時間の流れが「吹っ飛ぶ」速さで・・・・・・・・・・

2014-12-31 11:46:37 | 日記

   時間の流れが「吹っ飛ぶ」速さで・・・・・・・・・・

 

  2014年も今日が最後である。昨日は天気も良し。久しぶりに戸を全開し部屋の掃除をした。普段は「コロコロ」である。言ってみれば「省略行為の毎日」である。70代後半の二人暮らし、さしてほこりが出るわけではないが陽が射すと「綿ぼこり」がやたらと目につく。そして掃除機を持ち出した。うっすらと額に汗が浮かぶ。そして月めくり暦を取り換えた。そんなこともあって「月日の流れの速さ」をあらためて痛感したのである。

  そこでネットによる「時間の流れの速さ」を検索した。

  それが次である。

  「25歳を過ぎると、1年が過ぎるのがグッと速くなる」。「30代は、転がるように過ぎていく・・・」と。すると70代はなんと表現すれば良いのだろうか。「吹っ飛ぶように過ぎていく」とするか。いずれにせよ年令とともに時間の流れが速く感じるのは事実である。

  そこで、マウスを動かしていくと次の4説が紹介されていた。

  [説1] ジャネーの法則
人が感じる時間の長さは、自らの年齢に反比例するという説
  [説2] 経験による処理速度向上説
新鮮な経験が少ないと、時間の経過は短く感じるという説
  [説3] 心拍数の法則
「心拍数」の高さと時間感覚には関係があるという説
  [説4] インプットが少ないから説
記憶量=時間 という理論。この理論だと仕事でアウトプットばかり続けていてインプットが少ない大人の時間は短くなるという説。

  その一つのジャネーの法則であるが、年令に反比例するとある。1を年齢で除する。「1÷70=0.014」となる。10歳の幼年期は0.1であるから、10歳の時代から比較すれば8倍の速さで時が流れていく事を感じるということになる。暦を新しくしたときが、ほんの数か月前であったように感じるのは当然であろう。

  そこで考えた。

  「時間が時間がと」せかせか考えることはやめよう、のんびりと構えようと。自動車を運転するのと、自転車をこいでいるのと、歩いているのとでは目に入る光景が異なる。歩いている場合はより多くの事柄が目に入る。新しい発見がある。のんびり過ごせば心拍数も高くはならない。

  朝ドラではないが「曲がった角の先」に何があるかはわからないが、そうであればゆっくりと曲がれば良い。

  ブログの開設から625日になるが、書きたくなった「言葉」が浮かんだ時にキーボードを叩けば良い。そんなことを考えた2014年末の昼下がりである。

 

 


 「200名の決断に回答を用意するべきである」

2014-12-28 15:25:17 | 日記

     「200名の決断に回答を用意するべきである」

       対立の中での鎮静化・それは為政者の政治姿勢である  

 

  政府の原子力災害現地対策本部は、28日東京電力福島第一原発事故に伴い、放射線量が局所的に高いとした南相馬市の「特定避難勧奨地点142地点(152世帯)」を指定解除をした。これで県内の特定避難勧奨地点は全てなくなったことになる。ただ、住民からは「除染が不十分」などの根強い反発があり、指定されたうち約8割に上る避難世帯の帰還が進むかどうかは不透明で、住民の不安払拭(ふっしょく)が課題となると報じている。(福島民報28日)

  さてここに住んでいた住民が帰宅するか、どうかは本人の選択となるが、同地区の菅野秀一会長は次のように述べている。「自分の知る限り、解除されたからといって帰るという住民はほとんどいない。徹底的な除染が必要だ」と。

  しかし、3ケ月後にはこれまでの精神的損害賠償の月10万円/人は支給されない。

  また、すでに解除された地区であるが、戻った住民は2割か3割という状態にある。その多くが高齢者であり、住宅の保存状況が良かった世帯であることも事実である。そして戻った者はつぶやく「なぜ戻ってこないのだ」と。戻らない者は「戻れるところではない、なぜ戻ったのか」と。

