再び提起したい・国民の目に触れることがなかった「共謀罪審議の法務委員会」
多少は風があるが、日差しは明るい。庭の柿の葉もあっという間に広がり花芽をつけている。今年は「生り年」かも知れない。しかしそのうち多くの実が落下する。これは防ぎようがない。悔しいが一つでも多くの実が残ることを願う。
またテレビをつける。「昼ドラマ」の番組が幾つもの局の電波を通して報じられている。若干下火となったとはいえ「眞子さまの婚約」の報道も続いている。同時にベトナム国籍の少女殺害事件などの悲しい事件も報じられている。それでも国民の多くは総じて平和な雰囲気の中で、穏やかな日常を過ごしているように見える。
しかしその中で「日本の国の在り様が大きく変わろう」としている審議が国会で行われていた。つまり共謀罪をめぐる審議である。安倍首相は「予算委員会が審議の場ではない。しかるべき場での丁寧な審議をする必要がある」と強弁していた。ではその場である「法務委員会」がどのような事態を呈していたかを取り上げたい。
◆4月12日から法務委員会が再開された。政府は所管大臣である「金田法相」の回答を危ぶみ、政府参考人して「刑事局長」の出席を委員長の独断によって決定した。この種の国会ルールは前代未聞のことであるとした野党の抗議が4月19日の委員会の場で展開された。
◆4月21日「刑事局長のそもそも発言がある」これに対し野党議員からは「一般人が嫌疑の対象となる可能性が大である法律の説明に「そもそも」という説明は納得ができない。「懲罰法規」は国民が理解、納得できるものでなければンらないはずである。そして「一般人が処罰の対象になるのか」についての討論の中で政府答弁が分かれるという事態が判明する。◆それが4月25日・28日の法務委員会であった。
◆そして5月8日の「予算委員会」がある。民進党の長妻議員の質問に対する安倍首相の口から「読売新聞を熟読せよ発言」が飛び出す。
◆5月12日、ここでも一般人の処罰対象をめぐる論議が展開され、政府答弁の不一致が飛び出す。◆5月16日の参考人審。
◆金田法相不信任をめぐり5月17日は休会。◆5月18日の本会議において金田法相の不信任を否決。◆5月19日の法務委員会、またもや多数の横暴による審議打ち切りの動議の提出と強行採決を行われた。
安倍首相はしかるべき場で丁寧な審議をと述べた。しかしその審議の場を国民は見聞することはできなかった。つまりテレビ中継も含めて、マスコミの報道には乗らなかったのである。ゴールデン番組といわれる午後7時のNHKのニュースにおいても取り上げることが少なかった。むしろ皆無と言っても過言ではない。
麻生副総理(財務相)の言葉がある。「憲法は、ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気づかないで変わった。あの手口に学んだらどうかね」という発言である。
連日取り上げられていた「共謀罪」、いわゆる「テロ準備罪」のニュースが法務委員会が開催されるや否や、その情報は消えてしまった。唯一得られる情報はインターネットの中継であった。どれだけの国民がそれを知る手だてを持っていただろうか。
そしてもう一つの事実を思い出す。当時改定が強行されようとしていた「日米安保条約」をめぐる激しい抗争のあった1960年である。安倍首相の祖父である岸信介総理は次の言葉を述べている。「今夜の東京ドームのナイターには多くの国民が詰めかけ楽しんでいる。国民はすべてが反対をしているわけではない」と。
「明るい日差しが、実は闇に通じのものであったことを知ることにならなければよいが」と。今後の参議院の審議に注目していきたいものである。