三党合意の社会保障改革国民会議
「画を描くべきでなかったのか。書かずに絵の具代の見積もりは許せない」
「必要なときに適切な場所で、最小の費用で受けられる医療に」をはじめとした医療改革。さらには「医療、介護、看取りまでの継ぎ目のない地域医療と包括ケアの確立」などを論点に上げ、8月21日までに、抜本的な社会保障制度の改革案を取りまとめるというのが「国民会議」の目的であった。しかし、その論議はいっこうに進まず、反面、政府の諮問機関である有識者会議では、「介護保険サービスの見直し」と称し「要支援1.2」(軽度の介護認定)を制度から切り離し、その後は地方自治体の裁量に委ねる。前期高齢者(70歳から74歳まで)の窓口負担2割の実施。入院費の報酬引き上げなど、国民会議に委ねなければならない、社会保障の改革各論まで手を突っ込んできたのである。
まさに「親の存在をさておき、今、小姑がしゃしゃり出てきた場面」であった。これはおかしい。またしても騙されるのかと思ったのは私だけであろうか。それよりも何よりも、民主党をはじめ野党の各党は、この政府の動きをどのように受け止めていたのだろうかと問いたい。
そして、年末総選挙において圧勝した自民党は、アベノミクスを「顔」とした経済成長政策を全面に押し出し参議院選にのぞみ、結果は承知の通りである。
何回も述べるが、三党合意の国民会議の設置は、少子・高齢化社会にあって、年金、医療、介護、少子化の4分野の、将来にわたる給付とサービスの制度(姿)を審議することを目的とするものではなかったのか。そして、このあるべき社会保障制度(姿)を、「完成、実現するために消費税を考えよう」とするものであったはずである。しかし、この合意の「杯を酌み交わした」民・自・公はその責任を果たさなかった。また、三党合意は、消費増税を先行させるだけのものと反対してきた野党も、その経過はあるにせよ、ならば設置された国民会議のあり方を注視し、注文をつけることはあってしかるべきであった。にもかかわらず、何もせずの「傍観の党」になってしまった。
そして、ここにきて結論を急ぐ国民会議は、年金課税の強化、介護保険自己負担率の増化、保険料の引き上げ、紹介状なしの外来費の増額などなど、描くべき「キャンパス」を放り投げ、「画をかかないのに絵の具代」だけを見積もってしまったのである。(年金課税を強化・国民会議報告書7.30「毎日新聞」)
ここまで来ると、もはや「増額する消費税は『社会保障費』に使う」などの公約は信用できない。よしんば回されたとして、それは赤字穴埋めであり、現在の給付・サービスは悪くなっても、良くなることはないだろう。
必要なときに適切な場所で、最小の費用で受ける医療を。
医療、介護、看取りまでの継ぎ目のない地域医療と包括ケアの充実。
この絵姿はお蔵入りとなってしまうのか。無念である。