丘の上に立ったとき、想いと異なる光景は

2013-10-28 14:47:03 | 日記

   丘の上に立ったとき、想いと異なる光景は

 

「中間貯蔵施設」の建設、管理の費用を国費で行うという方針が報道された。

以前からも、この施設を建設するための候補地の選定や地質検査をめぐっては、地元の意見もあり暗礁に乗り上げていた。

ここに来て、国の関与を強く打ち出すことは、土地収用法の適用も含め、建設を一歩前に進めるということなのか。いずれにしても、この建設が進まなければ、除せんにしても、帰還の目途も立たないということは事実である。

中通り地区をはじめとした「低線量地区」も、仮置き場が決まらない苛立ちの中で、除せんによって排出された汚染物は「敷地内埋設」となっている。それが「最終処分場」となってしまわないかという危惧も増大している。

しかも、この中間貯蔵施設の候補地に上げられている地区からは、他の地区からの持込は認めないことを条件とする「保管庫」という主張も出ている。これは「中間貯蔵施設」とは言わない。そこに国費を投ずるという是非も生まれてくる。

敷地内埋設は個人の責任。他から持ち込ませない「保管庫」は国が責任を持つ。その様なことは通らないとする論理は当然生まれるだろう。

中間貯蔵施設の建設費には1兆円から2兆円が必要だと言う。そこに加算される除せん費用が5兆円。

さて、いつになるかはわからないが、最終処分法が決まらないまでも除せんが進んだとしよう。そこに帰還を決意する避難者の数は幾人になるだろうか。

帰れることを待ち望みつつも、将来の生活を他の地に求めた人もいる。家を修復、建築したが職を求めることの出来る人は幾人いるだろう。無念にもこの世を去った人もいる。

それらを熟慮しても、なお10兆円に迫るだろう金額を前記の目的に使うことへの疑問はないだろうか。

人生にはよくあることで、「こんなはずではなかった」と。

苦労と犠牲を重ね、歩みを続けてきて立った、丘の前に広がる光景が、自分の想いとは異なるものであったとき何を考えるだろうか。

そこに生まれ、育ち、その土地を終生の場としてきた人々にとっては無念であろう。その恨み、辛みを、新しい生活への選択と、その為の補償の要求という道に生かすことはできないだろうか。

あなたは当事者ではない。部外者だとの批判を受けるかも知れない。

その私も、仮設住宅には何度か訪問した。検問から中には入れなかったが、楢葉町を歩き、丘の上にも立った。幾人かの友人もできた。

低線量ではあるが不安が無いわけではない。一緒に悩んでみたいと思う。

 

 


今ならできる・「明日では遅い」

2013-10-27 10:13:19 | 日記

 今ならできる・「明日では遅い」

 

「特定秘密保護法」が閣議決定。国会審議が現実のものとなった。

各報道機関が毎日のように取り上げているが、今ひとつ、はっきりしないところがある。その点、10月25日の毎日新聞の「論点」が取り上げた町村信孝元外相(特定秘密保護法案・自民党プロジェクト座長)の発言は、法案の真髄を明確に述べていると言えよう。

町村氏の発言は明確である。①情報機能を強化する法律。②英国のMI6、米国のCIAのような「対外情報調査機関。そして③情報が上がらない、回らない、漏れるとなっている組織の見直しが必要。の3点を挙げている。

とりわけ、今年1月に発生したアルジェリアの人質事件は、これらの不備が犠牲を大きくしたとし、特定秘密保護法案は、そうした必要性を踏まえたものであると明言している。極めてわかりやすい。あとはこの解説を受けて、我々国民がどう理解し、受け止めるかである。

そこで考えてみよう。

折りしも、この日の毎日新聞は別面で2件の記事を掲載している。

一つは

  米の情報機関が、ドイツのメルケル首相の携帯電話の通話を盗聴した。オバマ大統領       はこれを否定しているが、ドイツ政府は盗聴の確信を深めたと言う。ドイツの外相が、米大使を呼び抗議した。

二つは

  訪米中のパキスタン・シャリフ首相が、テロ容疑者の暗殺を目的とする「無人機攻撃の中止」を申し入れた。しかも、この攻撃が、「軍」ではなく、米中央情報局(CIA)の手によって操作されていること。そのCIAがバキスタン政府と定期的交信が続けられていたことが明らかになった。

米国をはじめとして、情報機関の活動は「臨戦態勢」そのものである。同時に、諜報、謀略をもって相手国の混乱を引き起し、そらには武器供与の役割を常に演じてきた

かつての、日本の軍部がとったアジア大陸における諜報、謀略活動はさておくとしても、現在の日本において、日本版CIAとか、MI6なる諜報機関。ましてや「謀略」機関を必要とするのだろうか。

ここに菅官房長官の発言がある。(5月29日記者会見)