  当該自治体の市除染対策課は「帰還促進のため対応する必要がある」としているが、20キロ圏外の除染が完了するのは29年3月以降にずれ込む可能性があると述べている。それとて、どれだけの除染効果があるかは先が見えない。これに対し、原子力災害現地対策本部の担当者は「生活再建の時期や方法は各世帯で異なる。地元である市の取り組みを支援していく」としている。これでは政府・東電による「帰還という名の先延ばし」だけであり、「住民の対立と分断」によって争点が見えなくなり、事態を鎮静化させる方便となることへの危惧を持つのは私の偏見だろうか。それは、いつの世にもある「為政者の政治工作」であり、いつの間にか国民は馴らされていった歴史を知るからである。

  そこで再度取り上げたい。7月4日のブログのタイトルは「大熊町野上1区(帰還困難区域)200人の帰らない宣言」である。この地区の人口は200人(60戸)。多くが会津若松市の仮設住宅に住んでいる。木幡仁区長は述べている。◆震災後3年がたち荒れた家や田畑の復旧は困難 ◆中間貯蔵施設が建設されれば住める環境にはない ◆区には高齢者が多い10年、20年後では遅い。そして町に対し「移住者対策」をしっかり進めて欲しいと求めている。

  「帰る選択を捨てるべきではない」それは正しい。しかし、野上地区の選択とその要求は、むしろ「政治的鎮静化を計ろうとする現体制に対する全面対決」であり、「聞くに値する」ものと考えられないか。この年の瀬に、木幡区長をはじめとして200名の皆さんがどのような思いでおられるかは残念ながら知ることはできない。しかし、選択の決意は変わらないだろう思う。ならば大熊町はこの200名の移住を可能とする保障を政府に求めることが必要ではないか。

  どのようであれ、最終的には「本人の選択と決断」である。とするなら選択の範囲は広いほど良い。そのことが決断を容易にする。被災自治体はあらためて「200名の決断」に一つの回答を用意するべきである。

 


 象徴天皇の言葉に、戦後70年の想いを知る

2014-12-23 18:56:07 | 日記

    象徴天皇の言葉に、戦後70年の想いを知る

 

  天皇陛下は81歳の誕生日を迎えられた。これに先立ち、皇居・宮殿で行われた記者会見の内容が、見出しの違いはあれ各紙の朝刊に掲載された。「先の戦争では300万を超す多くの人が亡くなりました。その人々の死を無にすることがないよう、常により良い日本をつくる努力を続けることが残された私どもに課せられた義務であり、後に来る時代への責任であると思います」と語ったと報じられている。

  そして来年は戦後70年目の年である。70年前の8月15日を「終戦の日」と捉えるのか、「敗戦の日」と捉えるのかでは70年間の総括が異なってくることを明確にしなければならない。

  今般の総選挙において与党の圧勝を手にした安倍自民党は、すでに憲法第九条の改正をもくろむスケジュールを組み立てている。そのことは「戦争はできない国」から、「戦争のできる国」に転じるということを覚悟させられることを意味する。まさに「国のあり方」の180度転換である。

  それだけに、この時期に述べられた天皇の言葉には重いものであると受け止めたい。しかも、両陛下は来年米軍の猛烈な艦砲射撃と空爆にさらされた激戦地「パラオ」の慰霊の旅を予定されている。

  ここに一つの事例を取り上げたい。自民党総裁であった森総理大臣は、招かれた「神道政治連盟国会議員懇談会」という場で「日本の国、まさに天皇を中心としている神の国であるぞということを国民の皆さんにしっかりと承知をして戴く」という発言をしている。さらに小泉内閣時代の「偉大なるイエスマン」武部勤 幹事長も同様の発言をしている。

