「今日も原発は何事もなかった」との想いの毎日

2015-02-27 07:00:17 | 日記

 「今日も原発は何事もなかった」と

     ほっとする県民の想いを逆なでするのか東電は

 

   「東京電力福島第1原発で汚染水が排水路を通じて外洋に流出した問題で、東電は25日、福島県いわき市で開かれた県漁業協同組合連合会(県漁連)の傘下組合長会議に出席し、経緯を説明した。各組合長は、東電が昨年4月に外洋流出を把握しながら公表しなかったことを問題視。『外洋流出を隠していた。信頼関係は崩れた』(相馬双葉漁協の佐藤弘行組合長)などと批判が相次いだ」。

  以上が、この度の汚染水の外洋への流出についてのあらましである。今まで、幾たび「問題隠し」をしてきたであろうか。そしてその度に反省の弁が繰り返されてきた。とりわけ地元の漁業関係者にとっては「まだか」という怒りが渦巻くことは当然である。

  何時ぞやのブログにも書いた。「第一原発の現場で働く労働者の皆さん、作業中のミスや失敗をされたときそのことを隠さないで報告してください。また管理監督の皆さんは、それらの報告があった時は、その報告をした労働者の勇気を褒めて下さい。決して責めを負わせないでください」と。それはミスや失敗を隠したことが、取り返しのつかない大事故に結び付きかねない性質を持っているのが原発だからです。

  しかし、本家本元の東電が、昨年4月からの失態を知りながら公表しなかったということを、漁業関係者はもちろん、現場で収束作業に当たっている労働者にどう説明をするのだろうか。「決して、隠すつもりはなかった」では済まされない問題であろう。

  今回の流出問題は国会の場でも追及されているが、同時に「県」の課題として重く取上げるべきであろうと思う。譬えれば、危険な食材を製造、販売をした業者は法に基づき処罰される。重くは「廃業」、「営業停止」、「是正勧告」、「賠償金」という民事罰。そして管理責任者の刑事罰がある。それは当該事業所の管轄部署である監督官庁による決定である。だから「県」の重さは重要だと述べた。ところで困ったことに第一原発の事業を廃止、停止させるわけにはいかない。すでに廃止、停止しているからである。では「管理責任」に対する刑罰となれば長い法廷闘争が待っているだろう。このことに対し県はどう対処するのか。今回はじまったことではないが、そこが問われると思うがどうだろうか。

  そこで前に戻る。現地現場で働く労働者の作業管理・安全管理である。発注者の東電は元請けでもあり、下部には30余に及ぶゼネコンが存在する。そして数次にわたる下請け企業が存在する中での作業管理・安全管理である。今般の東電のずさんさと無責任な姿勢からすればおのずと答えは出てくる。「無管理・無秩序」の職場になっていても不思議ではないことを危惧する。

  原発の現地現場は、高い線量も含め危険な職場であることは間違いない。しかも、天候の異常は「今日の現場が、そのまま明日も変わらぬ保障がない『荒現場』である」。それでも、働く皆さんに「決して隠し事はしないでください。報告をしてください」と述べる県民の願いを真摯に東電は受け止めて欲しい。

  一日を終えた時「今日も原発は何事もなかった」。朝起きた時「昨夜の原発は無事であった」と思う日々であることは、福島県民の共通な想いであることを最後に述べておきたい。


 「わからない者には、わからない」。これが政治で通用したらどうなる 

2015-02-25 17:14:47 | 日記

  「わからない者には、わからない」。

         これが政治で通用したらどうなる 

   「顧問」という職がある。よく民間企業が受注のために、その業種と関係の深い事業所の、例えば退職者であるとか、関連企業のアドバイザーであった人と契約し「顧問料」を払う。もちろんデスクはあるが常勤ではない。時折顔を出すだけで良い。また担当者が出かけアドバイスを受ける。紹介状を書いてもらう。また同行を求める。その顧問は後輩などにバトンタッチをする。うまく回転する。そしてパイプは太くなる。

  献金問題で辞任した西川農相が落選をしていた期間、幾つかの業種の顧問をしていたことが取りざたされている。それが政治献金に結び付いたのではと言うことで問題になっている。

