福島からの言葉・原発コストについて
福島の人間だからこそ、そして原発事故の災いを今もって引きづっていかなければならない福島県の一人であるからこそ、声を上げなければならないといつも思っている。
今月後半は、幾つもの課題を報じているが、前記の立場から「原発依存度」の問題を取り上げたい。
時事通信4月28日の見出しは「原発依存度、最大22%=安定供給優先、大幅減見送り―30年度電源構成」と書かれている。これは再稼働を構想に入れてもなお、増設をしなければならない数字ある。そして前日の27日。毎日新聞は【発電コスト:原発「最も安価な電源」・経産省の試算】と報じた。つまり、原発の発電コストは、東京電力福島第1原発事故後の安全対策費を反映しても1キロワット時あたり「10.1円以上」と算定。石炭や天然ガス火力の燃料価格の値上がりを見込み、「原発の発電コストはほかの電源を下回る」として「もっとも安価な電源」と結論づけた。それが経産省の原発依存度を上げる方針の根拠となっている。安全稼動への対策費、過酷事故を想定した対策費及び補償費などが試算されてはいると解説している。しかし、データーは、それを活用する者によっていかようにでもなる。再稼働を主張する者にとっては都合の良いところをとり上げ、不都合なところは無視する。このことは常にある「為政者」の常識である。よって官僚及び学者諸氏にとっては、多くのデーターをもとに己の学識を持っての結論を出した事であろうが、市民の感覚は異なるところにあることを述べたい。そこに「福島の出番がある」というものだ。
その一つに「中間貯蔵施設」を取り上げてみる。以前にも書いたが2000名を超える地権者の一部には「江戸・安政年代」の所有者の名もある。約地権者の半数は不明である。一物件100人を超える「法的地権者」との契約に、どれだけの費用と時間が掛かるだろうか。また、仮に30年後土地の返還と復元が可能になったとする。では原状復帰にどれだけの年限と費用がかかるか。それよりもまず地権者全員との契約は成立するだろうか。まずは不可能であろう。
二つに、避難生活の中でとりわけ高齢者の命が破壊されている。福島県旧双葉郡の各町村の介護保険料の増加がダントツであると政府は発表した。つまり避難生活を余儀なくされている状態での要介護の拡大が、介護費用の増加に結び付いているとの補足説明をしている。残念ではあるが今後も拡大を続けるだろう。
三つには、今なお解決されない除染とそれに対する対策である。汚染水問題もしかり、生活に直結する土地の除染も、その解決の先が見えない。よって対策費も同様である。多分「ざるに水」の譬えの垂れ流しが続くだろう。
そして終わりにどうしても触れなければならないものに、強制的に立ち退きを命じられ、過去の生き方を消し去られた「住民の尊厳」を幾らと評価するのかである。それはソロバンでははじくことはできない。だからと言って、コストに換算しなくとも良いとはならない。はじけないから「算入しない・算入できない」とするもほど高くつくものはない。「一番安価な原発」という方針は当たらない。「一番高価な電源こそ原発である」。最終処分を抜きにしても「一番高価な電源こそ原発である」ということが、欧州、米国をはじめ世界の動向が「再生エネルギー」重視へと舵を切っていることの立証である。
「人の生存そのものに関わる権利と、電気代の高い低いの問題を並べて論じるべきではない」・「豊かな国土とそこに国民が生活していることが国富であり、これを取り戻せなくなることが国富の喪失だ」。人格権を尊重し、住民の思いに寄り添うとした「高浜原発訴訟」の判決文に崇高な倫理を見出す。このことをあらためて「福島からの声」としたいものである。