  「終戦か・敗戦か」は、旧日本帝国時代の天皇の位置にも触れるテーマである。またしても天皇の神格化・大元帥の登場を画策するのかと考えても不思議ではない。

  この度の両陛下の東日本大震災地への「慰問の旅」がある。そこには被災者を前にして、膝をつき同じ目線で語られる姿があった。あるとき突然の揺れが襲った。とっさに皇后の手を握られた避難者の女性、ためらいもなく両手を添えて握りしめられた皇后の姿に、まさに「人間天皇・象徴天皇」の見たのは私だけではないだろう。

  皇居の広さは東京ドームの約25個分である。仏人哲学者は「空虚な空間」と呼んだ。そこは深い静寂が支配しているという。吹上御苑のほぼ真ん中に、天皇、皇后両陛下のお住まい「御所」がある。

  本日も防弾ガラスに覆われたテラスの中から国民の参賀に答えられていた。両陛下は、果たしてその空間を望まれているだろうか。

  ならば提言したい。銀座でも良い。または渋谷でも良い。そこに住まいをつくられてはどうだろうか。街中にある「天皇の姿」に、真の象徴天皇を見ることができるだろう。そこにこそ、70年を顧みるものになると思うが、どうだろう。

  そして、皇太子夫人の健康も癒されるのではないかと考える。

 


 さて、私たちはこの「たとえばなし」をどう受け止めるだろうか

2014-12-19 13:26:29 | 日記

   さて、私たちはこの「たとえばなし」をどう受け止めるだろうか

  自民党政府(官僚)は、政治課題に対する説明について二通りの表現を用いる。その一つに代表されるのが「集団的自衛権の行使の憲法解釈」がある。つまり、歴代の政府が踏襲してきた解釈について「私の内閣は違う解釈をする」という強行手段のやり方である。

  もう一つは「武器輸出三原則」である。これを「防衛装備移転三原則」と読み替え、導入したやり方である。そして、今までは不可能であった「迎撃ミサイル・パトリオット2」の部品をアメリカに輸出することになった。つまり、輸出でなくて「装備の移転」という表現の変更である。

  前者はストレートに政治的見解の違いを明確にしている。だから「この政治的決定は私の責任でやる。その是非は選挙によって審判を受ける」と安倍首相は言い切っている。これは、織田・武田の「長篠の戦い」ではないが正面突破の攻撃である。勝ち負けはその時の作戦と攻撃力の差で決まる。

  しかし、後者は異なる。敵は攻撃してこない。「己の陣営にあって時の声を上げ、太鼓を打ち鳴らす。陽動作戦である」。それでいて裏から攻め、相手の一画を一つずつ切り崩していく。

  今般の総選挙における議席増によって「一強」の勢力をとった自民党は、選挙戦においても触れてこなかった「原発建て替え」なる方針を打ち出した。(12月18日)

  新設でもない、増設でもない。

  そこで、一つの譬えをもって考えてみたい。隣近所でこんな会話がされたとする。「Aさんが、家を建て替えるのですって」と言うのと、「Aさんが新築するのですって」という表現とでは、周りの人々はどう受け止めるのだろうか。今ある家を新しくすることには間違いない。しかし、「新築する」ということはどのような響きになるだろうか。「まあAさん宅は、景気がいいのね。何も新しくしなくとも良いんじゃない」という妬みも含めた言葉が返ってくるような気がする。しかし、「建て替える」となると「そうね、Aさん宅もかなり古いし、段差もあれば危険だしね」という言葉がかえってくるだろう。その方が、工事に対する近所の協力は得やすい。

  さて、この原発建て替え方針である。まずそこには「原発再稼働」が必要である。その原発はやがて「老朽化」するだろう。手を加えつつも廃炉にするしかないとなる。その時「どうだろう、建て替えて見ては」と、国が住民に問いかける。そうすれば「電力の維持も可能だ。自治体も交付金を含め財政は維持できる。そして雇用も、町も今までのように潤う」と。住民にとっては、「これまで通いなれた道」は確保できる。そのためにも「新設・増設」よりは「建て替えは」が良いと。

