「鬼子・原発よ」。しばらく、しばらく眠りから覚めないで欲しい。暴れないで欲しい

2014-02-27 14:52:35 | 日記

    「鬼子・原発よ」。しばらく、しばらく眠りから覚めないで欲しい。暴れないで欲しい

 

脱原発の是非をめぐる東京都知事選は、原発推進を鮮明にする自民党の支持を得た舛添氏の勝利となった。

とは言え、脱原発の統一候補が実現していれば、結果は異なったであろうとも受け止められる都民の支持であったと考えたい。

さて、知事選の対立軸でもあった「最終処分問題」である。

2月25日の毎日新聞は、一面トップに「核のごみ処分地・科学的絞り込み断念」との記事を掲載している。小泉元首相の国民的人気もあり「核のごみ」発言を無視できず、政府は昨年12月、「国が前面に立って解決する」との方針を出し、安倍首相も「科学的根拠に基づき、国が適地を提示する」との国会答弁をしている。

いずれにしても、使用済み燃料は、すでに全国で17.000トンあると言われている。この膨大な危険物は管理されているとはいえ放置できない。小泉発言によって浮き彫りになったものではない。歴代の政府の無為無策、無方針の中で現在に至った問題である。その意味では「日本における政治の責任」であり、私たち国民もまた無関係ではない。

しかし、ここにきて「科学的根拠に基づき、国が適地を提示する」と明言したが、次に上げる条件の地域は「立地不適切」として候補地から外すとなった。

     ◆火山の半径15キロ圏内。

     ◆活断層の周辺。

     ◆過去10万年間に300メートル以上の隆起した地域。

今回、経産省部会が出したこの三つの条件は、不適地のみを提示で終わっている。候補地の選定もできていない。

よくよく考えてみよう。日本国土を縦横無尽に火山帯は走っている。また活断層もそうである。しかも、そのすべてが、場所も活動状況のデーターも不足している。ましてや10万年前の日本は今の形をしていない。地殻変動を科学的に立証することができるのだろうか。素直に読めば「科学的に地下埋設を可能とする立地の絞り込みは断念」とする受け止め方が正しいことになる。

しかし、日本の官僚は頭が良い。

つまり、このような自縄自縛の中で、使用済み核燃料を再処理してプルトニウムとウランを取り出し、繰り返し使用するという核燃料サイクル政策に、国民の同意を得ようとする「絵を描いている」のではないかということである。しかし1兆円のモックス燃料をつくるのに10兆円が必要と言われている。とんでもない高額な原発エネルギーの値段である。しかし、電気料金の値上げは手段となる。「絵を見せる効果」があると考えるが、どうだろう。

それでも最終処分場は必要とする。そこで乾式方式による閉じ込めと、水素の発生を抑えた上で、貯蔵容器と保管建屋で、一定期間管理を続けようとする。減容化された使用済み核燃料を、その都度この方式で処分していけば、原発の不安のかなりの部分は解消できる。そして時は稼げる。

だが、今いる5割以上の者はすでにこの世にはいない。それでよいのか。責任がとれると言うのか。心は苦しく、重くなる。

それでも、原発再稼働を認めますか。原発エネルギーを求めますか。

再度の願いである。「鬼子・原発よ」。しばらく、しばらく眠りから覚めないで欲しいと。

                     


NHK 朝ドラ「ごちそうさん」・西門悠太郎課長が逮捕

2014-02-24 14:29:09 | 日記

  NHK 朝ドラ「ごちそうさん」・西門悠太郎課長が逮捕

 

NHKの朝ドラ「ごちそうさん」には、前回の「あまちゃん」同様はまっている。震災前に何回か訪れた浄土が浜や、そして海岸沿いのドライブ。途中の大きな岩の壁の高い所に記録された「過去の津波の高さ」など。そして海岸沿いの遊歩道などを思いだしての視聴だっただけに、感じるものが多かった。しかし、震災後に訪れた浄土ヶ浜の遊歩道は、波の下に隠れてしまっているなど、その変わりように驚き、恐れおののいた。

そして、今回の「ごちそうさん」である。

め以子の実家の食堂。商売とはいえ、その当時、あんなに卵や肉などはなかったろうにと思いながらではあったが、ますます、のめり込むものがあった。それは「食べることへの執着」である。

あのころ、私は国民学校3年生(9歳)であった。その私にとってもまず食べることであった。山に行っては、食べられるものはすべて取って帰った。そしてコメ粒が見えないくらいの雑炊。最後、椀の底に僅かに残すコメ粒を惜しみながら食べたものであった。