  ところで、予算委員会における大臣席からの安倍首相の野次である。民主党の議員の発言中、日教組の「教育会館」から献金を受けている。同じじゃないかという意味での野次であった。さあ、安倍首相は大変なことを言ってしまった。前者の教育会館は、国からの補助金も受けとってもいないし、政治献金もなかった。このことを認めて謝罪した。しかし、後者の砂糖会館と同列視した事実は消えず、首相としての権威も資質も失ったばかりか、説明も、任命責任も免れないであろう。

  ISにより邦人が拘束、殺害された。その検証の中で明らかになったものとして、後藤さんが拘束されたこと、身代金が要求されていることを承知のその時点で、中東における2億ドルの経済援助の声明である。2月20日のブログにも書いたが、首相は避難民援助・人道支援であると強調している。しかし相手は「我々への攻撃」と受け止めた。そのようなことについての警戒と協議が無かったのかという疑問である。このことについては国会の場においても野党から追及をされている。しかし、首相は、「人道支援である」との発言を繰り返している。いみじくも今回の辞任劇で、西川大臣が「説明してもわからない人は、わからない」と突っぱねた。国会における安倍首相の心の中に「わからない者に、何を言っても仕方がない」というものがあるとするなら、そして「テロには屈しない」と突っぱねるとすれば、西川大臣の「突っぱね」発言と同義語と受け止められるだろ。しかも、その発言が首相である限り、「相手国にとっては、日本は敵となり、宣戦布告をされたとなる」。確かに、官邸はあらゆる手だてをとって救出に全力を尽くしていると説明していた。しかし、相手の回答は拒否であり、日本は新たな標的に加えられた。

  さて、民報のテレビ番組である「報道ステーション」にコメンテーターとして出席している元経産省官僚の古賀茂明さんである。彼はこの一件について番組で発言をしている。決して特異なものではない。表現の違いはあれ、おおよそ上記と同様の発言をしていた。しかし、官邸からの猛烈な批判が飛び出したと報じられ、降板が決まった。古館さんも「もしかしたらと」と報じられている。

  これは恐ろしいことである。言いたいことが言えなくなる。このブログの世界においてもそうなってしまうかも知れない。自己抑制が強く働くだろう。それは何時か通った道である。このことも「戦後70年の総括」である。 

 


1年で一番短い2月に、こんなに多くの歴史的変遷が・・・・・

2015-02-24 11:50:13 | 日記

 1年で一番短い2月に、こんなに多くの歴史的変遷が・・・・

 

  「政治体制が変わる」ということはこのようなことか。そして、その「変わる流れの速さ」を実感させる今日の変遷である。

  そこで直近のニュースから読み取ることにした。

  2月 1日・ISが後藤さんを殺害したとする動画を公開する。そして動画は「日本政府へのメッセージ」との表題をもって「日本にとっての悪夢が始まる」と述べる。

  2月12日・安倍首相は施政方針で、安全保障の見直しを「戦後以来の大改革」と位置付け、集団的自衛権の行使容認を含む安全保障法制については、「あらゆる事態に切れ目のない対応が可能な法整備を進める」と恒久法の設定に触れる。

  2月16日・民放番組の報道ステーションにおける古賀茂明発言をめぐり、同氏の番組からの降板が報じられる。合わせて恵村順一郎朝日新聞論説委員の降板もありと。一連のマスコミ弾圧のはじまりか。

  2月17日・安倍首相、戦後レジュームからの脱却に関し「7年間の米国による占領時代につくられた仕組みは変えることを諦めない。そして変えなければならない」と発言。

  2月17日・防衛装備品の開発、調達、輸出を一元的に管理するため「防衛装備庁」を新設する。「防衛装備移転三原則」の「軍・民」との関連を強める。「死の商人」の復活を危惧する。

  2月20日・政府は日本周辺の有事を想定した周辺事態法の名称を変更して「周辺」の概念を削除するとし、その支援対象を米軍以外「豪州・インド」などの他国軍まで広げる内容を与党協議会に提出。

