「差し出す・受け取る『あ・うん』の関係」か。「満額回答」の言葉に悩む・・・・・

2015-11-30 11:43:07 | 日記

「差し出す・受け取る『あ・うん』の関係」か。「満額回答」の言葉に悩む・・・・・

 

 自民党の石原伸晃氏が環境相の時代に、原発事故で出た汚染土の中間貯蔵施設建設をめぐり「最後は金目でしょ」との発言に対し、当時の佐藤福島県知事は「「住民の古里への思いを踏みにじる発言。原発災害の厳しい状況を分かっているのか。信じられない」の批判をした。石原大臣の地元住民に対する謝罪の場面を思い出している。

 また民主党政権時代、町民が避難をして無人となった町を「死の街」と述べ辞任に追い込まれた鉢呂経産大臣もいる。実は、これは原発推進のフジテレビの記者に嵌められたことが後になってわかったのだが。いずれにしても、被害を受けた町民の想いは、その立場でなければわからないものであることは確かであろう。

 と言いつつも、ここにきて首を傾げたくなるが多いことにも気付く。実は双葉郡富岡町に建設を予定している「最終処分場」をめぐる町と国との協議である。この施設は、既存の民間管理型産業廃棄物の最終処分場「フクシマエコテッククリーンセンター」である。前大臣の望月環境相は、同センターを「処分事業に対する、より一層の安心の確保の観点から国有化とする」と伝え、放射性セシウム濃度が1キログラム当たり10万ベクレル以下の指定廃棄物の埋設の受け入れをあらためて要請した。さらにその実現にあたり、国は地域振興策として両町に、自由度の高い交付金を措置する方針も伝えた。これに対し施設が存在する富岡町の宮本皓一町長は「何よりも安全安心を確保するため、国の責任の明確化を求めてきた。一定の評価をしたい」と述べ、地域振興策の具体像の提示などを求めた。また、関連施設の設置などが計画されている楢葉町の松本幸英町長は「国自らが責任を持って安全安心の確保に取り組む姿勢が示されたことを重く受け止める。しっかり説明責任を果たしてほしい」と要望した。同町にはエコテックセンターへの搬入路がある。さらに内堀福島県知事も「地元の意向を踏まえた対応だ。今後内容を精査し、両町と協議を進めたい」と報じられている。

 加えて新環境相の丸川大臣は16日、雨水浸透対策の強化など安全対策を示し、地域振興策として両町の復興拠点整備費用などを国の交付金で賄う方針を重ねて示したことは、直近の報道である。

 この最終処分構想が生じて以降、町長はじめ町議会は建設に難色を示してきた。しかし、この変節は何を意味するのだろうか。そして「評価」をしたいとした知事の意向は11月24日の定例記者会見で明らかになった。「県が両県に対し計100億円の交付金を拠出するという発表であり、両町との協議を経て施設受け入れを正式決定する」という表明である。さらに県が、交付金措置を決めたことで富岡町の民間管理型処分場をめぐる議論は大きく前進する見通しとなった。宮本皓一富岡町長は、町が求める国と県の地域振興策への支援については「満額回答だ」と評価した一方で、受け入れに関しては「県と楢葉町と協議し熟慮の上決断する」と述べた。町議会は24日、議論は尽くされたとして町長の判断を尊重することを決めた。

 いわゆる「中間貯蔵施設」と異なり県外に持ち出すとする「30年法」は適用しない。該当する個人地権者もいない。そして廃棄物のフレキシプル・コンテナは幾重に重ねられ、地下深く埋設され、眠り続ける「最終処分場」である。

 科学的にも、地質学的にもどれだけの説明がなされたのか、そして住民の納得は得られたのか。そして「満額回答」と述べる地域振興策とはどういうものなのか。それが両町の住民が歓迎するものなのか。当該地域住民ではない私ではあるが今までそのことの説明があった記憶はない。

 「金目」。これは時の為政者がよく使う「魔物の手」である。沖縄辺野古周辺の3地区への「交付金という名のバラマキ」にしてもそうである。「差し出す者がいて、それを受け取る者がいる『あ・うん』の関係」と見ることは非難の受けることなるのだろうか。そして「満額回答」という言葉まで飛び出した。首を傾げたくなるとはそのことである。



  


自民党王国「福島の復活」をみる。無所属候補を引き入れ単独過半数

2015-11-27 13:09:32 | 日記

自民党王国「福島の復活」をみる。無所属候補を引き入れ単独過半数

 

