蝉の一生・そこから考えると6日目か。80代のつぶやき・・・・・

2016-08-08 20:05:00 | 日記

  蝉の一生・そこから考えると6日目か。80代のつぶやき・・・・・

    とにかく暑い日が続いている。

    そして、ここ二三日の暑さは異常だ。日中の気温が36度、それが夕方になっても下がらない。それどころか、その気温が一晩中続く。まさに「熱帯夜・蒸し風呂」である。

    最近「昔は良かった」というつぶやきが自然と出てくる。戸は雨戸があれば良いほうで我が家はガラス戸であった。中には障子戸、それも破れ、黄色く染みついた状態の家も珍しくもなかった。そこで戸をあけ広げたままにして蚊帳を吊り、せんべい布団を隙間なく敷きそこにごろ寝である。蚊取り線香などは無い。もちろん「キンチョール」などは知りようも無い。吉幾三の歌ではないが「無いなぃづくし」である。そういえば「蚊」の予防があった。それは庭先にヨモギを積みそれに火をつける。子どもたちは大声を上げながらその煙を団扇であおぎ部屋の中に追い込む。それが「蚊取り線香」であった。そして「蚊帳の中で団扇をパタパタ、知らない間に眠ってしまった」ものである。それが「昔は良かった」という表現になるのも己の年齢だろうか。

  昨日の朝のことである。6時を前にした時間に庭先で「蝉の一声」を聞く。早速「抜け殻探し」に庭に出る。毎年見つける花壇の葉の裏を探すが見つからない。どこから這い出たのだろうか。その一匹の「つくつくぼうし」が今年は夕方まで庭で鳴いていた。7年間お世話になった感謝の意味も兼ねてのことか。そしていつしか鳴き声も途絶えた。これから始まる大忙しの「配偶者探し」に出かけたのであろう。無事探し終え、そして僅か一週間の一生を精一杯鳴き続けるのだろうが、それも羽化していったものの何パーセントだろう。その多くは天敵によって一生を全うできないのも自然の摂理である。

  クーラーのきつさで目を覚まし、そしてパソコンを前にしている80の老いた身である。蝉の一生に譬えれば「まあまあの責めを果たした6日目」くらいか。

  ジタバタしても仕方がないが、それでも次世代を生き続けていくだろう子や孫の社会が気かかりである。ますます拡大するだろう格差と貧困の社会である。私の今の6日目を彼らは無事迎えることができるだろうか。そしてあの「戦火」の災いを打ち消すことができない実情も痛感する。

  今般の安倍政権圧勝の原因は何か。出口調査の中で明らかになったこととして「問題もある、不満もある。だがまあこんなものだろう」という安定志向が、安倍政権の安定度にかけたと分析されている。それで果たしてよいのだろうかと問い直している「一匹の蝉の鳴き声」を聞いた2016年8月である。

 

 


それは「未踏の分野・国の支援を求めたい」とはどういうことか

2016-08-06 16:47:46 | 日記

 それは「未踏の分野・国の支援を求めたい」とはどういうことか

    東電は7月28日、2011年の東日本大震災で事故を起こした「福島第一原発」の廃炉費用の支援を国に求めることを明らかにしたと報じられている。(毎日新聞・7月29日)「4月にはじまった電力小売りの全面自由化による競争激化などで経営を苦しくなり、数兆円とみられる巨額の費用負担ができない」というのがその理由である。それだけではない、賠償や除染の費用負担についても、今後想定を上回った分について国と協議をしたいと付け加えている。

 「何を言うことか」と言いたい。

  国の政策であったとしても、その政策にただ乗りをして膨大な利益をもくろみ、原発を「電力経営の基軸」に切り替えていった電力業界である。そしてもくろみ通り膨大な利益を計上し「世界の東電」にのし上がっていったのはつい最近までのことであったではないか。

  不幸にして巨大地震と大津波が押し寄せ「原発城」は崩れ落ちた。被害は東電の経営だけではない。「落城」によってまき散らされた放射能により多くの犠牲者を生み出した。そして今なお病床にいる者もいる。また放射能の汚染から逃れるために故郷を離れ、家族バラバラの仮の生活を余儀なくされている人もいる。さらに汚染による健康被害は今もって存在し続けている。また風評被害により経営不振に陥った企業も少なくはない。そしてその企業には多くの労働者とその家族もいた。

  報道によれば、当初、東電は廃炉費用に2兆円を計上する計画であったという。しかし、30年から40年かかるだろうとの予測の中で数土会長は、「電力需要の減少や競争激化などの市場環境、そして廃炉は世界でも未踏の分野、政府との意思疎通が重要」と称し国の財政からの資金の支援を求めている。これまた「虫の良いこと、いい加減にしてくれ」と言いたくなるのは私だけであろうか。

