第一回目の「ワクチン接種」を終え、色々感じた人生模様

2021-06-06 12:24:07 | 日記
 私の市のワクチン接種の予約は4月12日から始まり、二回目が4月26日そのいずれも二会場による「集団接種」であった。一、二回とも二日がかりの申し込み、中には子ども夫婦も総動員。結局は予約を取れなかった多くの高齢者は残された。
 市内の対象者(65歳以上)は84000人余である。
 そして第三回目の予約受付は、ようやく「個別接種」(かかりつけ医・131箇所)も加わり5月10日に開始をされた。当然にして待ちに待った皆さんが自分の「かかりつけ医」、または近隣のクリニックに申し込むが、これまた「狭き門」であることは予想済みのこと。「只今混みあっています。あるいはツー・ツー」という発信音が帰ってくる。
 幸いにして妻がかけた「集団接種」への申し込みがつながり予約をすることができた。皆さんは、安心と通院の便利さを求めて「個別接種」へ。そこで「集団接種」は一つの盲点になったということであろうか。あとからであるが余裕があったことが報じられていた。
 そこで接種当日、副反応も意識をして妻と私は一日ずらしての実施。接種を終えて帰宅した妻には、接種部位の痛み、疲労、頭痛といった発現割合の高い症状はなく「年を取ってくると反応が鈍い、ない。『枯れてきたのかも』」という軽口をたたく状態であった。
  そして、翌日、私が会場に向かう。
 午前10時、「居る居る、高齢者の群れ」。それぞれが一定の間隔を置いた椅子に座って順番を待つ。そこにいろいろな人生模様を見る。
 杖を持ちながらもシャキッとした足取りで歩いてきた人、「脳梗塞で倒れたのだろうか、小刻み歩き」をしている姿。集まった多くは二人連れであったが、それぞれが一歩離れて歩いてくる夫婦。不自由なのだろう夫の手を握る妻、またそれこそ寄り添うような姿の二人連れ。連れそいが心配をして、何かと世話をする妻を邪険にはねのける夫。また場所がらもわきまえずにマスクは鼻から外れ、大きな声で話し合うグループなどなど、椅子に座り順番を待つこと30分余り「人生いろいろ」の姿をみるひと時であった。
 「老いも進み、話題も含めて共通点も少なくなり、あるいは失っていく中で、その時がますます長くなっていくだろうその先思いながらの半日であった。
 
 この間、市のコロナ対策の不十分さを痛感していた私だが、この日の接種会場における若いスタッフの皆さんの対応に、心から「ありがとう」の言葉をかけたことを報告したい。
 会場の入口に着いた私に、予約の時間を確かめ「しばらくこの部屋でお待ちください。時間がきましたらご案内をいたします」と控えの部屋に案内をされた。すでに30人余の皆さんが着席されていた。
 予定の時間の案内があり並んで受付まで、そして医師の問診の控えの席へ。問診が終了、接種の場に進むのだがそこには打ち手の女性が三人いて、その内の一人が手を高く上げて自席へ招く姿を頼もしく思えたのは私だけであろうか。
 「あって言う間」に終了。15分の待機時間を経て終了受付へ。そこで二回目の案内を頂く。私は、その都度の医師、スタッフの対面者に「ありがとうございます」との言葉を述べ、頭を下げた。
 気分の良い、すがすがしい想いで済んだためか、接種後の反応は接種部位の痛みが少しあるだけで発熱もなく過ごすことができた。
 「今夜はダメよ」という妻の言葉に、もちろん控えるつもりであった晩酌なしの夕食を終え、早々に自室へ戻った一日であった。
 三週間後の第二回目の接種日にはどのような「人生模様」を見ることになるのか。そして、その光景を自分に当てはめることになるだろう。
 後日談である。
 5日目の本日(6月6日)まで、腕の痛みは二日目には完全に消え、疲労、頭痛なく、筋肉痛、発熱なく。二日目の晩酌の量は、隣の妻の目を意識しながら少々増えたことを報告したいと思う。

