税率対象食品の税率2%にあたる額は一人年間4.000円と言われている。二人家族でも10.00円に満たない。もちろん払うか、払わないかとなれば払わないに越したことはない。だがその財源の捻出の見通しはたっていない。そこを突いたのが二つの設問で県民の意識を問うたのが今般の「世論調査」であったと受け止めたい。

 そこで振り返って考えてみる。民主党政権時代の2012年、3党(民・自・公)は消費税率の10%への引き上げと、それを財源にした社会保障の充実について合意をした。その一つに「医療・介護・子育て・障害の自己負担を合算して上限を設けるという総合合算制度」があった。それは番号制度(マイナンバー制度)の定着を前提とするものであり4.000億円の財源を見込んでいた。しかし、その前提は崩れたこともあり、その4.000億円を「生鮮食料品」の財源に当てはめようとしたのが、当初の自民党の腹積もりであったと説明されている。それが1兆円に膨れ上がった。結果して「総合合算制度」は消え、さらに低所得層の年金に最大で月5.000円を上乗せする福祉的給付制度・公的年金の受給資格を得るための加入期間(25年)を10年に短縮する制度など、10%への引き上げによる財源で実施しようとした政策が消えてしまった。これら「公党間の政策」が、与党による政局のためにことごとく棚上げとされていくとするなら、もはや国民のための政治とは言えない。であれば「消費税10%」に引き上げそれ自体、反対しなければならない。

 今、政治に求められているものは、「国民の自己負担と国庫負担」をどのようにすべきかの国民的論議を巻き起こすことではないか。しかし、この論議を政党は嫌う。とりわけ選挙前の論議は避ける。そして選挙後に小出しに出してくる。それが夏の選挙後に用意されている「高齢者の医療費上限額の引き上げ」である。ずるい政治である。しかし、1月の通常国会で軽減税率を論ずるのであれば絶対に避けるべきではない。逃げるべきではない。そのことを与党、野党に求めたい。


人間に戻りました・治癒力を体験する・・・・・・・・・・・・・・・・・

2015-12-13 15:33:44 | 日記

        人間に戻りました・治癒力を体験する・・・・・・・

 午前9時、手術室に入りそしてベットに横になる。手術室といっても手術をするわけではない。局部に針をさしての「生検」である。20本の針を刺すのであるが痛みを伴う。そこで下肢麻酔をしたのだが麻酔が完全に効くまでには10分は絶たなかったろう。氷の塊を当てて確認をする。そして生検開始、終了までは25分位であっただろうか。

 来るときは歩いてきたのだが帰りはベットである。医師からは2時間から3時間くらい下肢は動かないので安静にという指示であった。問題はそこからである。

 尿道には管が挿入されている。下肢は感覚が無い。病室に戻ったのが9時50分頃。やがて1時間くらい経ったとき右足の指が微かに動く。そして左足へと移る。私は盛んに指を動かし続けた。11時には微かではあるが膝が動くようになる。指を動かし続けた効果があったのか。今度は膝に力を入れ左右に揺さぶる。やがて痺れはなくなり両足の曲げ伸ばしができるようになる。それは正午少し前であった。

 さて問題は尿道である。これも初体験である。力むわけでもなし、意志を働かすわけでもないのだが、尿は「重力の法則」にしたがって膀胱からベットの下の袋に流れ込む。その感覚はない。これは嫌な感じである。「意志が働かない」ということは人間ではない。そんなことを思いめぐらしていた。

 午後2時、病室に戻ってきてから4時間経過。ようやく寝返りをすることが許される。しかし、尿道は依然として変わらず。

 秋の陽は早く西山に沈む。5時頃からか少しだが尿道に自分の意志が働く。ほんのわずかであるがこれは嬉しかった。どんどん水を飲む。そしてどんどん出していく。「飲む・出す」の連続、そして夜半となる。知らぬ間に眠りについていた。しかし「尿は流れ続けていた」。人間は案外と眠れるものであることに気付く。

 次の朝9時。医師がやってきて「管」を抜く。そして点滴も終了する。そして起き上がることが許される。思わず「これで人間に戻れた」とつぶやいたら看護師は笑っていた。

 さて次である。トイレに行く。ところが長時間自分の意志によらない排尿であったことが原因なのであろう。「出そうで出ない」そしてほんの少しチョロリである。そして手を洗うために蛇口をひねり水を出す。すると不思議なことに「排尿をもようす」。再びトイレに行くが出ない。蛇口から出る水の音に体が反応するのだろうか。因果関係はあるのか。これは専門家に聞いてみたいものである。

 さらに排尿の度にきりきりと痛む。あれだけの管を挿入していたのだから当然であると思っても、その痛さを嫌ってガマンしていると下着を汚すことになる。だが次第次第に痛みも薄らぎ排尿の量も多くなる。盛んにもペットボトルを開け続けた。

 そこで考えた。人間の回復力というか治癒力である。今回数十分単位で麻痺が回復し、痛みも回復する。身体に反応させる自分の意志も次々と働き始める。そして少しずつではあるが排尿の量も、勢いも戻り始める。それが具体的に感じ取ることができるほどの回復力・治癒力が数十分単位で体験するところに、人間が本来持っている「自然力」の偉大さを感じ取った。これは信じてよい。そのことを痛感した2日間であった。入院3日目の午前10時退院、嬉しい。