  「需要の減少・競争激化」は今始まったことではない。しかも電力会社だけが特別なのだろうか。加えて「廃炉は未踏の分野」の発言に至っては「貴方はそれでも経営者か」と言いたい。工場をつくって製品を製造してきたが、その工場をたたむことにした。しかし、その工場は特殊な構造であるから「壊すことができない、壊し方もわからない、がれきを処分することができない」という。そうであれば、その工場をどうしてつくったのかということになるだろう。まさに「消すことのできない火を燃やしてしまった」に等しいことである。「人間」のやることではない。それをしゃあしゃあとして「未踏の分野、国の力を借りたい」とは、何という言い草なのだろうか。それだけではない。その同じ口から「消せない火をまた燃やします」として再稼動の準備を進める言葉を発信している。いずれ廃炉をするにしても、稼げるときに、稼げるだけ稼ぐということか。

  爆発はしなくとも「高レベルの燃料棒」は処理をしなければならない。そのためには再処理サイクルを進めなければならない。日本がそれを進めようとすれば「韓国はわが国も」となる。そこでプルトニュームを取り出せばそれは「核爆弾」に結び付く。北朝鮮はそれを黙って見ているだろうか。

  それだけではない。残った「燃料棒代」は負債として処理しなければならない。それだけでも会社は傾くだろう。その膨大な廃棄費用と、どこに、どのように廃棄するかも含めて、それは「未踏の分野、国の力を借りたい」とは何という言い草か。

  さしたる知識を持ち合わせていない一市民であるが、この程度の智識は持っているつもりである。そうであれば、国の政治をあずかる政治家、官僚、そして企業の経営を預かる幹部、さらに有識者は、今般、東電が言ってのける「国の支援」に何の反応も示せないということは情けない。それが次代を担う子や孫を持つ80代での主張である。

 


医療サスペンス「破裂」を観て・あらためて今の政治を考える

2016-08-05 09:19:31 | 日記

 医療サスペンス「破裂」を観て・あらためて今の政治を考える

 

      2015年10月、NHK総合テレビで放映された椎名桔平主演の医療サスペンス「破裂」を今般の「相模原事件」に重ね合わせて考えてみる。

   それは「老化した心臓を若返らせる“夢の治療法”をめぐる、エリート医師の野望と官僚の陰謀を描く医療サスペンス」である。「研究のためなら手段を選ばない心臓外科医・香村鷹一郎(椎名桔平)は、老化した心臓を若返らせる“夢の治療法”の研究に没頭していた。しかしその治療法には、心機能が劇的に回復した後に、心臓が破裂して突然死を起こす恐るべき副作用があった。超高齢化社会の究極の解決を目指す国民生活省の官僚・佐久間和尚(滝藤賢一)は、副作用に目をつけ、その治療法を乗っ取り、高齢者人口を減らそうとたくらむ」というのがストーリーである。

  ここに取り上げられている「高齢者人口を減らそう」とする官僚(政治)の策略は、高齢者の「突然死」であり、苦しまなければ「安楽死の法制化」である。高齢者国民に一旦は回復した「夢」を見させながら知らないうちに「死の選択」をせまる。まさに巧妙な政治の仕組みを通用させようとする世界が描かれている。

  このことを現在の政治に重ね合わせて見る。

  今般の安部第三次内閣は28兆円にも及ぶ大幅な経済政策を掲げた。そして「保育、介護の受け皿の整備と処遇改善・雇用保険料の一時的引き下げ・給付型奨学金の創設・年金受給資格の期間短縮・低所得者向け給付金の継続・「同一労働同一賃金の実現」・加えて公明党向けの「プレミヤ付き商品券の発行」までついた生活密着型のあれこれを次から次へと並べたてている。そして国民の心をくすぐる。しかし、それをまかなうべき財源の説明は無い。あるのは「これだけのことを実践するなら我慢をしてもらわなければならないことがある」として出されるだろう「公的保証」の縮小、削減である。そして早速出されてきたのが「介護サービスの縮小」(厚労省検討開始・7月20日)、特老施設における食費、部屋代の負担増(低所得者)である。今後もさらに「縮小提案」は続くだろう。そして生れる格差の拡大と国民間の分断となっていく事は間違いない。

  老いた者を介護する中で起きる悲しい事件がおきている。今も全国どこかで起きている悲しい事実と言っても過言ではない。死に至らしめることはなかったが「親の顔に枕をあてた」という独白は耳にすることもつらい。またある町医者は述べている。「往診の時は必ず下肢を丁寧に看る。そして『お尻に爪痕が無いか、よく拭きとられているか』など。そしてその状態を見て家族の介護の限界を知り治療を考えるという。

