「日本はこうして焼き尽くされた」・NHKスペシャル「本土空襲」を見て(8月12日放映)

2017-08-31 13:50:09 | 日記

「日本はこうして焼き尽くされた」・NHKスペシャル「本土空襲」を見て(8月12日放映)

 映像には、まず「ガン・カメラ」という文字が映し出された。米軍の戦闘機の翼にカメラが取りつけられ、機銃を打つと自動的に至近距離の映像が記録される。これを見たとき当時の日米の軍事力の差を見せつけられる思いであった。

 日本本土に飛来するB29爆撃機は、40発の爆弾をかかえ、一度に1.000発が投下できる「新型焼夷爆弾」を搭載していること、そしてその投下の模様が写し出されていた。この爆撃機から投下された爆弾は850万発、焼夷爆弾が2.040万発という。とりわけ新型焼夷爆弾は「ガソリンを撒いておいて火をつけるに等しいものであり、この開発にあたっては、木造家屋のセットをつくりその焼夷効果を確かめた」ということも付け加えられていた。そしてこの焼夷爆弾による死者は14万人、本土空襲で死亡した46万人の30%にあたる。米軍の当初の目標は軍事施設、あるいは軍需工場であったが、1万メートルの上空からの投下は命中率が低く、やがては、市民の居住地を焼き尽くす方針へと転化していったことが説明されていた。さらには低空飛行による「戦闘機の機銃攻撃」へと拡大をする。

 B29の基地として選ばれた「サイパン」の攻防では、民間人も含む5万人の日本人と米軍3.400人の命が失われた。また戦闘機の基地「硫黄島」における戦闘では、全軍玉砕の日本の軍部。そして米軍も7.000人余の命を落としている。また本土空襲で墜落し捕虜となった米パイロットに対する民間人による虐殺行為などが米国内で意図的に大きく報じられていった。

 『日本人が焼け死んだところで 彼らは所詮人間ではなく敵。それが戦争だ』
 『硫黄島では7.000人に近い仲間が殺された。私はその仲間の死体のにおいを毎日嗅いでいた』
 『敵陣の真っただ中につっこんで、日本人を殺すのだという殺意が私の胸にあったことは確かです』と元米軍のパイロットは語っている。

 そしてついに米軍の「無差別攻撃」へと発展をしていった。ここに東京大空襲直後に語られた当時の米空爆司令官の言葉がある。

 『私は約束をする。ジャップ(日本人)がもしこの戦争を続ける気なら、すべての都市が完全に破壊する未来しか待っていない」と。それが広島・長崎への原発投下に結び付く。

 それでも私たち日本国民の多くは、軍部の大本営の「我が軍の損害軽微なり、敵の損害おびただし」と報じるニユースを信じていた。

 そして戦争末期の日本の軍部はついに狂気の「特攻作戦」をとった。帰りの燃料を持たない特攻機。また米軍の本土上陸を九州「吹上浜」と想定した「肉弾特攻」がある。それは爆弾を抱えて戦車に飛び込む訓練である。その浜で訓練を見た少年は「それは精鋭の兵隊ではなかった」と当時を語っている。そして14歳以上の男子の義勇兵徴集が始まり国民総動員法が施行された。それが全国に展開された、米軍の無差別殺戮爆撃への憎しみと結び付き「一人一殺」の特攻作戦として全国に広がっていった。 

 当時の米軍の報告書には次のように記されている。「日本にはもはや民間人はいない。すべての「日本人は我々の軍事目標」となると。

 また敗戦の年の7月には「鉄道」が目標となり1.300人余の命を奪っている。しかもその多くは学徒動員などの中学生であった。その一つに「奈良県王寺駅」に止まった列車への機銃攻撃がある。その日の米軍の報告書で元パイロットは述べている。『我々にとっては動くものすべてが標的であった』『そして憎しみが、やがては憎悪となりすべての日本人を殺してやるとなった。それが戦争なのです』と。

 今こそ「戦争とは何か」という原点に立ち戻りたい。そして戦争という愚かな手段をとることを避けるために、具体的な事実を語り続けなければならない。戦争を知らない世代に伝える責任が私たちにある。

                                    (社民党がんばれOB・Gニュース9月号より)


