徐せん・敷地内管理・仮置き場・中間貯蔵施設、そしてそこでの悩み、矛盾、課題
原発被害の修復(収束)にむけての取り組みの一つに「中間貯蔵施設」の建設がある。徐せんが叫ばれて久しい。しかし、その進捗は緩慢である。それには作業員の不足もある。住民の同意もなかなか進まない。原因はいろいろあるが、仮置き場が決まらないため、徐せん物は敷地内に埋設、あるいは地上管理となっている。その敷地内管理がいつまで続くかという危惧が大きな理由である。私の周囲でも徐せんを同意しなかった家は少なくはない。
仮置き場の候補地が見つかったとする。そこで近隣の住民の同意を必要とするが、自分たちの土地の()の徐せん物の持ち込みはやむを得ないとしても、他所からの持ち込みは反対だとなる。当然である。持ち出す側にとっては徐せんができてさっぱりする。しかし地元の住民にとっては「さっぱりした側は良くとも、俺らにとっては迷惑施設だ」となる。どうしてもというのであれば「迷惑施設を受け入れるための代償」を示せとなる。
現に、火葬場と集合墓地の建設を計画した市は、同地域に立派な運動場、野球場、公民館などの建設を約束し実現させている。
さて、中間貯蔵施設である。政府は、当初双葉郡3町(双葉町・大熊町・.楢葉町)に建設を予定した。その段階で楢葉町は受け入れを拒否、双葉・大熊2地区への建設を検討となった。しかし容積は増やさないが条件で゛ある。それでなくとも膨大な量である。しかも見当がつかないという。そこで「減容施設の充実」と「技術革新」となるのだがこれとて、その構想の先が見えない。
「最終処分場」の構想が決まらないことが危惧となり、地権者と行政は、賃貸契約(30年)と復興地域支援策の具体的な提示を政府に求めている。これに対し政府は、賃貸契約方式は取らない(買い上げ国有地とする)。復興地域支援策は住民との同意を求める協議の中で検討をしていく。ニユースで見る限り、以上が「中間貯蔵施設」をめぐる現状と受け止める。
次に買い上げ国有地化である。しかし住民は「先祖伝来の土地、手放せない」となる。さらに30年後には戻すことを念頭に置く、当然である。土地の賃貸契約は30年である。中間貯蔵施設も30年構想である。幸いにして30年後に地権者に返すとする。借り手(国)は「原状復帰」にするのが原則である。もともと畑であったところに家を建てた。原状復帰とは畑に戻すことである。しかし、中間貯蔵施設となれば、その解体と整地は簡単ではない。それでなくとも高線量の土地である。30年後の広大な土地の汚染状態はどう、いつの時点を現状とするのか。原発爆発前なのか、契約した時点なのか。また最終処分場は決まらないことも想定されなければならない。まず地権者一人一人の考え方には大変な温度差があるはずである。
さらに契約更新が可能か。その時点で契約当事者はどうなっているのか。地権者の存在は確認できるか、そして相続問題も絡むだろう。このように考えれば大変なことである。ニュースでは数行の言葉で表現されているが、実態はそのようなものではないことは明白である。
そして町が求めている支援策である。それは補償なのか。それとも帰還を可能にするための街づくりなのか。それが見えない。補償と街づくりはひとまず分離しなければならない。ここにも住民間の相違が生まれるだろう。
さて街づくりである。衣食住が充足される町にするとなる。では人口は、世帯数は、年代別は。これらによってその構想は異なるだろう。施策を求めている町は(行政は、住民は)そこを見定めなければならないのではなかろうか。仮に、高齢者が多い町(限界集落)とするなら別な問題が出てくる。
僅かな字数での提起である。ある意味では対岸から見る無責任な言葉と解されるかもしれない。しかし、対岸とは言え、原発被害は受けている。低線量に対する不安もあり、家族離散のリスクを背負う者も少なくはない。あえて批判を覚悟で述べたい。今は、一人一人の、これからの「生き方の選択」を考える時期ではなかろうか。「帰らない、帰れないとは口にできない」とか。「まず補償を。その補償によって新しい生き方を考える」とか。「どんなことがあっても戻る」とか。これらの言葉や選択を保障しあうことが必要であると考えるがどうだろう。
そして、もう一つの提案がある。これは以前にも書いたことであるが、双葉郡の一角の国有地に、双葉郡の共同公園墓地を、国・県・双葉郡町村の三位一体で建設してはどうかということである。そこに集約したらよい。そしてしっかりと慰霊をする。その墓地公園が、やがて双葉郡の皆さんの「絆の場」になれば良い。「春は花見・夏は花火・秋は芋煮会」。どんなに良いだろうかを付け加えたい。