   あの3.11から、あと4ケ月で5年目を迎えようとする2015年11月15日に、福島県議会選挙の投票日を迎えた。

   一時期は、多くの選挙区の「無投票」が懸念されたが、公示日が迫る中で候補者が続出、その意味では緊張した選挙戦となるはずであった。しかし、例えば、地方紙が行った候補者アンケートを見ても、第二原発の廃炉の問いについては、一人を除く全員が「廃炉」を公約と答えている。さらに、軸足を再生エネルギーの促進、地域の振興・復興を掲げてのものとなっていた。その意味では「金目」で有権者を誘う運動であり、政権党としての候補者であることを訴えた選挙戦であったと受け止めている。よって反原発、再稼動反対は争点にならず、すれ違いとなった。もちろん自民党の戦略であったことは間違いのない。

 しかも「双葉郡」に隣接するいわき地区においても争点にはならなかった。

 確かに「安保関連法」の戦いは、地方においても敏感に反応をしたことは事実である。そのうねりは消えることなく存在をしていた。それを野党候補者陣営が引き寄せられたかと言えば残念ではあるが不発に近いものになったと受け止めるは私だけであろうか。

 もちろん、自民党は現職4人を含む7人が落選。民主党は候補者が前回を7人下回る16人にとどまったが、いわき市、福島市など定数の多い選挙区を中心に15人が当選した。共産党は5議席、社民党1議席を確保したものの現状維持を守ったという数字である。そのことが、次の地方紙の記事となって報じられた。

 民主党の岡田代表は16日、記者団に「安倍政権がやっている政策を福島県民が是としていない結果だ」と指摘。これに対し菅官房長官は、記者会見で「自民党は推薦候補の当選を含めれば一減にとどまるとして、そんなに敗れたということでもない」と述べたとある。それから一月が経過した福島県政は、菅官房長官が述べた様相に、がらりと姿をを変えてしまった。

 それが「8年ぶりに自民党過半数を制する」との見出しの次の記事を見ることになる。「県議会最大会派の自民党は単独過半数の30議席を確保する見通しとなった。自民が単独過半数を得るのは平成19年以来約8年ぶり。自民は県議選で公認候補26人が当選。追加公認した3人を含め29議席を獲得していた。南会津郡選挙区で再選された無所属の星公正氏(62)が24日に入党し、25日の県連役員会で追加公認が決まる。改選前の28議席を2議席上回り、県議選で目標とした30議席を達成する。連携する公明党と合わせ33議席となる。星氏が所属していた会派ふくしま未来ネットワークは1議席減り、3議席となる見通し」(11月27日・福島民報)

 当選後に転々と政党を渡り歩くのは国会議員だけではないようだ。それにしても「何がそうさせるのか聴いてみたい」ものである。

 福島県政は自民党王国と言われて久しい。だがこの8年間、自民党は公明党を引き入れ、その他の会派の課題別提携の中でなんとか多数を維持してきた。しかし、今般の結果は自民党が息を吹き返したことになる。まさに自民党王国の復活である。

 政党との関係を切り離して当選をした県知事ではあるが、最近の「交付金政治」に身を寄せていく姿を見るにつけ、「県民党知事」をどれだけ貫けるか、一重に県民の政治性と無関係ではないことを痛感する本日の記事であった。


NHKドラマ・「破裂」を観て、その課題の重さに潰される想いになる・・・・・

2015-11-23 11:50:56 | 日記

NHKドラマ・「破裂」を観て、その課題の重さに潰される想いになる・・・・・

 

 11月22日(土)NHK総合テレビ・ドラマ「破裂」は、それを見終えた私をパソコンの端末に向かわせた。その時の私の脳裏には二つの記憶が重なっていた。その一つが「茨城県の教育施策を話し合う18日の県総合教育会議の席上で「命の大切さと社会の中のバランス。一概に言えない。世話する家族が大変なので、障害のある子どもの出産を防げるものなら防いだ方がいい。それに障害者施設では大変な人手がかかっている」という発言の報道である。最終的にはその発言は撤回されたがそれで済むものではない。 

 も一つは、ETV特集「それはホロコーストのリハァーサルであった」(再放送)という番組である。第二次世界大戦時のドイツが犯した「ナチのユダヤ人大量殺戮」の前に自国の障害者の圧殺があった記録である。当時のドイツは第一次大戦の敗北による膨大な賠償に悩まされていた。さらに世界的大恐慌は、失業と飢餓の追い打ちとなりドイツ国民は強力な政治を求めた。そこに実現をしたのが独裁政治であり国民を世界大戦に駆り立てた。そして必要なのが軍事費の調達であった。そこで目を付けたのが精神障害者・知的障害者・パーキンソン患者までも含めてこの世から消す事であった。そして40万人とも言われている障害者がガス室に送り込まれた。さらにテレビの画面はヒットラーの著「わが闘争」を紹介する。「肉体的にも精神的にも不健康で無価値な者は、子孫にその苦悩を引き継がせてはならない。国家は、幾千年も先を見据えた保護者として振る舞わなければならない」と。