最終処分場公表される。「福島県は除く、それは当然」それで良いのか。福島からの発信

2017-08-05 15:30:45 | 日記

  最終処分場公表される。「福島県は除く、それは当然」それで良いのか。福島からの発信

   日本の歴史に飛鳥、平城、長岡、平安といった「遷都」のページがある。それに関し興味深いことを聞いた記憶がある。遷都をめぐる政治的背景はあるが、同時に、それは「排泄物の処理」が理由の一つであると言う話である。当時は穴を掘ってそこに排泄をし、溜まれば次の穴を掘る。それが過剰になり都を移さざるを得なかったと言うのである。真偽のほどはわからない。しかし「二本橋」(便壷に板を二本渡してそこに跨る)を経験している者にとって「それはあり」と納得をしたものであった。

   さて現代の話である。大きなマンションを建てたがトイレがついていなかった。入居者はいない。しかし取り壊しようにも取り壊すことができない代物である。さてどうするか。原発をこの「トイレなきマンション」に例えて久しい。

   東電が原発を福島県に誘致することが決まり、その反対運動を展開してきた私たちの間でも、いつしかこのことを語ることが少なくなった。とりわけ3.11以降は、被災者の救援、補償、放射能汚染、そして除染などへと関心はシフトしていったことは事実である。そして今般「最終処分場」の候補地選定が公表された。そして「文献調査」の受け入れを承諾した自治体には20億円の交付金を出すなど、またしても「札びら行政」が行われようとしている。「東電・福島」をはじめ、原発を誘致した地区には「電源三法」による膨大な交付金がおとされた。それがまたぞろ繰り返えされようとしているところに、私たちの「付け込まれる弱さ」があるといっても過言ではない。

 そして世耕大臣は、この候補地からは福島県を除くと説明した。これに対して内堀福島県知事は即座に「当然」と表明。さらに双葉郡地元首長もそろって同様の発言をしている。これを真っ向から否定するものではないが、それで良いのかというのが私の受け止めである。もちろん私も福島県民の一人である。

   「現在、全国の原発で保管している使用済み核燃料は、今年3月末現在で計1万4870トンに上る。すべての原発の保管スペースを合わせても容量は2万740トン分しかなく、既に約7割は埋まっている計算となる。また青森県六ケ所村の日本原燃の施設にも、各原発から送られた2968トンを保管されている。それは保管容量3000トンの99%に達しほぼ満杯である。今後の最終処分の手続きがスムーズに進んだとしても、埋設を開始するまでには30年以上はかかる。使用済み核燃料の保管場所がなくなれば、原発の運転はできなくなるため、電力各社は当面の保管場所を確保するのに苦慮している。関西電力は使用済み核燃料を一時保管する『中間貯蔵施設』を建設して、2030年ごろに操業開始する計画だが建設地の見通しさえ立っていない」(毎日新聞2017年7月29日 大阪朝刊・解説)

   そして候補地公表と同時に提起された処分方式である。それは地下深く埋めるものであり、工事が開始され、完成した施設に高レベル廃棄物を搬入、そして埋め戻しをして封印するまで100年かかると世耕大臣は説明をしている。その説明に、何の矛盾も感じていない世耕大臣の事務的な姿に恐ろしさを感じたのは私だけであろうか。そして、さらに10万年の管理を必要とするのである。  

 そこで前に戻りたい。「トイレなきマンション」を語られなくなったのは、その責任は「政府、電力会社にある」とする主張が背景にあると考える。もちろん一切の責任はその二者にあることは明らかである。その受け止め方が、今般公表された「候補地」に対しても「考えられない無謀な計画」、そんなものを本気にする必要がないとする受け止め方が存在をしているのが実態と思うが、どうだろうか。

 今、原発基地内のプールに使用済み燃料が存在している。そして静か眠っているかに見えるが、いつ起きだして暴れるかはわからない厄介な代物であることも事実である。にもかかわらず政府、電力会社は再稼働を推し進め、使用済み燃料を吐き出そうとしている。そして地元住民は地域活性化を願ってその稼働を承認する。この経済的貧困なるが故の、疲弊した地元住民の実態といえばそうではあるが、それでよいのかともなる。

 再稼働反対、脱原発は、ひとえに『最終処分』と深くかかわる。にもかかわらず「福島県は除く、それは当然」として、この全国的な討論を横目にして済むのか。全国民と共有しなくて良いのか。それが一福島県民としての私からの提起である。