「 敵基地への先制攻撃はあり得る」・中谷防衛大臣

2015-06-30 09:29:21 | 日記

「 敵基地への先制攻撃はあり得る」・中谷防衛大臣

 

  NHKテレビの日曜討論(6月21日)を見る。司会者が幾つかのテーマを提起し論議を巻き起こしていた。その一つに「わが国を取り巻く安全環境の根本的な変化」について各党の発言を求めた。相も変わらず自・公は「もはや一国のみで、平和をまもることはできない」という論理をもって「集団的自衛権の行使」の必要性を強調していた。では「一国のみで、日本の安全環境を守ることができないほどの環境の変化を具体的に説明すべき」という野党の問いに対し、谷垣自民党幹事長は「北朝鮮の脅威と、それに対する防護は、もはや日本国のみで防げるものではない」と発言をした。今までは具体的な国名を上げることを超著してきた政府も、ここにきて具体名を上げなければならないところまで追い詰められたということなのだろうか。

  では問いたい。

  確かに北朝鮮は、後ろ盾になっているロシアから輸入した潜水艦をミサイル発射可能な新型潜水艦に改良をしたと報じている。SLBMは核兵器の運搬手段となり得る。現在は、初期段階の開発であるとは言え、最終的に成功すれば日米韓の安全保障体制にとってさらに脅威となる。それだけに北朝鮮の核問題をめぐる日米韓は、深刻な問題に直面するという報道も紹介されている。また韓国の新聞聯合ニュース(6月19日)は、韓国軍関係者の情報として「北朝鮮は19日午後、東部の日本海沿岸部から北東方向の海上に短距離ミサイル1発を発射した。さらに2日連続で短距離ミサイルを発射した。その狙いは北朝鮮の新たな挑発行動というよりは、通常の試験発射・訓練であるとの分析にたっている」と報じている。

  その受け止め方については、異論も含めた分析は必要であろう。私自身も事の詳細を知りたいという気持ちはある。しかし、「戦争とは、挑発行為、または先制攻撃であるか、否かとは別に、ボタンのかけ違いによって起こしてきた」という事実を歴史は証明している。

  あらためて考えたい。戦争を始めるときはいつでもそれなりの口実を考える。第二次世界大戦のときは「国を守るための聖戦」とした。「アジアの諸国を植民地支配から解放する(大東亜共栄圏)」ためとの理屈をつけた。そしてアメリカの大量破壊兵器を口実にしたイラク戦争もそうである。そこにきて「同時多発テロ」を受けて怒ったアメリカ国民は、何の疑問も持たずに国を上げて戦争に突入した。結果はどうであったろうか。

  そして戦後70年の今、しかも国論を二分する安保法制法案が浮上しているこのとき、日本の防衛相が、北朝鮮の基地への先制攻撃の可能性を示唆した。6月17日のフジテレビの番組に出演した中谷大臣は「北朝鮮が米国をミサイルで攻撃した後に追加発射を準備する場合は『集団的自衛権』を発動して北朝鮮の基地を攻撃できる」と話した。 その主張は今始まったことではない。北朝鮮の基地に対する先制攻撃の必要性は2013年初めから台頭している。だが同年に発表した10ケ年防衛計画「新防衛概要」からはこのテーマは外れている。事実上議論の対象から除外されていた。また先月発表した日米防衛協力のための指針(ガイドライン)でも「米国に向けたミサイルに対する迎撃」は言及されたが「敵基地の攻撃」は対象外だった。それにもかかわらず日本の防衛相が公開の場で「敵基地の先制攻撃」を取り上げたのは異例だ。

  過日のフジテレビ番組(プライムニュース)の中で石川健治東大教授が幾度も「立法事実」を示さず観念的答弁に終始する安倍首相の姿勢を問うていた。そこでこの言葉の意味するところをネットで調べてみた。次のように説明されている。【「立法事実」とは、立法的判断の基礎となっている事実であり、「法律を制定する場合の基礎を形成し、かつその合理性を支える一般的事実、すなわち社会的、経済的、政治的もしくは科学的事実」(芦部信喜、判例時報932号12頁)と解説されている】

