燃やしてはならない「消せない火」を私たちは燃やしてしまった ・その20

2019-09-11 05:28:47 | 日記

2011年4月1日

   戦時中、空襲を思い出す

  ガソリンを満タン。所要があって福島市に行ってきました。早朝と夜の7時半ころに余震が、震度3の揺れがありました。

慣れとは恐ろしいものです。戦時中、空襲のサイレンにはじめは右往左往しましたが、何回か繰り返される中で「危険の程度」を予測することができるようになり防空壕に行かず寝ていた記憶がよみがえりました。人間の習慣とはそのようなものでしょう。

そして、今度は、原発現場に線量計が無いということです。作業者が線量計を携帯していないです。それは許せないことです。このことは「ブレーキの利かない車に乗って走れ」と言うことに等しいものです。建築現場で言えば「高所作業をする者に安全帯を着用させないで作業をさせる」に等しいものです。これは重い罪です。例えば建築現場では書類送検という法的制裁を受けます。今までは、東電の、現場に対する認識や姿勢に「想定できない問題の連続の中で」として理解を持とうとする面がありました。しかし、この度の「線量計の不携帯」の問題は絶対に許せません。

とりわけ「前戦」で復旧に携わっている協力会社の作業者をどのように考えているのでしょうか。平常時であれば「職場放棄」の運動が起きても不思議ではありませんし、私たちも、その運動を促し支持したい想いです。しかし、今は「そうであれ・なんであれ、彼らの力を借りて『消さなければならない』」。この矛盾はあります。

ところが、地元の福島労働基準局は「口頭注意」です。おかしいです。

昨今のニュースも含め、報道がますます「東京化」していくことを痛感します。「福島は今もって揺れています。再度の津波も恐れます。それが揺れと津波と原発の再爆発の『極限の不安』」にたじろいでいるのです。つまり「原発災害の全県的な拡大への不安です」。現に58㌔離れた郡山市でも、家屋、塀などの損害の復旧にためらっている方が多数います。ここに永住できるかという不安です。お金は避難のことを考えてとっておこうと迷っていることも事実です。

政府、国会(政治家)のこのことに対する認識の薄いことを痛感しています。

また、私たちの側における認識もあります。確かに「反原発」の学習と運動をして参りました。しかし、これらも原発の危険と災害を一つの「仮定」として討論してきたことは事実です。それが現実のものとして目の前に実現した時、なすすべのない状態におじ惑い、うろたえているというのも実態です。

今、「原発の是非とか、廃炉にすべき」とかの論議をしている時ではありません。「消すことです」。

そのために私たちは何ができるか。「戦時の玉砕」ではありませんが、被ばくを覚悟して高濃度の状態にある現場に走りますか。そんなことはできません。

「きついことであり、大変なことではありますが、専門家に託す」しかありません。

「避難者の実情が、帰る土地が無いと言う意味では、福島は他県とは違う」ということをあらためて訴えたいと思います。