今でもはっきり覚えている。家の床下にツボを埋めていた。空襲で家が焼けても残るようにと考えたことである。その中には白米が2升くらいあったろうか。その白米は、亡き父の形見であった「仙台はかま」との物々交換により手にしたものである。

仙台空襲の夜、避難した防空壕から見上げる上空を、「黒い絨毯」のようになってB29が北へ飛んで行った。そして翌朝「仙台全滅」という噂を聞くことになる。母はその夜、ツボから白米を取り出し全部焚いた。男の子がふたり、そして5歳の女の子を前にして、母は、最期くらい腹いっぱい食べさせようとした。日本も終わりかという気持ちがそうさせたのであろう。

おかずは、何であったかは覚えていないが、「腹いっぱい食べ」寝転がったことは覚えている。母のそんな気持ちも知らずに。

さて、「ごちそうさん」である。

主人公の西門悠太郎が逮捕される。逮捕の理由は、「空襲に備える防空訓練で、火を消さずに逃げるよう指示した」ことにある。その背景には、当時「防空法」というものがあり、「都市からの退去(疎開)を禁止する」。また「逃げずに火を消せ」という法律によるものであった。

私自身、そのような法律のあったことを今まで知らなかった。ドラマの脚本が、今後どうなるかは知らないが、このような法律があったことを、水島朝穂さん(早大教授)のメールで知った。

空襲から逃げると処罰される。しかも「非国民」のレッテルがはられて。「命を投げ出しても火を消せ・銃後を守れ・お国を守れ」が至上命令であった中で、西門悠太郎は、「逃げろ」と指導した。非国民・思想犯ということになる。

そして、この方針は、東京や大阪が焼け野原になった昭和20年3月以降も変わらなかった。もちろん仙台市の7月10日の大空襲の時もそうであった。仙台市民の多くが逃げずに消火に走りまわったであろう。そして多くの市民の命が奪われた。

冒頭述べたように、「ごちそうさん」に、はまっている私であるが、時代を語る報道機関のドラマとして、今一つの突っ込みを期待したいとあらためて思う。NHKの汚名返上の意味も含めて。

なお、前記に紹介した書籍は次のものである。

      「検証 防空法 空襲下で禁じられた避難」水島 朝穂・大前 治著(法律文化社)

 


またしても発生の「東電第一原発の汚染水漏れ」に思う 

2014-02-22 11:17:18 | 日記

   またしても発生の「東電第一原発の汚染水漏れ」に思う 

         

2月21日(土)の朝刊を見る。我が家は中央紙と、地方紙の二部を購読しているが、紙代も年金生活者にとっては負担である。図書館が近くにあれば、冷暖房の整う快適場所として有効活用もあるのだが、生憎遠い。

さて、本日の紙面は注目の記事が多い。そこで地元であることも含め、東電福島第一原発の汚染水漏えいに触れたいと思う。

昨年10月3日のブログに「どうぞ隠さないでください」ということを書いた。原発という重要な問題を孕むがゆえに、例えば過失に結び付く事故を隠すという本能が作業員にも、事業主にも働く。でも過失であれ、失敗であれ、そこに起きたミス、事故は決して隠さず報告してほしい。受けての管理者も、その報告を丁寧に扱い、機敏な対応と、むしろ報告があったことを評価する姿勢がほしいと述べた。

今般発生したとされる「弁の操作」が原因とする漏れ事故であるが、ミスか隠蔽かの論議になっているようである。

振り返って考えてみたい。昨年8月に、タンクから約300トンの汚染水が漏れた際にはタンクの底板部から漏れていたことが、後日判明している。東電はこれまで水位計の警報作動時のマニュアルを作成していなかった。小野所長は「水位が下がることばかり警戒し、水位上昇時の対応は不十分だった」と述べた。当時、このことを知り「マニュアル」が作成されていなかったということに、憤りを超え、あきれたことを記憶している。

安全管理は、マニュアルの作成と、そのマニュアルを順守する点検、管理にあるということが基本である。極めて簡単なものにスーパーのトイレにある「清掃点検管理表」なるものがある。そこには、清掃の箇所と手順があり、そこをチェックし、点検者のサインがある。たかがトイレ・されどトイレ。そこには管理する側の責任と、同時に公衆の目に触れることによる信頼関係の重視がある。これが事業主の安全衛生管理の姿勢である。