 そこで、ドラマ「破裂」に戻る。

 「日本には美しい伝統があります。執着を恥じ、潔さを尊ぶ心、私は桜花のように散りたい」。国民生活省に技官である佐久間は、進歩する医療によって超高齢社会となった日本の未来を憂え、医療のシビリアン・コントロールを目論む。そして世論操作を始める。PPP(ぴんぴんぽっくり)。苦しむ老人を救う唯一の療法として「安楽死」に対する選択の自由を提案する。そのことによって終末医療費2兆円が節約されるとして「安楽死」の制定をはかる。対する医師の香村は、心不全を劇的に回復させる「夢の治療法」を開発する。

 そこで佐久間は、香村が開発した治療が「心臓の破裂」という副作用のあることを知り、これを利用することによって、老人に苦痛のない死をもたらす「老人抹殺計画」のプロジェクト《天寿》の実現を計画する。しかし、それは汚職がらみの事件と結びつき失敗する。その後、心臓の罹病をもつ高齢者が香村の下に押しかける。「助けて、救って、治して」と。しかし、その中にも「先生、死なせて」と懇願する患者の映像をもってドラマは終了する。

 さて、年を取って痴呆になったり寝たきりになったりした時、家族に迷惑をかけてしまうのはもちろんだが、看取れる家族ばかりでないのも確かである。「自分の足でトイレに行けるのが幸せだ」と。元気に動き回って、食べたいもの食べて、そんな中である日突然、痛みや苦しみを感じることもなくあの世へ行くことが出来たら・・・」。理想的な死の迎え方なのかなと思う。

 「ぽっくりさん参りツアー」というものがあった。かく言う私の母も参加した。私も付き添いで行ったのだが、鎖を伝わって上り詰めた先のお地蔵さんにお参りをする。その時の母の穏やかな顔を記憶している。その功徳があったのか、どうか。その母も突然の発症、そして3ケ月の入院先のベットで逝った。

 8年後の2025年、戦後の団塊の世代が一斉に「後期高齢者」に突入する。年齢相応の医療費・介護費の増大が今から叫ばれている。そして自らの心の内を探ってみる。すると、案外と佐久間の意図が、私の心の中に秘かに存在をしていることに気付くのだが、これは私だけであろうか。

 まさに重たい課題のドラマであった。

 


「みしらす柿」の渋抜き・豊穣の秋を思う

2015-11-18 19:59:06 | 日記

「みしらす柿」の渋抜き・豊穣の秋を思う

 

   今年も柿(みしらず)の渋抜きをした。何故か今年は落葉が遅く、柿の実は赤くならないまま時が過ぎていった。そんなわけで本日、最後の摘果を完了45度の焼酎を「ヘタ」につけビニール袋で密閉、その後10日間を待つことになる。

 「みしらず」。身の程も知らずにいっぱい実をつけるところから名がついたといういわれがある。確かに豊作の時などは枝がおれんばかりの実がなる。

 私の家にはもう一本の柿の木がある。それは所帯を持った時義父が記念に植えてくれたものである。ところが居を移す時に植え変えたためか、柿の実は以前より大きく見事なもの変身したが残念ながら数は少ない。妻は肥料が足りないと言う。しかし、根は自宅の縁の下、お隣の土地の中まで伸ばしている。根元に追肥をしてもいかがなものかとそのままにしている。

 さて「みしらず」のほうだが、渋抜きをしては知り合いに配ってきた。しかし、あの原発事故以来配ることにためらいが生まれた。その年は、周りの柿、リンゴ、梨、ブドウ、キュウイなどなどあらゆる果実はそのまま冬を過ごした。

 今もって「風評被害」は続く。昨年の事であるが所用があって関西に赴いた。お世話になった方も少なくない。以前であれば、お酒の好きな方には地酒、甘いものが好きなことには地元の銘菓ということになるだがこれもためらった。そして手にしたのが「東京名物」である。味気の無い買い物であった。

 昔からよく言われているものに「地元の食材・旬の食材」を大事にするという言葉がある。自分が住む足元で育ったものを、しかも「旬」のものを食べるということがいかに体に良いかということを述べたものである。