  また再婚をした夫とのもつれの中でわが子を殺めてしまったという事件も少なくない。夫の歓心を持ち続けたいとする気持ちと、我が子への情との狭間の中での誤った判断の結果である。

  このように、私たちの心の根っこのどこかに「面倒なことから逃れたい、打ち消したい」とする認識や「自分の要求を満たすためには犠牲を選ぶ」ことを否定できない事実も存在している。

  もちろん、障害者を殺傷した植松容疑者にそれに結び付けるつもりはないが、「大麻精神病」「非社会性パーソナリテー障害」「妄想性障害」といった本人の病歴、あるいは資質の問題をもって処理することのできない、奥深いものがあるとの認識が必要ではないだろうか。

  だからこそ、そこに「公的補完の政策」が必要となる。それが政治ではないかと考える。少なくとも、山東議員が述べる「装置の埋め込み」で済むものではないことを、映画「破裂」のストーリーをもってしても考えなければならないと思った夏のひとときである。

 


犬の迷子防止のために「植えこまれるシステム」で犯罪が防止できるのか

2016-08-04 10:31:03 | 日記

 犬の迷子防止のために「植えこまれるシステム」で

           犯罪が防止できるのか。犬じゃあるまいし・・・・

  時間はどんどん流れる、そして記憶も薄れる。それだけではない。思い出したときはその記憶に脚色が加えられるということもある。そこに「相模原障害者施設入居者殺傷事件」がある。

 何の抵抗もない、ましてや刃物を持った人間を目の前にして「何をされるのか」さえわからない障害者を殺傷した人間の行為は絶対に許されない。このことは確かである。後は司法の判断を待つのみであるが、どうしても触れておきたいものに「これから」がある。

 元参議院副議長の山東昭子氏の発言が新聞に取り上げられている。「自民党の山東昭子元参院副議長は28日、相模原の障害者施設殺傷事件に関し、犯罪予告者や再犯率が高い性犯罪の前歴者に対応できる法整備を進める必要があるとの認識を示した。そして国会内で記者団に『全地球測位システム(GPS)』を利用するなど、きちんとした法律を作っておくべきではないか」と。また「人権という問題を原点から見つめ直す時が来ている。ストーカーもそうだが、人権という美名の下に犯罪が横行している」と付け加えている。〔共同〕(参照元:日本経済新聞・7/29)

 テノール歌手という紹介で良いのか、武田正雄氏のブログを目にした。そこには次のように記している。「社会は狂う、むしろよく狂う。イースター島・古代ギリシア末期のアテナイ、ナチスドイツ等々と例はあまるほどたくさんあるのに、私達の社会はそれと違う、絶対大丈夫と信じる人達がたくさんいる。これを悲劇と言わずして何というか」と。そこでこのブログによるその悲劇を検索してみる。「絶海の孤島であるため、外からの侵入者はなくいたって平和であり、人口は年々確実に増え、1600年頃には島の生態系から維持できる人口を超える7000人(10000人以上とする説もあり)に達し、1650年頃からたびたび深刻な食糧危機に遭遇したと思われる。このため食料争奪を巡って部族抗争が頻発、果ては人食にまで及んだといわれる。その証拠としてこの時代の地層から多くの武器やバラバラに砕かれた人骨が発掘されている」との文章を見る。

 そして期を同じくして、ドイツに滞在されている水島朝穂先生(早大教授・憲法学者)からのメール「ドイツからの直言」を読む。「相模原市で重複障害者の大量殺傷事件が起きたという衝撃的なニュースが飛び込んできた第一報を伝えるドイツ第1放送26日12時のニュースを見る。また「『南ドイツ新聞』は、写真入りで『別の世界』という見出しもとに、容疑者が『安楽死』という言葉が使ったことにナチス的過去を意識して敏感に反応している。また、容疑者が2月に衆議院議長宛に手紙を送り『日本のため』に470人の障害者を抹殺すると書いたことにも注目している」と。

 さらに、ミュンヘンの乱射事件で子どもを射殺した18歳の少年が、自分の誕生日がヒトラーと同じ4月20日であることを「栄誉」とする極右的傾向をもっていたことを報じ、相模原の大量殺人事件の容疑者も『ヒトラーの思想が降りてきた』」と語ったという記事の紹介がされていた。

 日本のメディアを、ドイツで「体感」することはできないので(ドイツの「体温」になっている)と付け加えた水島先生の「ドイツからの直言」の報告を頂き、今もって、ヒットラーの罪意識を自らのものとして受けとめ、他国の出来事とは言え、共通するものを感じ取っていることを感じ取ることができた。このことは特別なことであるだろうか。

 以上、山東昭子参議院議員の発言、武田正雄氏のブログ、そして水島朝穂先生の「ドイツからの直言」を受けて考え込んだ「相模原障害者施設殺傷事件」である。