  簡単に言えば、どうしてその法律が必要であるのかということ、それを支えている事実というであり、そのことを具体的に説明をしなければならない。とするなら「法律を提案する内閣」はその説明責任を果たさなければならない。安倍内閣は今後も曖昧な対応を続けていくだろう。そして時間稼ぎをする。それが許せない。


報道への圧力・官房長官発言・自民党支持者の離反に共通点を見る

2015-06-27 11:39:25 | 日記

 報道への圧力・官房長官発言・自民党支持者の離反に共通点を見る

 

  6月26日(金)の毎日新聞に掲載された3つの記事に注目した。一つは「広告収入断ち懲らしめよ」という見出しの「自民党中堅・若手」と称する40人余の勉強会での発言の記事である。二つが70年談話をめぐり「事前に中国や韓国との調整をする必要はない」と断定した菅官房長官の発言。そして三つには自民党山本幸三元副経産相の長期延長に対する批判と、地元支持者から「自民党支持をやめる」という手紙が届いたとの紹介談の記事である。

  小さな扱いの記事であったが、全て今般の安保法制法案の論議にかかわる問題であると受け止めた。案の上、その日の「平和安全特別委員会」での論戦の俎上に上がった。この内容はNHKの国会中継でも報道されている。本日の新聞各紙においても取り上げられているので詳細は省略するが、どうしても看過できないものとして「政権に批判的なメディアに関し『マスコミをこらしめるためには広告料収入がなくなるのが一番」という発言が出席をした自民党議員から出た事にある。しかもその発言が若手の政治家から出てきたことにある。まさに憲法軽視どころか、憲法の基本である「憲法とは政治を縛るものである」とする立憲主義を否定するものであること。それが現在の自民党政権の本質を見事に暴露したものだと言うことである。

  しかし、ここにもう一つの悪霊が現れた。それは松井一郎・大阪府知事(維新の党顧問)の発言である。「自民党議員の勉強会での百田尚樹氏の発言をめぐり「(メディアに)『圧力をかけよ』と言ったのは自民党。自民党をたたくのはいいが、講師として行った百田さんにも表現と言論の自由はある」と擁護した。さらに「ここぞとばかりに復讐(ふくしゅう)だな。朝日(新聞)と毎日(新聞)は、百田さんの表現と言論の自由を奪っているのではないか。圧力をかけて」などと。発言についての報道にも疑問を呈した。大阪府庁で記者団に語った。(6月27日朝日新聞)

  彼は一般人ではない。政党の幹部であり、政治家である。

  そして菅官房長官の発言である。もちろん日本国の政治的主体性は大事にしなければならない。これを失えば隷属となる。だが未だ明確にされてはいないもの、8月に明らかになるだろう「70年談話」については、アメリカのみならず、この間訪問してきた各国首脳に対し、安倍首相は「歴史認識」に対する理解を求めることに取り組んできた。いわゆる「支持を求めづけるための予防線」を張ってきた。しかし、本来そのことが一番必要とする国(首脳)に対しては、それを省略してきただけではなく、ここにきてさえもその相手には、「問答無用」としか読み取れない官房長官の発言に、自民党の本質の変化を見るのである。

  最後に山本幸三議員の発言である。彼は党内ハト派とされる「宏池会」(岸田派)に所属する。地元の支持者もその政治姿勢を受け入れてきたのであろう。だからこそ山崎拓元副総裁をはじめとする保守派重鎮の声明にも心打つものがあり、それが「今のままでは支持しないぞ」という発信ななったと受け止めたい。そしてそれを公表した山本議員の政治性にも重いものがあったと判断する。

