再び提起したい・国民の目に触れることがなかった「共謀罪審議の法務委員会」

2017-05-21 16:52:49 | 日記

  再び提起したい・国民の目に触れることがなかった「共謀罪審議の法務委員会」

 

   多少は風があるが、日差しは明るい。庭の柿の葉もあっという間に広がり花芽をつけている。今年は「生り年」かも知れない。しかしそのうち多くの実が落下する。これは防ぎようがない。悔しいが一つでも多くの実が残ることを願う。

   またテレビをつける。「昼ドラマ」の番組が幾つもの局の電波を通して報じられている。若干下火となったとはいえ「眞子さまの婚約」の報道も続いている。同時にベトナム国籍の少女殺害事件などの悲しい事件も報じられている。それでも国民の多くは総じて平和な雰囲気の中で、穏やかな日常を過ごしているように見える。

   しかしその中で「日本の国の在り様が大きく変わろう」としている審議が国会で行われていた。つまり共謀罪をめぐる審議である。安倍首相は「予算委員会が審議の場ではない。しかるべき場での丁寧な審議をする必要がある」と強弁していた。ではその場である「法務委員会」がどのような事態を呈していたかを取り上げたい。

   ◆4月12日から法務委員会が再開された。政府は所管大臣である「金田法相」の回答を危ぶみ、政府参考人して「刑事局長」の出席を委員長の独断によって決定した。この種の国会ルールは前代未聞のことであるとした野党の抗議が4月19日の委員会の場で展開された。    

   ◆4月21日「刑事局長のそもそも発言がある」これに対し野党議員からは「一般人が嫌疑の対象となる可能性が大である法律の説明に「そもそも」という説明は納得ができない。「懲罰法規」は国民が理解、納得できるものでなければンらないはずである。そして「一般人が処罰の対象になるのか」についての討論の中で政府答弁が分かれるという事態が判明する。◆それが4月25日・28日の法務委員会であった。

   ◆そして5月8日の「予算委員会」がある。民進党の長妻議員の質問に対する安倍首相の口から「読売新聞を熟読せよ発言」が飛び出す。

   ◆5月12日、ここでも一般人の処罰対象をめぐる論議が展開され、政府答弁の不一致が飛び出す。◆5月16日の参考人審。

  ◆金田法相不信任をめぐり5月17日は休会。◆5月18日の本会議において金田法相の不信任を否決。◆5月19日の法務委員会、またもや多数の横暴による審議打ち切りの動議の提出と強行採決を行われた。

   安倍首相はしかるべき場で丁寧な審議をと述べた。しかしその審議の場を国民は見聞することはできなかった。つまりテレビ中継も含めて、マスコミの報道には乗らなかったのである。ゴールデン番組といわれる午後7時のNHKのニュースにおいても取り上げることが少なかった。むしろ皆無と言っても過言ではない。

   麻生副総理(財務相)の言葉がある。「憲法は、ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気づかないで変わった。あの手口に学んだらどうかね」という発言である。

   連日取り上げられていた「共謀罪」、いわゆる「テロ準備罪」のニュースが法務委員会が開催されるや否や、その情報は消えてしまった。唯一得られる情報はインターネットの中継であった。どれだけの国民がそれを知る手だてを持っていただろうか。

 そしてもう一つの事実を思い出す。当時改定が強行されようとしていた「日米安保条約」をめぐる激しい抗争のあった1960年である。安倍首相の祖父である岸信介総理は次の言葉を述べている。「今夜の東京ドームのナイターには多くの国民が詰めかけ楽しんでいる。国民はすべてが反対をしているわけではない」と。

  「明るい日差しが、実は闇に通じのものであったことを知ることにならなければよいが」と。今後の参議院の審議に注目していきたいものである。


今様落語・「題して・忖度について」

2017-05-20 14:33:23 | 日記

      今様落語・「題して・忖度について」

 「殿、ただ今玄関に、『○○氏と申す者が、殿にお目通り願いたいとして』が参っています。聞きおよびしましたところ、しばしば殿にはさるところでお会いをしているとのことです」と。

 その言葉を受けた殿は「うむ」と言ったままで奥に行ってしまった。家来は殿が「うむ」と言って奥に行ったとしても「捨て置け」との言葉がなかった。殿の「うむ」の言葉は「通せ」という言葉として受け止め奥の部屋に案内をした。○○氏は、殿の面前に深々と頭を下げ「お懐かしゅうございます」と述べる。殿は再び「うむ」とつぶやきそして席をたった。

