丘の上に立ったとき、想いと異なる光景は
「中間貯蔵施設」の建設、管理の費用を国費で行うという方針が報道された。
以前からも、この施設を建設するための候補地の選定や地質検査をめぐっては、地元の意見もあり暗礁に乗り上げていた。
ここに来て、国の関与を強く打ち出すことは、土地収用法の適用も含め、建設を一歩前に進めるということなのか。いずれにしても、この建設が進まなければ、除せんにしても、帰還の目途も立たないということは事実である。
中通り地区をはじめとした「低線量地区」も、仮置き場が決まらない苛立ちの中で、除せんによって排出された汚染物は「敷地内埋設」となっている。それが「最終処分場」となってしまわないかという危惧も増大している。
しかも、この中間貯蔵施設の候補地に上げられている地区からは、他の地区からの持込は認めないことを条件とする「保管庫」という主張も出ている。これは「中間貯蔵施設」とは言わない。そこに国費を投ずるという是非も生まれてくる。
敷地内埋設は個人の責任。他から持ち込ませない「保管庫」は国が責任を持つ。その様なことは通らないとする論理は当然生まれるだろう。
中間貯蔵施設の建設費には1兆円から2兆円が必要だと言う。そこに加算される除せん費用が5兆円。
さて、いつになるかはわからないが、最終処分法が決まらないまでも除せんが進んだとしよう。そこに帰還を決意する避難者の数は幾人になるだろうか。
帰れることを待ち望みつつも、将来の生活を他の地に求めた人もいる。家を修復、建築したが職を求めることの出来る人は幾人いるだろう。無念にもこの世を去った人もいる。
それらを熟慮しても、なお10兆円に迫るだろう金額を前記の目的に使うことへの疑問はないだろうか。
人生にはよくあることで、「こんなはずではなかった」と。
苦労と犠牲を重ね、歩みを続けてきて立った、丘の前に広がる光景が、自分の想いとは異なるものであったとき何を考えるだろうか。
そこに生まれ、育ち、その土地を終生の場としてきた人々にとっては無念であろう。その恨み、辛みを、新しい生活への選択と、その為の補償の要求という道に生かすことはできないだろうか。
あなたは当事者ではない。部外者だとの批判を受けるかも知れない。
その私も、仮設住宅には何度か訪問した。検問から中には入れなかったが、楢葉町を歩き、丘の上にも立った。幾人かの友人もできた。
低線量ではあるが不安が無いわけではない。一緒に悩んでみたいと思う。