「国家安全保障会議、いわゆる日本版NSCの創設に関連し、総理大臣官邸の情報収集能力を強化するために、他国との高官との接触をする『諜報員』の育成を検討する」と。

さらに、町田氏は恐ろしいことを述べている。「罰則規定懲役10年は短いくらいだ。米国などでは、敵への漏えいに対しては死刑である」とまで述べている。

今、政治の場での論議がある。重要事項・機密の指定は。公開の原則は。報道の自由や知る権利は。個人のプライバシーについては。これらの議論である。もちろんそれは欠かせない。

しかし

  問題は諜報活動である。まさに「非合法的な臨戦態勢」であり、一人歩きをしかねない「危険な組織」となった、暗黒の歴史的な背景の論議が必要である。

  普通の市民生活の中に、「スパイ」「諜報」「謀略」「不敬罪」なる言葉が流れた、かつての国家統制令(時の権力下に抗し切れない社会)を思い起こす。その論議が必要である。

  ましてや、スパイなど治安を必要とする事実が、仮に国内にあるとするなら、国民はそれを知らない、知らされていない。いつ国民がその容疑をかけられるかもわからない。恐ろしいことである。

諜報活動は「非合法・秘密裏に」が原理、原則である。

ここの論点の攻防が重要であり、国を挙げて、抗議すべき課題と思うのだが、どうだろうか。

今ならできる・明日では遅い

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「オレのことは始末してけろ」

2013-10-23 12:08:31 | 日記

 「オレのことは始末してけろ」

 

「お墓の見守りは3代まで」。お墓にお参りをして守り続けるのは3代が限度のようです。

そして、わが町では「合葬式墓地」の建設が市の事業として計画された。平成27年度に「使用者の募集」(納骨の権利を得る)が行われる。そのことについては9月20日のブログに書いた。

ここに、地方紙の記事があるので紹介したい。避難地区・浪江町に住んでいた79歳の男性である。持病を抱えていたが、それでもがんばって仮設住宅暮らしをしていたが、「俺のことは始末してけろ」といって亡くなった。しかし、狭い仮設には仏壇をおくスペースもない。放射線量の高い代々の墓には納骨できない。菩提寺に預けたが、安置するスペースもなくなっていると言う。どの寺も同様であることを報じている。

次のような投稿もある。「自宅は富岡町。町は5年間戻らない宣言をした。我が家の屋根は壊れ、雨漏り、畳は腐り、キノコが生えている。ねずみ・蛇・そして猪。私も5年後は80歳だ。戻れる状態にはない。だからと言って仮設にはいつまでもいれない」と。また「親友納骨できず。仮設住宅で死亡、故郷の墓は流された。その様な人たちのためにも、共同墓地の整備を進めて欲しい」。

前に戻るが、わが町では、市営の「合葬式墓地」が建設される。長年の望みであった。うれしいが、避難者の実情を知ると喜びも半減してしまった。

市営墓地でもあり、制限があることはやむを得ないが、収まることを希望する避難者については受け入れの環境を作ることを要求していきたいと思う。納骨堂とは別に遺骨を一時預る「霊安堂」の建設もある。

同時に、もう一つの構想が浮かび上がった。

原発立地地区は「旧双葉郡」である。ならば双葉郡内で立ち入りが自由であり、そして、背に阿武隈山系、前には太平洋が望まれる地区の丘に「双葉地区合葬式墓地公園」つくるということはどうだろうか。

春の彼岸には「花見会」。お盆には「盆踊り」。秋の彼岸には「芋煮会」。その場は、亡き人を想い、偲び。生きている者同士の「絆の強める場」ともなるだろう。

宗派は問わない「墓地公園」である。

それを知ることができたとしたら、今を、生きる避難者の心がどれだけ和むだろうか。これからの生き方も変わるというものであろう。

建設は早いほうが良い。

建設費は東電だ、国だなどをいっている必要は無い。県の予算で、しかも自分たちが収まる場だ、使用料の負担は当たり前である。

福島県知事殿、

東電、政府批判も必要だ。要求があって当然だ。県政を預かる最高責任者であるから。

同時に「県民の生き様(終活)に触れる施策」も大事だと思うがどうだろうか。

 

 


足腰の効かなくなった者の「直感」を述べる

2013-10-22 14:37:54 | 日記

  足腰の効かなくなった者の「直感」を述べる

 

東京オリンピックが決まった。

7年後とはいえ、東日本大震災の収束。とりわけ東京電力福島第一原発の収拾も先が見えない状況にあって、「東京招致の勇気ある撤退宣言」をすべきと言う提言をブログに書いた。「9月7日名誉ある撤退宣言を」。

しかし、ここにきてもまだ、東京開催に異論を唱えるつもりはない。だが一万円札をどれだけ並べることになるのだろうかと考えてしまう。

オリンピックのメーン会場となる「新国立競技場」の建設費が、予定された計画の2倍超の3000億円になるという記事を見たが驚かなかった。あり得ることであり、まだまだ増えるだろうと思っているからである。

政府は、規模の見直しと、コスト削減の検討に入ったと報じているが、果たして可能であろうか。デフレ脱却を柱とした公共事業の拡大。大震災(原発も含め)の復旧工事。そして東京オリンピックと、まさに「トリプル・コンクリート事業」である。資材の不足と労働者不足、加えて人件費増と建設費の高騰はさらに続くだろう。そして、東京オリンピック需要が優先されることを危惧をいだく。