  2月21日・政府はさらに後方支援の内容を拡大し、武器・弾薬の提供。戦闘機への空中給油をも可能とする方針を決める。

  2月21日・磯崎首相補佐官「憲法改正の時期は来年中に国民投票までもっていきたい。遅くとも再来年の春には行いたい」と発言。

  2月21日・政府は防衛省の文民統制を基本とする「同省設置法12条の改正」を決める。文官と自衛隊各幕僚長を同列に置く方針。制服組の立ち位置が強まる。

  2月22日・名護市辺野古の米軍キャンプ・シュワブゲート前で沖縄平和運動センターの山城博治議長等2名が米軍に拘束される。刑事特別法違反容疑で逮捕・送検されたが23日、釈放される。

  2月23日・与那国島(沖縄県与那国町)への陸上自衛隊「沿岸監視隊」配備の賛否を問う住民投票が行われる。配備賛成票が過半数を占めた。

  通常からは、2日から3日少ないこの短い2月に、これだけの政治記事が取り上げられることになるとはどうしたものだろうか。「国のあり方が変わる」という歴史は繰り返されるが、それに必要な時間はさして長くないはいらない。そして気が付いたときには「すでに遅し」ということを知るのことも過去は教えている。

  2月もまだ残すところ4日ある。そこで何を知り、何を体験するのかという危惧意識を持っての今日が2月24日である。

 

 

 


 「武器・弾薬の提供」・これっと戦争をするという事でしょう

2015-02-20 10:09:56 | 日記

 「武器・弾薬の提供」・これって戦争をするという事でしょう

 

  新聞紙面を埋め尽くす「戦争ニュース」にはため息が出る。とりわけISの殺戮には目を覆うものがあり、そしてウクライナがある。「新露派勢力の停戦合意を離脱」の先制攻撃という記事を見るものの、その実態がわからないだけに判断に迷う。しかし、明確に判断できるものがある。その一つが「ウクライナ『徴兵』加速」と記事である。大統領令に基づき10万人の動員の方針を決めたという。男性は25歳〜60歳が対象、女性も対照にするとの解説がついていた。ウクライナにおける「徴兵制度」がどうなっているかはわからないが、「徴兵」という限りは、国家による国民の統制が無ければならない。その国家強制を知っている私たちにとっては他人ごとではない気持ちになる。10万人の新たな徴兵令を、他所の国の出来事とはどうしても思えない自分を見出す。

  そして一方では、我が国における「自衛隊、武器・弾薬の提供を解禁」という問題である。政府は18日、自衛隊による他国軍への後方支援の拡大として、従来認めていなかった武器・弾薬の提供(他国軍へ)を解禁する方針を固めたとある。

  かつて激しい論議が展開されたインド洋における油の補給、イラク・サマワにおける輸送、建設などの後方支援である。当時の小泉首相の「自衛隊が行くところは、非戦闘地である」という発言が飛び出すなどの場面もあったが、それでも「特措法」というその都度の法制化の中での歯止めはあった。しかし今国会で成立させようとしているは「恒久法」である。今まで一定の役割を果たしてきた公明党も、ここにきて括弧つきを条件に容認しようとしている。勢いづいたのは安倍首相であり、自民党である。事もあろうに「武器・弾薬の提供」を合法化することを持ち出した。

  今や、記憶に残るものとなった「武器輸出三原則」がある。この原則は長年培った日本の国是であった。しかし、安倍首相はこれを破棄し「防衛装備移転三原則」なるものを法制化した。そして今回の武器・.弾薬解禁の法的根拠に「防衛装備移転三原則」を適合させようとしている。それは、欧米を中心に武器・弾薬の共通化は図られている。また防衛装備品の共同開発、生産は進んでいる現状を踏まえれば、補給可能な物資の中に武器・弾薬を含むことに何の問題もないとの論理である。とんでもない飛躍である。