東電はタンク水位の上昇などを知らせる警報が鳴った場合の対応マニュアルを緊急作成し、21日から暫定的に運用していると、小野福島第一原発所長が福島民報社の取材に対し明らかにしている。ちょっと待てよとなる。タンクの推移の上昇や水漏れは事故は、昨年学んだことでなかったのか。それが今、緊急作成し暫定運用とは何事なのだろう。

さて、マニュアルが整備されていなかったとしても、タンクの点検、さらには配管、水回りの点検はされていたであろう。問題は、その点検の記録が管理されていたかであり、その点検者がどのような立場にあるものかである。

多分下請け、それも下部下請けに委託していたのではないか。点検ミスがあれば、それこそ原発特有の重大事故に結び付くだろう点検と管理が、下部下請けに委託していること事態。もしそうであればまさに無責任としか言いようがない。

いかに定型作業であれ、専門的知見を要しない作業であれ、汚染水漏れがどれだけの重大なものであることは先刻承知のことである。

門外漢が、しかも想像での指摘で間違いであれば謝罪したい。かく言う私自身、現役時代に民間の安全衛生管理に多少かかわった者として、本体が(東電社員)が配置されているとは考えられないがゆえに提起したものである。もちろん下請けへの委託を否定するものではないが、より管理責任が問われる部署には、東電社員が配置されてしかるべきであろう。

    ◆「「決して隠さないでほしい」

    ◆「安全・衛生点検は、責任ある部署からの直接配置としてほしい」

    ◆「その点検と記録は、複数作業(一人作業)としてほしい」

    ◆「その点検結果を、月次報告として公表してほしい」

 

 

 

 


心せよ・国の指導者の一言が、国益を損なう

2014-02-21 14:56:31 | 日記

   一度口にした言葉は、.元に戻らない

         心せよ・国の指導者の一言が、国益を損なう

 

「ことばを言った、矢を放った、手紙を書いた、罠(わな)に落ちた」はタタール人のことわざである。これは、毎日新聞2月21日の余禄からの引用であるが、一度出たことばは元には戻らないという警告である。

かつても、政治家の失言が取り上げられ紛糾した例は少なくない。しかし、ここにきて、政治家のみならず、その分野の中軸にある要人の発言が問題になっている。NHKの会長、経営委員。そして首相補佐官、内閣参謀参与などの発言である。いずれも安倍首相の肝いりの人事によって任命された者であり、その発言が「靖国参拝」に共通している。

この共通している「連続発言」は異常といっても過言ではない。そこに任命責任者としての「政治家・安倍晋三首相」の本質を見ることになる。

ここに一つの資料がある。論者は日本人、アメリカのシンクタンクに所属している。私自身、それほどの知識も確信も持ち合わせていないが、直観的に理解のできる論旨である。以下、その文章の要約を紹介したい。

・・・アメリカ大使館が、参拝に『失望』の表明で異例の対応をしたが、この声明を巡り、日本では「アメリカ政府はそんなに腹を立ててはいない」「日米関係にはあまり影響はないだろう」という楽観的な雰囲気のようだ。ワシントンで生活している身としては、大いなる違和感を持つ。私自身の経験から言えば、アメリカ政府の関係者やアメリカ人研究者と話をするとき、日本が国のために命をささげた人たちを追悼し、敬意を表すことは批判されるべきではないという点については同意してくれる。しかし、その場合でも「戦争の犠牲者に対する日本人指導者による敬意の表し方」としての『靖国神社参拝』はどうしても理解してもらえないのだ。特に、ちょっと日本に詳しい人になると、1979年にA級戦犯が合祀されて以降、天皇陛下が靖国神社を参拝していないことも知っており、『天皇陛下ですら参拝していない場所を参拝することに、なぜ一部の日本の指導者はそこまでこだわるのか』となる。日米安全保障協議会(2プラス2)会合のために来日したヘーゲル国防長官とケリー国務長官が揃って千鳥ヶ淵に献花に赴いたのも、「戦争の犠牲者に追悼の意をささげるのであれば、こちらの施設があるではないか」という明確なメッセージだった。それにも拘わらず先月、安倍総理が靖国神社参拝に踏み切ったことで「安倍は個人の信条を、日米同盟の将来や日本の国益に優先させる指導者なのか?そうだとすると、尖閣諸島で状況が緊迫するようなことがあった場合に、理性的な対応をしてくれることを本当に期待できるのか? わざと中国を挑発するような行為に走らないといえるのか?」という不信感が湧き上がっている。「大局的判断よりも自分の思い入れにこだわる指導者を米国は信頼できるのか?そのような人物がけん引する日本という国との関係を強化することで、米国がリスクを抱え込んでしまう可能性はないのか?」。米国の東アジアにおける立ち位置を考慮したうえでの「日本リスク論」が首をもたげているのである。・・・