美辞・麗句を持っての東京五輪大会の開催をあらためて反対する

2021-06-04 09:51:00 | 日記
   6月3日に開催をされた参院厚労委で、東京五輪開催について答弁をした政府分科会の尾身茂会長の発言は各紙が大きく報じている。
 すでに衆目されていることでありその内容を述べる必要もないが、その尾身会長の発言に対し、「ちょっと言葉が過ぎる。(尾身氏は)それ(開催)を決める立場にない」とし、「(首相は五輪を)やると言っている。それ以上でも以下でもない」と不快感をにじませたという表現の記事がある。その言葉の背景には、自民党の方針と、そして党を構成する議員団の方針が東京五輪の開催の是非は「自民党総裁である、菅祖総理大臣が持つ」ということを明らかにしたことが明白になったことを、私たち国民はしっかりと記憶をする必要がある。このことは重大である。
 そこであらためて尾身会長の発言を取り上げてみたい。
 「パンデミックの所でやるのは普通ではない」と発言、しかも前日2日の国会でも「普通は(五輪開催は)ない。このパンデミック(世界的大流行)で」と指摘。「そもそも五輪をこういう状況のなかで何のためにやるのか」と二度にわたり発言をしている。

 そして1998年長野オリンピックの医療救護責任者を務めた奥寺敬・富山大客員教授の、新型コロナウイルス感染拡大に伴う緊急事態宣言下での東京オリンピック開催に反対する記事がある。     (5月30日・毎日新聞)
 「決断に必要なのは具体的な数字に基づく明確な線引きだ」と。つまりどんな国際大会などを開く時でも「通常医療(その国の)に負担をかけないのが鉄則」ということだ。今の感染状況では大会で事故や災害など非常事態があった時に、何十人も受け入れられる病院があるとはとても思えない」という点にある。既に、救急など新型コロナ対応に当たる医療現場には大きな負担がかかる状態が続いている。入院を待つ新型コロナ患者が多くおり、救急車の搬送先が見つからない事例もある中で、大会用の病床を確保するのは無理だろう」と。
  
 奥寺教授は「今の感染状況で大会での事故や災害などの非常事態」という限定的な表現をしているが、何も非常事態はいつ、どこで発生をするかはわからない。ましてや交通戦争の国内、とりわけ都市部の事情がある。地震、火災も否定できない。このように大きな災害がいつ起きるかわからない実情の中で私たちは生活をしている。その時に対応できる救助、医療体制の確保は国の最低の必須条件であろう。
 現に今般のコロナ禍は、大阪をはじめ、全国のあらゆる医療機関において、救急患者の受け入れや手術対応の医療の引き延ばしがされていることは既成の事実として報じられている。奥寺教授の指摘はまさにシンプルである。
 
 さらに次の報告もある。
 オリ・パラ双方とも外国観客は受け入れないとの方針であるが、それでも選手、審判、報道関係者などの来日者の数は7万8000人という。しかも、それら関係者については毎日検査をするという。ではその体制をつくることができるのか。その間、国内の検査体制に影響はないのか。
 仮に無観客といえ、東京をはじめとする開催地には、国内からの人の流れは急増をする。当然にして感染の条件は拡大をする。そして「日本が勝ったも、負けても『祝杯・残念騒ぎ』は町中に表現されるだろう。道路に座りこみ、空き缶・空き瓶などのゴミの山ができる」これらの光景は、残念であるがすでに報じられているところである。

 そして、大会運営委員会が10万人運営ボランティアを募集している。その皆さんへの感染対策は「その都度、渡される2枚のマスク」と携帯用のアルコール消毒液と体調管理のための記録ノートである。「その皆さんは、新たな災害ボランティアのように見える」と感染被害の拡大を警告している。
                        (5月22日・毎日新聞)
 「五輪の美辞麗句」を持っての開催の強行にあらためて反対をしたい。