それだけではない。一つに開催時期の「猛暑対策」がある。何を、どのようにするのか。仮に「猛暑対策シェルター」を各所に整備されたとする。多分計画されるだろう。しかし、それをオリンピック終了後も存続させるのかとなれば、答えはノーである。なぜなら膨大な電力を必要とするからである。結局は瓦礫とするしかない。もったいない話しである。

財務省は、国の借金が今年6月末で1008兆6.281億円になったと報告している。(8月発表)私たち国民にとっては、余りにも膨大な数字であり、どのように理解をしたら良いかはわからない。

高齢になると「忘れっぽくなる。手足が鈍る。我を通す。そして怒りっぽくなる」。そのようなマイナス面も出てくるが、経験の中から、疑問や危険性を直感的に感じ取ることができるのも私たちの年代である。

政府は、膨大な借金は「孫の代」に引き継ぐことになると言っているが、むしろ60歳代に突入してくる「団塊の世代」に借金の付けを回すだろうと表現したほうがわかりやすい。

今、70代後半の高齢者がたどったものがある。失業保険の給付や年金の削減。公的控除の削減と廃止、そして今、医療・介護のさらなる見直しに直面している。これで終わりと言うことは無い。

これからは、60代の団塊層が対象と考えて間違いないだろう。大衆課税(削減・負担増)は対象者が多いほど効果が上がる。この世代は800万人を超える。

これが「怒りっぽくなった」者の経験からくる直感である。

福島県中通の「へそ」、人口32万人が私の町である。昨年暮れ総選挙の投票率は県内ワースト3。夏の参議院選挙においては最下位。とりわけ60歳代の投票率は過去に無いほどの激減であった。この年代別投票率の実態は他市も共通していると聞く。それでは「格好の対象」となるだろう。

私たちの年代は、その頃はまだ怒りを持っていた。その表現として投票場に足を運んだ。

残念である。

 

 

 


  今日は何の日・10・21

2013-10-21 11:43:47 | 日記

  今日は何の日・10.21

 

朝のラジオ番組の一つである「今日は何の日」、10月21日のことである。

今年も、私の記憶から離れない「10・21」がやってきた。

一つは、1943年(昭和18年) 神宮外苑における「雨の学徒出陣壮行会」。二つは、1966年(昭和41年) アメリカのベトナム戦争介入反対のストライキと抗議行動で、全世界の労働団体、反戦団体に呼びかけた「反戦の日」である。

ちなみにネットを開いてみた。毎日新聞提供とあり、この日は、1879年・エジソン白熱電球完成。1982年・東京専門学校(現在の早稲田大学)創立。1958年・巨人軍川上哲治現役引退声明。1970年・東京銀座で女性解放運動(ウーマンリブ)の旗揚げとあった。

とりわけ私は、必ず「雨の行進」の記録を開くことにしている。戦後にして振り返ってみれば、すでに敗戦の色濃く、追い詰められた状況にあったにもかかわらず、当時の私は、日本の勝利を信じて疑わなかった「小国民」の一人であった。

参加77校。学徒2万人。そして入場口のスタンドを埋め尽くした6万5000人の女子学生。記録に残る最大の「劇場型民衆扇動の演出」であった。この若き女性のために、あるいは国を守るためにと誓っての行進であったろう。「生還を期せず」と答辞を読み上げた江橋慎四郎青年(現東大名誉教授)は、今、堅い口を開かれた。「あんな言葉を使った自分も時流に乗ろうとした一人であった。戦争は二度とやってはいけない」(毎日新聞10月21日掲載)

そして、国際反戦デイーである。一部学生の乱入事件もあったが、ベトナム反戦を掲げた職場放棄(ストライキ)をやり遂げられた政治的、社会的情勢にあったことは事実である。

今、平和憲法が危ないと言われて久しい。その中で繰り広げられている憲法論議も、例えば、竹島・尖閣問題を捉えての意識調査が行われているが、「もし日本が攻められたらどうする」という設問が増えていることに注目する。まさに、「戦争が不可避である」との石を投じておいて、その波紋の広がりを見るかの動きである。

戦争という極限に、責任を持つとするなら「戦争に至らないための知恵と工夫」を語り合うことこそ、責任を持つということではあるまいか。「戦争とは、勝つか、負けるか。そこには殺し合いと。財産も、文化も壊滅させるもの」との認識が欠けていることに危機を持つ。

雨の中を行進し、戦地に赴いた同年代の若者が、今、「戦争に行くのは、やるのは自衛隊でしょう」と簡単に答えている。調査を取りくむ、マスコミ、その他の機関により結果は異なるが、同種の回答が決して少くない事実は重要視しなけれはならない。

「今日は何の日」

エジソンの発明・川上選手の栄光の引退声明・女性のマンパワーは明るいものである。

しかし、他の二つについては深く考える日にしたいものである。