      「靖国参拝を米国は許容できない理由日米の認識のギャップ」 ・辰巳由紀 (スティムソン・センター主任研究員)

今政府が、十分な情報の把握ということを主張している割には「知らな過ぎる」というのが政治の枢軸にある者の実態ではないだろうか。また「日本での『相わかった』ということは、外国では『聞いた』ということにすぎない」ということを耳にしたことがある。つまり文化が違うのだ。いずれにせよ、国内においても二分化している『靖国信仰』を、国の指導者が、己の思想として、国内もさることながら、外国へ押し付けることは理解されない。むしろ、警戒と反発を抱かせるということを、今回の事件が証明していると思うが、どうだろう。

 





 人間ドックとゴルフツアー・富で住む国が選択できる

2014-02-19 15:38:18 | 日記

   人間ドックとゴルフツアー・富で住む国が選択できる

        安倍首相・全国津々浦々というのであれば、その保障を語ってほしい

           

「投資移民の希望者が殺到しているカナダでは、中国系の移民は英語が話せず、地域社会にとけ込もうとしない。このまま急増していくと社会のバランスが崩れるということで投資移民制度を廃止した。ところが今度は、サイパンを移民先として開拓しているという。45日間ビザなし観光ができる。その間に出産すると赤ちゃんは米国籍がとれる。そこで両親は赤ちゃんを抱いて米国本土に移民する」。(2月19日の毎日新聞「余禄」からの抜粋)

お腹の大きな産み月の中国女性が、ぞくぞくとサイパン空港到着機のタラップを降りる光景を想像する。これって漫画になるだろう。

全員が、そうと決めつけるのは失礼であるが、国内の観光地での中国の皆さんの姿にそのことを見る。バスの乗降には譲り合いがない。あるいは車内での大声、道路幅いっぱいの歩行など。文化の違いはあるとはいえ、どうかと思うことがしばしばである。

そして、人口13億の、極めて一部である中国の富裕族に合わせた日本企業の商売の実態を見る。それが医療機関による企画が一つである。つまり、高度医療施設を持つ病院が「1泊人間ドックとゴルフ」をセットとするツアーの企画である。旨味のある企画と言われている。その結果、施設を増築し、設備も近代化していっている病院も少なくない。

医療機関の中にも格差が拡大している。

次にあるのが、ある会社が提案している企画書の一文である

  ・・・・・・・・・・・・・

私共がご提案させて頂きますツアーとは、中国各地より来日頂く中国人渡航者の中でも限定された一部の富裕者(中上流階層)の方々向けに、最新設備を有する○○クリニック様との業務提携により、中国人の方専用の人間ドックサービスをご提供させて頂きます。さらに、健康と癒しをテーマとした温泉施設や食事にも配慮をし、本ツアーを通じて、日本が持つ「伝統」や「もてなしの心」にふれていただき、心と身体の両面からご満足いただけるサービスをご提供させて頂きたいと思います。

                                                           ・・・・・・・・・・・・・

医療機関の多角経営は今に始まったことではないが、外国人向けに限らず、国内の富裕層がかける、医療費は膨大なものになっていると聞く。それに合わせて「差額ベット床」も豪華になっていることも報じられている。そして「高度先進医療」の治療がある。検診の結果を医師から聞く。病状に対する患者の決断にも格差が生まれる。

秦の始皇帝に「東方の三神山に長生不老(不老不死不老)の霊薬がある」と具申し、始皇帝の命を受け、3,000人の童男童女(若い男女)と百工(多くの技術者)を従えて出発したという徐福伝説がある。

始皇帝ではないが、誰もが長く生き続けたいと願う。そのための治療方法があればそれが多額であっても望むだろう。但しその費用を負担できるものだけである。

貧富の格差が拡大していると言われて久しい。その貧富の差は、医療、介護という分野に限らず、子どもの教育の差にも表れている。極論すれば「死に方にも」にも差ができる。

安倍首相は「全国津々浦々」という。

それでは問いたい。津々浦々と言い切れる保障はどこにあるのか。保障を裏付ける国民の年収をどの程度であると考えているのかと。そのことを答えてから、はじめて矢を放ちなさいと言いたい。