老いてこそ、メールを通した言葉のやり取りを大切に
とにかく、70歳を超え80に近づけばいろいろな病名がつくことは覚悟しなければならない。「おたおた」すべきではないと言いつつも、今や情報の氾濫している時代、良くも悪くも気になるものである。
久しぶりに訪ねてきた孫に言う。「爺ちゃんも年だね、いろいろな勲章をもらうよ」と。それに対し「爺ちゃんの年齢ではまだ良い方だよ」と慰めてくれる。夜泣きをする子であった。母親に少しでも睡眠を取らせようとして、家内は子どもを抱き、自動車に乗って夜中のドライブをしたことが思い出される。その子が年寄りを配慮する言葉を使うことができる年齢になったことに、ありがたい想いをしたひと時であった。
さて話題は変わるが、今やパソコンは日常的な道具として使われている。この「交信手段を使わない手はない」ということを提起したい。もちろん手紙もある、自筆の手紙は嬉しい。そして相手の人格を意識することができる。また電話がある、機械を通すとはいえ肉声には親近感をもつ。そのことは、ネットの時代とはいえ大切にしたいものである。しかし、経費、速効性も含めバソコンを使わない手はない。
ところでパソコンの普及率である。2015年の調査によれば60歳以上で56.8%となっている。これは予測を超える数字である、ではそのパソコンの活用先はどうかである。それは本人の関心事によるものであり他人の口出すことではない。しかし、「言葉のやり取り」としての活用は重視したいと思うがどうだろうか。
ここに、私ごとであるが、友からの返信を紹介したい。
「ご連絡有難うございます。多少想定外ではありますが、小生もそうですが種々起こりうる年齢と割り切りましょう、大なり小な70を超えると抱える事案と思料します。小生、今月初めの健診では特段の異常は有りませんが、来月11日に狭心症の定期(6か月)を受診します。今の所自覚症状はありませんがMRIでどの様な結果出るかですね。楽しみは大兄の安全確認をしてからゆっくり忘年会をしましょう。とにかくお大事にして下さい。大丈夫ですよ。頑張りましょう」
メール画面とは言え、ありがたさを痛感する「言葉」である。
「老いてこそ、尚の事『言葉の発信』を重視し、続けたい」ものである。