  ところが、時を同じくして「宏池会」メンバーによる「過去を学び『分厚い保守政治』を目指す若手議員の会」が会合を計画していた。それが2日前に急きょ中止された。同じ日に、しかも片や開催、片や中止である。この日は漫画家の小林よしのり氏を招いて5回目の会合が予定されていた。小林氏は「自衛隊を軍隊と位置づけるべきだとの立場から、改憲を主張する保守派の論客」である。憲法の解釈を変更して集団的自衛権を使えるようにした安倍首相に批判的な立場だ。「小林氏を呼べば、政権批判をされ、憲法学者が法案を違憲だと指摘した二の舞いになる」との圧力があったと受け止めるのが正解であろう。小林氏は朝日新聞の取材に「会合中止は国会が空転しているから、と説明されただけだ。執行部への抵抗勢力になるのが怖くなり、負けたんだと思う。自民は全体主義になっている」と語ったとある。

  こうしてみると、安倍自民党の実態が明らかになってくる。この間の安保法制論議ではまともに答えていない。かみ合っていない。だから国民は理解できない。安倍首相はそれは承知しているのではないか。その上で「かみ合わせなない論議」をもって時間稼ぎの戦術をとっていると考えたらどうだろう。最後は「数」である。今からそのことを警戒する必要があると思う。 

 


絵が描かれていないのに画廊の主は日取りを決める

2015-06-26 16:21:32 | 日記

 絵が描かれていないのに画廊の主は日取りを決める

   訪問看護・介護の体制が見えないのに病床を減らす政府

 

  政府は、現在ある全国の病院のベット数(134万7000床)を、2025年に向け約15万から20万床削減する方針であることが判明した。(6.12毎日新聞)そして年間40兆円と言われる国民医療費の削減を図るとされている。中でも千葉・埼玉・東京・神奈川・大阪などではベット不足のため今後は増床が必要であるが、その他は過剰であるとして30パーセント前後の削減が迫られると解説している。そのことは約30万人程度の入院患者が、病院から介護施設や自宅での在宅医療にむけられることを意味する。よって、政府はそれに対応できる条件を整備すると述べているが明白ではない。

  そこで病院から自宅、あるいは施設に移るとされているが、まず施設への入所は困難と見るのが妥当であろう。そこで自宅療養となる。この問題を語るとき、必ず取り上げられるのが核家族化・高齢化の実態である。あらためてその実態を見る。2015年度における65 歳以上の世帯は2.242 万世帯(全世帯の44.7%)である。それを世帯構造別にみると「夫婦のみの世帯」が697 万4.000世帯(31.1%)で最も多く、次いで「単独世帯」が573 万世帯(同25.6%)、「親と未婚の子のみの世帯」が444 万2.000世帯(同19.8%)となっている。(平成25年 国民生活基礎調査)

  その世帯構成にあって「自宅療養・自宅介護」というものがどのような結果を生むかは、多くの深刻な事例が新聞紙上に書かれている。まさに「介護・看護難民」であり、「老人貧困の物語」である。そこで一番の悩みが「療養病床」であろう。慢性期の疾患であるが医療行為も必要であり介護も欠かせない。私の知人の母親は5年にわたりこの病床にある。受け入れる施設もない、だからと言って自宅に戻すにしても看る人がいない。これもドキュメント番組で報道されたことであるが、退院を決断するにあたって、主治医は必ず家族に集まって頂くことにしているという。自宅に戻した場合、介護にあたるキーマンを定めて欲しいからである。その旨を連絡し集まってもらうのだが、大方は決めきれいまま病院に集まり、主治医の前での家族論争になるという。悲しいことであり、悩ましいことである。しかしこれも実態である。このような療養病床は全国で34万床ある。それを2025年までに14万床を削減し、さらに20万床削減まで持っていくというのも政府の方針である。

  では、そのためにどのような施策があるのか。政府は整備を図るとしているが、例えば訪問医療(主治医の指示に従い訪問看護・訪問介護の体制)である。これが整っているかと言えば皆無に等しい。ここに私の市がかかげている「平成27年から29年に及ぶ高齢者福祉計画・介護保険事業計画」なるものがある。ページを開く。「看護小規模多機能型居宅介護」という見出しを読む。「利用者の状態に応じて『通い』『訪問』『泊まり』のサービスを提供する小規模多機能型居宅介護に訪問看護を組み合わせ、柔軟な対応のサービスが必要です。特に褥瘡の処置・胃ろうなどの経管栄養・退院直後の医療管理を行います。さらに自宅療養に対し必要な訪問看護を提供します」と書かれている。