 やがて○○氏は、家来に対し一つの頼みごとをする。家来はこれまでの状況からして、殿も承知のことと受け止めその頼みごとを受けとり実現をさせてやる。

 さてこれからである。殿は「うむ」としか言っていない。家来にとってはその○○氏と殿の関係はそれだけのことである。しかし、家来は「殿の意思が、良きに計らえ」と受け止めた。

 ○○氏の頼みごとが後で問題となる。家来は「殿の意思」と受け止めた。殿は「会う」とも「通せ」とも言っていない。しかし「さるところでお会いをした者」となれば、家来はその言葉を重く受け止めるのも当然だろう。

 結果して、その責任を証明するものは何もない。

  「鍵」は三つある。

 一つは、「しばしばお会いをしたことがある」ということである。会ったことがあるということだけで、その関係の深さを説明していない。たまたま会場にいただけなのか、言葉をかけたものなのか。その言葉もどのようなものであったのかも説明されいない。

 二つは、「殿の言葉」である。「うむ」とは何を物語るのか、この説明はつかない。読み取る側の判断である。

 三つは、説明のつかない言葉を「殿の意思」と、とらえた家来の早合点である。しかし早合点として家来に詰め腹を切らせることができるだろうか。いかに名奉行と言えどその裁断は下せないだろう。この「落語」をどのように締めくくるか。その「落ち」は難しい。

 さて現代に戻る。米国のオバマも大統領の任期の2期8年を守った。というよりは任期は2期8年と法律で定められている。つまり長い政治の歴史の中で「長期政権」は「権力の拡大」を生み、その拡大された権力が議会をいいように操り、国民を縛る結果になることを禁じた「政治の知恵」が働いたことによる。それが三選禁止の法律であると受けとめる。

 安倍首相は与党の総裁と総理大臣を巧みに使い分ける。総裁は「公認の裁断権を握り、結果して党の人事を握る」。総理大臣は「閣僚の任命権を持ち、解散権も握る」。そして安倍首相の三選を確実にしたかに見える。そこには強大な(殿の)権力が生まれる。

 昨今の日本の政治の実態を、あらためて考える必要があるのではなかろうか。

 


国民の目に触れなかった強行採決の法務委員会・・共謀罪審議「ネット中継」から・・

2017-05-19 21:05:49 | 日記

   国民の目に触れなかった強行採決の法務委員会・・共謀罪審議「ネット中継」から・・

Q 水道水に毒物を混入するために、毒物を準備した場合の処罰は可能か、不可能か。

A 準備をしただけでは対象にはならない。

Q 刑法では、その準備が殺人の「予備行為」として処罰の対象になるとなっているが。

A 準備をされた毒物が相当の致死量のものとして、危険が認められた場合は殺人予備罪として対象になる場合がある。

Q つまり事案(ケース)によっては処罰の対象になるのか。そうであれば「テロ組織が毒物を混入するために用意をしただけでは処罰をすることができない」という自民党の国民向けの一口メモがある。これとの整合性を説明せよ。よって撤回すべきである。

A 事案によっては処罰が成立する場合もあれば、成立しない場合もある。

【注】 金田大臣は正面から答えていない。いつもの態度である。

Q ネットによるコミニ・ケーションがある。それが監視の対象にならない保証はあるのか。証拠収集による国民の人権侵害が起きる懸念が大である。

A テロ等準備罪では「防諜・監視」などをすることができない。また嫌疑があるとしての捜査の対象になることはない。またその通信解錠(通信傍受)は裁判官による傍受令状が必要であり、よってこの適用は一般人に及ぶことはない。

Q 2016年の通信機関(ライン)に対する捜査機関の解錠(傍受)の実績がある。しかも令状なしのケースが22件もある。警察の捜査には「強制」と「任意」がある。強制捜査は令状を必要としても、「任意捜査」については「捜査機関の判断」による。よって「一般人が捜査の対象とならない保証はない。そのことを担保する条文もない」。

A 令状なしの強制捜査はできない仕組みになっている。よって捜査機関の権限の乱用はない。

【注】金田大臣、及び政府参考人の答弁をどう受け止めるか。紙の上のあるいは官僚の答弁書を棒読みしていることを痛感するがどうだろうか。     

A 例えば会社の役員会で詐欺行為などの組織的計画をしたとする。しかし従業員は知らない。そして上司の指示に従いその行為を行ったとする。結果して従業員は「知りませんでした」という弁明が通じるだろうか。このようなことが一般人が巻き込まれるというケースである。