 農民は、自分が耕している土を口に含む。確かにそのような姿を目にしたことを覚えている。またこんなこともあった。田植えをした後は西風が吹くことが多い。その風は苗を揺さぶりながらいろいろなゴミを田の隅に集める。農夫はそのゴミを手ですくい畔に積む。そのような光景を朝のジョギングの中で目にすることがしばしばあった。声を掛けたことがある。すると「我が子は可愛いから」と言う答えが帰ってきた。その方は今はもういない。

 春が来て、木の芽が吹き花芽がつく。そして葉が生い茂り、やがて実が大きくなる。この自然のサイクルの中で今年も迎えた「柿の渋抜き」である。

 人々から敬遠される「柿も寂しかろう」。そんなことを考えながら今年の「渋抜き」は完了した。「みしらず柿」一本の木から摘果した数は360個、子だくさんの力の偉大さを痛感する。豊作とまでは行かないが「まあまあの出来」今月末には「お礼の追肥」をする。

 それは、来年も花を見たい。実もみたい、そして旬の実を味わいたい。そんな連続を期待する2015年11月中旬であった。


首を切って、閉鎖された内部で派遣労働者が働いている・ドイツにおける労働状況

2015-11-16 14:02:41 | 日記

首を切って、閉鎖された内部で派遣労働者が働いている・ドイツにおける労働状況

 

   最近のマスコミのあり方、とりわけNHKに対しては強い不満と不信を持つ。籾井会長はじめ、経営委員のメンバーの行動や発言に対する不信は今もって消えない。一時は受信料の支払い拒否を考えたりもしたが、幾つかの特別企画を観ると「それでも頑張っているスタッフがいる」ということを知り通帳から引き落とされるのを認めている。

 その番組の一つに「BS世界ドキュメンタリー」がある。録画をしておき後日に観るのだが、10月28日深夜0時からの『底辺への競争』(再)はショッキングな内容であった。

 「自由化の闇」まさにその通りである。アイルランドの人材派遣会社が、西ヨーロッパの工事現場に東ヨーロッパの国の労働者を送り込む。1人のポーランド人が映像に現れる。自国には仕事が無い、そこでポーランドの派遣会社と契約をしてドイツの工事現場に派遣された。そして作業中重量物の落下を受けて重傷を負う。しかし、治療費も補償もない。そのまま自国ポーランドに送り返された。その派遣会社は所在を転々と変える。交渉をしようとしてもつかまらない。そして応じない。

 また、他国から派遣労働者を受け入れているドイツでは現地の労働者の失業が急増している。ある精肉工場に勤務をしていた労働者は解雇された。そして工場は閉鎖された。しかし、閉ざされたその内部では肉牛の解体作業が行われている。そこには安い賃金で働く派遣労働者がいる。そのようなことが罷り通っている。

 今のEU諸国間では、モノやカネが自由に移動できるようになっている。同時に労働力もまた流動的である。貧しい国の安い労働者が、ドイツやデンマークといった富裕国へ流れることで、その国に元々住んでいた労働者の賃金が下がり、これまでと同じ生活水準では暮らせなくなる人が増えていることを映像は語っている。

 日本でも中国人や東南アジア系の人がコンビニなどで働いている。EUの場合は、自由化協定があるというだけでなく「下手に言葉が通じる」ということもあって出稼ぎの敷居がとても低い。黒幕は人材派遣会社である。安い労働者を雇い、派遣し、ひらすら使い捨てるだけというビジネスが蔓延している。

 日本においても「労働者派遣法」をめぐる論争が続いている。何故、派遣会社がつくられるのか。そして、一流企業と言われる職場に労働者の派遣を受け入れるのか。「合法」という形態を取りつつも「中間搾取」は間違いなく発生している。受け入れる企業は、派遣会社に支払う契約金(労賃ではあるが、経理上は物件費として計上)をもって直接労働者を雇い入れたらどうか。雇用契約を結んだら良い。しかし、これまでの論議ではこのことには触れていない。

 さらに多重請負の問題がある。原発事故の後処理の現場では6次までの下請けが存在する。そして下請け構造が下層にいけば行くほど賃金は値引きされる。中間搾取をされている。そして現場の安全衛生管理も著しく低下する。

 ドイツの精肉企業が、現地の労働者の首を切り、他国からの低賃金労働者を受け入れる。これはなにもEUの問題ではない。それは日本における数年後の姿かもしれない。近代的労使関係は、労働組合の存在とその組織力が強まることによってはじめて成立するものであることをあらためて認識すべきであろう。

 今、職場を離れて20年になろうとしている私だが、まず既存の労働組合にそのことを強く望みたい。