  しかし、何回となく述べてきたことである。「わかった。十分とはいかないまでも、その体制をどうしてつくるのか」ということに対する回答は用意されていない。絵筆と絵具を持ってもキャンバスの前にたって「絵を描かなければ始まらない」。私たちは「その絵を見たい」のである。にもかかわらず「画廊の主人は、絵が仕上がるか、どうかは関係なく勝手に展覧会の会場、日取りを決めている」。「病床削減・医療費削減」の数字を並べる政府は、まさに無責任な「画廊の主」と同じである。

 


言葉が通じない・死んだ国会は閉じるべきである

2015-06-22 09:01:40 | 日記

言葉が通じない・死んだ国会は閉じるべきである

   日本領域外の米艦船に対する「集団的自衛権の行使」について

 

  安倍内閣は、国会終了の三日前に過去最長の期間延長を提案し決定した。これを歴代内閣と読み替えれば、会期の延長も、そして「集団的自衛権の憲法解釈の変更」も歴代内閣では考えられない異常なものと言える。まさに憲政史上の悪例として記録に残るものになるだろう。そして次は何が出てくるのだろうかと危惧するのは私だけであろうか。

  さて、この95日間という延長の意味を、安倍首相をはじめ一任を受けた谷垣自民党幹事長は「丁寧な議論を尽くすことにある。熟議国会としたい」と説明している。ではこの間の国会論議は何であったのだろうか。この疑問に対する説明無くして「どこに丁寧・熟議」があるのかと言いたい。「ごめんなさい。今までの論議に丁寧さが欠けていました」というのであろうか。それとも「目標の時間までひたすら稼ぎ、後は数による強行採決をするのか」と訝る。国民の大多数はそのことを望んでいない。さらにコロコロ変わる答弁と最後に繰り返される新三要件の答弁にも理解もできないし、飽き飽きしている。マスコミもここをもっと強調すべきであろう。

  NHKは「国会中継に関するルール」があるとして「特別委員会の中継」を番組に取り入れない。とりわけ「平和安全特別委員会」に関する報道は、ニュース番組でも無いに等しい。そこでもっぱらネット中継を利用する。その中で見て取れるのが、野党の質問に対する首相・防衛大臣の答弁である。まず、まともに答えていない。それどころか個別的自衛権行使の対象として、日本への武力攻撃が発生または発生する危険性が高まった「武力攻撃事態」。あるいは攻撃が予測される「武力攻撃予測事態」。それ以外で国家・国民の安全に重大な影響を及ぼす「緊急対処事態」などの関連法が次々と飛び出す。しかもある時は関連し、あの場合は分離した応答が続く。

  また、これらとは別に「存立危機事態」の規定が飛び出す。その上で「存立危機事態」が起きた場合でも「防衛出動」ができるように自衛隊法を改正すると提案している。これら一連の法案を一括、ごちゃ混ぜに提案されている。しかも答えをはぐらかす。そしてコロコロと変わる。これでは国民の理解が得られないどころか不信をいだくのは当然であろう。その典型的な事例を麻生副総理が提起をしてくれた。「国会議員の地元の皆さん方は理解ができないと言っている。そこで勉強会を開いて頂き講師を派遣したが、それでもわからないと言っている」と。

  そこで、あらためて論議されてきた質疑応答の一例に触れてみたい。

  「日本海の日本領域以外にある米国艦船が某国から攻撃を受けた。そこで米艦船を守り、共同して某国に攻撃を加えるため、自衛隊に出動命令(武力行使)を行うことができる」という事例に対する応答がある。質問者は「日本が直接攻撃を受けていない。しかも領域外である。にもかからわず防衛大臣は自衛隊に武力行使の発動を命ずることができるという。ではその判断をする事態とはどのようなものなのか。具体的に説明せよ」と。この質問に対する防衛大臣の答えは「領域外にある米艦船とは言え、その艦船への攻撃が新三要件である『国の存立が脅かされ、国民の生命・・・・』・『他に手段が無い』・そして『最小限の武力行使』」に当たる場合をもって判断する」と答える。そして「政府としは、座しても自滅を待つということは許されない」と付け加える。