  難しいことを語る必要はない。政府(官僚)は先を見越している。頭が良い。悪知恵が働く。

  さて、私たちは、この「たとえばなし」をどう受け止めるだろうか。その意味でも「再稼働」はさせてはならない。


 今こそ、伝える「言葉」の必要性を考える 

2014-12-16 19:59:32 | 日記
   今こそ、伝える「言葉」の必要性を考える 
 
 
  まさに、本格的な冬到来です。かつては四国高松は水不足で飲料水に事欠くときがありました。そこで高松の友人宅にペットボトルを送ったことを記憶しています。しかし、今年などは「水過剰」。さらに徳島の雪害と地球は間違いなく異常になっています。
  
  総選挙も終了しました。予想通りの結果です。社民党にとっては「政党要件」を満たすことができました。大分、そして九州の皆さんの頑張りに感謝いたします。
  よく安倍自民党の作戦勝ちとか、大義名分がない解散・総選挙という批判があります。そのことは否定しません。「クソ」と思う気持ちはあります。しかし、振り返ってみて今回の政治決戦から学ぶことが必要だと思います。私のブログの12月9日「老いの不安があってもなお投票用紙には」に書きました。自分の老後に不安を持ちながらも、医療・介護のサービス低下を法制化した自民党の候補者を入れているのです。私の周りの、そして活動家と称する皆さんは次のように言います。「なんで自民党なのだ。どうしようもない年よりだ」と突っぱねます。意識の低さをなじります。しかし、私はこの言葉、批判は正しくないと思います。貴方たちはそして私は、そのような彼ら、彼女たちに「政治の選択にあたって、反自民の必要性を伝える言葉を用意しただろうか。そのために行動をしただろうか」と問いかけたいのです。
 
  今回もそうでした。福島浜通り地区の「原発被災者」の県外に避難者、あるいは仮設暮らしをしている皆さんの多くは自民党に投票しています。2年前のあの状況下にあっても自民党支持でした。
  今般、原発再稼働が日程に上がっている地区の選挙も自民勝利です。ここまで来ると「住民の自己責任だ」と言いたくなります。ある人は言いました。「もし、今度事故があっても、電力会社・国の責任だ」などを言うべきではないと。そんな声は聴きたくないと。しかし、政党は別です。政党の責任があります。つまり、そのことを「よく伝えきれなかった責任がある」ということだと思います。
 
  今から40年前です。私が電機関係労組の役員をしていた時です。当時は合理化の嵐の中にありました。「大変だ、やられるぞ、解雇の危惧、職場がきつくなる」という情宣に努め、組合員の結束を訴えてきました。しかし、具体的に三分の一の人員縮小が提案された時、多くの組合員は自分が生き残るための道を労働組合の団結ではなく、会社・職制への繋がりに走りました。
  今、そのことを思い浮かべています。
 
  原発、放射能問題をめぐっても、低線量の数値を示し健康被害の不安を訴えます。そして東電と国の責任を追及するとなっています。その背景に「これだけの不安の材料があるにもかかわらず、何故立ち上がらないのか。何故自民党を支持するのか」となります。相手の意識の低さを「自分の尺度」からとらえます。しかし、低線量数値をもって団結は生まれません。今、ここで生きていくことを選択した多くの住民にとって「この数値に不安がないのか。ここは住めない土地なのだ」といってせまれば、迫るほど住民は離れていきます。
 
  「2025年問題」があります。それこそ市民の立場に立った検討の中から「年寄りは早く死ねと言うことなのか」と述べつつも投票用紙に自民党と書く皆さんへ伝える「言葉」の用意を急がなければならないと思います。
 
  有権者45%を占める高齢者の問題に取り組むことは戦術的に正しいと考えます。そんなことを考えながらの「総選挙」明け2日後のお喋りとなりました。