【注】 これに対する政府の答弁は「その計画に加わっていたかについて問われるもの」であるとの回答に終始していた。答えになっていない。一般人が巻こまれる恐れのある法律であることは消えない。

【秋田魁新報 コラム】 「汝(なんじ)、何のためにそこにありや」

   国会審議で官僚の答弁をそっくり繰り返したり、資料を棒読みしたりでは法案への理解も共感も得られない

 秋田高校の校長を1963年から4年間務めた鈴木健次郎氏(故人)が生徒に向けて繰り返し発した言葉「汝(なんじ)、何のためにそこにありや」は、当時の在校生にとって人生の指針となっている

▼この言葉、生徒だけでなく鈴木氏にとっても大切な指針だった。ご子息は回想記に「父はこの言葉を自分自身にも言っては自ら奮い立たせ、(社会人、教育者、父親としての)責任感を厳しく追求しているようだった」と書いている

▼以前の小欄でも書いたが、この言葉を座右の銘としている教え子の一人が金田勝年法相である。いまの国会で最大の焦点となっている組織犯罪処罰法改正案(共謀罪法案)の提出責任者だ。師の教えと覚悟は正しく受け継がれているのだろうか(2017年5月17日)「5月19日法務委員会においた民進党山尾議員が紹介する」


車の無い生活習慣を身につけることが大事‼

2017-05-02 12:03:28 | 日記

       車の無い生活習慣を身につけることが大事‼

 「高齢者の『公共の足』を確保、充実させる市民の会」を立ち上げる。

  必要性があったとは言え、慣れ親しんできた車の運転をやめるということは大きな決断を要する。またその決断が事故に遭遇し、しかも加害者になったことでの決断では遅すぎる。

    また配偶者や子どもの車に頼ることできていた高齢者が「明日からその車が当てにできなくなった」とする。買い物をどうするか、病院通いをどうするかが深刻な問題となる。よく「私は大丈夫」とか「まだ頑張れる」そして「先ことを思いわずらうな」ということを述べる方が案外と多い。しかし「買い物難民」「通院難民」を防ぐためにも老いを準備することは大事ではなかろうか。

  次の問答がある。

    「人生とかけて、靴下と説く その心は、長いものもあれば短いものもある。そして『はかない』ものもある」

     バス停まで歩き、バスの来るのを待つ。場合によっては次のバス停まで歩く、そのような体力、気力のあるうちに「車の無い生活を習慣」とすることは必要である。 

    そして、この3月31日「高齢者の『公共の足』を確保、充実させる市民の会」を立ち上げた。高齢者退職者組織をはじめ、一般市民62名が参集をした。中でも隣町からも数名が駆けつけた。要望はどこの地域でも同じである。そして会場で参加者に求めたカンパも3万2千円余の協力も得られた。「案ずるより産むが易し」とはこのことである。感謝したい。

    集会で確認された「市に対する要望項目」は次のとおりである。

     1. 70歳以上の市民に対し「路線バスの無料パス」の交付を求める。

    2. 交付は郡山市在住の市民であり、運転免許証の有無は問わない。

    3.タクシー利用の助成金は年額25.000円とする。

  【注】タクシー利用は通院外来を例えとして往復4000円台の料金の半額を設定した。

   4.路線バス事業主に対しては路線の拡充とダイヤの拡大に向けた努力を求める。

   5.  要望を実現させるための運動の進め方は次の通り

   ◆「市民の会」の運動を今後も広く市民に呼びかけるにための丁寧な「ニュースの発行」を行う。

   ◆「市民の会」参加は個人加盟とするが、趣旨に賛同する団体の参加は拒まない。

   ◆「市民の会」の運営のために個人カンパ・団体カンパの協力を求める。

   ◆「市民の会」は、役員及び市議団による行政折衝を軸に行政との研究、協議を行い、その都度ニュースを通して会員に報告をする。

 私たちは「合葬墓」の建設を市に要望をしてきた。そして昨年4月完成を見たが、8年間に及ぶ長期戦であった。その一番の理由が「市民にそのニーズがあるのか。調査をしてみてから」という、いわゆる「お役所流の抗弁」である。しかし完成を市民に公示し、申し込みを開始したとたん予想を超える応募者があった。行政の長曰く、「私どもの認識が甘かった」と。

 何にしてもそうだが、専門家の意見がある。今流の「有識者会議」である。しかしそれに対し臆することはない。堂々と「市民感覚」での主張を貫くべきである。そのことを学んだのが「合葬墓」の取り組みであった。今般の「高齢者の足」も、日常生活を守るための必要不可欠な条件とする「市民感覚」で強く求めていきたいと思う。