  今般、シリヤ地内における邦人二人の拘束、殺害があった。この件をめぐる検証の中で知ったことは、拘束され身代金を要求されている事実を知る時点において、中東を訪問した安倍首相の経済支援の声明がある。国会での追及に対しは、「あくまでも難民対策であり、人道的支援である」と安倍首相は答弁している。しかしそれが「我々への攻撃」と受け止めるISの主張を正すことはできなかった。そして、その弁明は「通じなかった」という事実を突き付けられた。それは「テロ集団」の姿勢だ。だからと考える余地はないと一蹴することで済むだろうか。

  かつて自衛隊の後方支援をめぐって、それが食料・水の補給・物品や人員の輸送に限られていたとしても立派な戦争参加と見なされかねないという論議が、何回も何回も繰り返されてきた。しかし今回は異なる。武器・弾薬の提供と戦闘参加の航空機への給油を含む支援を可能とする恒久法を設定しようとしている。しかも、米軍に限定した周辺事態法を、豪州軍やインド軍等にも適用するとなればもはや「戦争参加に踏み切った」と言わざるを得ない。相手国は「我々への攻撃だ」となることは当然であろう。そして「やられる前にやり返す」という戦争の論理を再度繰り返えそうとしている。

  この問いこそが、国民の「内なる私の戦後70年宣言」でなかろうかと考える自分である。

 


アメリカ・「シェール革命の影」。水が飲めない

2015-02-18 10:41:54 | 日記

 アメリカ・「シェール革命の影」。水が飲めない

 

  昨日のブログには、「掘っても、掘っても儲かるシェールガス。そして安価なガス発電に押される原発」ということを書いた。そして、今もって「発電コストをめぐる論議が行われている日本の後進性」ということにも触れた。

  コストは何をもって計算されるのか。つまり「原価計算」である。自動車の原価を例えて見る。鉄板をはじめとしたあらゆる資材、部品の仕入れ費がある。生産手段の設備費、光熱費、そして人件費などが計上される。そこでよく報じられるものにリコール車何万台と対策費用何億。これによって○○社は今期○○億円の赤字を計上したというのがある。本来リスクを想定する限り原価に計上されなければならない。しかし原価を抑え、そして低減し「売値をいかに安くし、販売台数を増やし、利益を計上する」かがあるために、リスク費を計上しない。あるいは既存の保険で賄おうとする計算が働く。

  この原価論理を原発の発電コストにも当てはめてきた。しかし、今回の福島第一原発の事故は、その原価の計上を根底から覆したことになる。現に「最終処分策」も決められない。仮に地下深く埋めたとしても、再度取り出すこともありと言う有識者会議の討論も飛び出している。原発の発電コストは、計り知れない、先を見通すことのできないものであり、コスト計算をする事さえ不可能というものであることを示したと言えよう。

  そこにアメリカにおける「シェール革命」が始まった。だがこのシェール革命も、自然界の、そしてそれを破壊する人間の「業」が、消すことを困難とする「火」を生み出していることを、同じ番組のドキュメントが「米国・シェールガス開発の ”影”」というテーマで報じている。

  このガスは地下深くの硬い岩盤にあり、全米にガス層が点在している。このシェールガス開発の裏である問題が持ち上がった。それが水の異変である。

  酪農地帯が続くペンシルベニア州・ディモックは全米最大のシェールガス層があり、この地域で暮らすスーザンさんの家の井戸水に異変が起きた。「ヒ素やストロンチウムなど聞いた事も無い成分が入っていると聞いた。井戸水は飲めないから3年前から配給の水をもらっている」と。また、別の家の水道では「蛇口をひねり、出た水に火を近づけると水が燃えだした」という。
  シェールガスの発掘は、地下深く掘った井戸に特殊な化学薬品を含んだ水を高圧で注入し、地層に人工的な割れ目を作りそこから天然ガスを取り出す技術が用いられている。
  掘削現場近くの地下水にガスが漏れ出し、水道水として使っている井戸水に混入したとみられている。

  オバマ大統領の言葉がある。「足元にはアメリカを100年支えられる天然ガスがある。アメリカは天然ガスのサウズアラビアなんだ」と。しかし、これをうのみにして良いのだろうか。自然を破壊続けることへの「しっぺ返し」を常に考えなければならないということが、この「シェール革命」は証明していると思う。

  そのことを考えながらドラマを見終えた。