  質問者はさらに詰める。「攻撃を加えるということは反撃も覚悟をしなければならない。その反撃が外国にいる日本人の犠牲を生み、さらに日本領土内へのテロ攻撃が加えられることもあり得る。それだけ重たいものである。防衛大臣の判断基準を具体的に説明すべき」という論議の委員会席上で、総理大臣席からの「ヤジ」が飛び出す「おまけ」までついた。

  「言葉か通じない国会・死んだ国会」。このことを繰り返すのであれば延長国会は意味が無い。直ちに国会を閉じるべきである。

 


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2015-06-21 19:34:41 | 日記

再、再度「労働者派遣事業」の非社会性を考える

  派遣労働受け入れ企業の旨味をどうして跳ね除けられないのか

 

  労働者派遣法案が衆議院を通過し参議院に送られた。ここに至って「維新の党」の政治姿勢には疑問を超えて怒りさえも感じる。維新が野党共闘を放棄し「健全野党」と称する『ポジション』を得ようとした。それが民主党との共同提案をはかってきた「同一労働・同一賃金の法案」を単独で修正、それを自・公に受け入れを求め「法案決議」の場をつくられた。いわゆる「与党に手を貸した維新」。それが今回の派遣法改悪法案の衆議院可決の背景である。

  では、「手を貸した」とされた同一労働・同一賃金法案に対する自民党は「均等な待遇及び均衡のとれた待遇」と「勤続年数や責任の重さを考慮する均衡待遇」という文言を入れる修正をもって維新への回答とした。まさに「似ても非なる骨抜きの中身」である。そのことは6.12のブログ(まだ間に合う。維新は軌道修正を)に、維新は「現場の賃金体系を知らな維新」に対して、自民党は良く知っているということを書いた。さらにさかのぼるが、「派遣労働者の存在の旨味にメスを入れよう」(2014・11・13)というものがある。つまり、受け入れ側の企業の節税対策(消費税)になる。そこにメスを入れなければとならない。そして、ここが「派遣労働者を物とみる」理念にあると付け加えた。

  そして、どうしても述べたいものに「なぜ受け入れ企業は、自らの責任で労働者を雇用しないのか。かつては、もちろん今もあるが、臨時対用として直接雇用をしないのか。「何もマージン会社をつくる必要が無いだろう」という、そもそもの原点にメスを入れなければならない。しかし、私の知る範囲ではその討論がなされたという記憶はない。良識の府である参議院の見識に期待をしたい。

  そこで、一つの事例を所依介する。かつて提起した中身であるがあらためて添付したい。

「社団法人・日本人材派遣協会資料による」

★派遣会社が、受け入れ側に請求する額(派遣料金)1時間・2050円 

★派遣会社の経費(社員の給与・事務所費・社員福利厚生費・広告費など) 285円 

★派遣者の有給休暇費・雇用保険・労災保険会社負担109円 

★派遣者の賃金1435円 ★社会保険料会社負担191円 

★営業利益30円

   派遣受け入れ会社は派遣料金を払う(派遣受け入れ会社は「仕入れ費」として計上、例示では2050円である)。派遣会社はその金額を上記のように計上する。1時間あたり2050円/時を受け取りながら、労働者に支払うのは1435円である。

  誰が一番得をしているのか。一目瞭然であろう。派遣受け入れ先は派遣料金を払うことによって必要な時に、必用な労働時間を、雇用主の責任(労働者の安全・教育・労務事務)を持つことなしに「丸投げの雇用」を得ることができる。そして使い捨て勝手の労働者管理ができる。これほどの旨味はないだろう。そして派遣会社である。事務可能な20平方メートル以上のスペースがあれば営業ができる。これでは「雨の後のタケノコ」よろしく全国に広がったことは当たり前である。政府はこのことを問題視し「届け制から許可制」にしたと胸をはる。そんなこしは枝葉の問題である。

  労働者派遣法は、まずこれらの視点からの論じられなければならないのではなかろうか。あらためて提起したい。