「鬼子・原発よ」。しばらく、しばらく眠りから覚めないで欲しい。暴れないで欲しい
脱原発の是非をめぐる東京都知事選は、原発推進を鮮明にする自民党の支持を得た舛添氏の勝利となった。
とは言え、脱原発の統一候補が実現していれば、結果は異なったであろうとも受け止められる都民の支持であったと考えたい。
さて、知事選の対立軸でもあった「最終処分問題」である。
2月25日の毎日新聞は、一面トップに「核のごみ処分地・科学的絞り込み断念」との記事を掲載している。小泉元首相の国民的人気もあり「核のごみ」発言を無視できず、政府は昨年12月、「国が前面に立って解決する」との方針を出し、安倍首相も「科学的根拠に基づき、国が適地を提示する」との国会答弁をしている。
いずれにしても、使用済み燃料は、すでに全国で17.000トンあると言われている。この膨大な危険物は管理されているとはいえ放置できない。小泉発言によって浮き彫りになったものではない。歴代の政府の無為無策、無方針の中で現在に至った問題である。その意味では「日本における政治の責任」であり、私たち国民もまた無関係ではない。
しかし、ここにきて「科学的根拠に基づき、国が適地を提示する」と明言したが、次に上げる条件の地域は「立地不適切」として候補地から外すとなった。
◆火山の半径15キロ圏内。
◆活断層の周辺。
◆過去10万年間に300メートル以上の隆起した地域。
今回、経産省部会が出したこの三つの条件は、不適地のみを提示で終わっている。候補地の選定もできていない。
よくよく考えてみよう。日本国土を縦横無尽に火山帯は走っている。また活断層もそうである。しかも、そのすべてが、場所も活動状況のデーターも不足している。ましてや10万年前の日本は今の形をしていない。地殻変動を科学的に立証することができるのだろうか。素直に読めば「科学的に地下埋設を可能とする立地の絞り込みは断念」とする受け止め方が正しいことになる。
しかし、日本の官僚は頭が良い。
つまり、このような自縄自縛の中で、使用済み核燃料を再処理してプルトニウムとウランを取り出し、繰り返し使用するという核燃料サイクル政策に、国民の同意を得ようとする「絵を描いている」のではないかということである。しかし1兆円のモックス燃料をつくるのに10兆円が必要と言われている。とんでもない高額な原発エネルギーの値段である。しかし、電気料金の値上げは手段となる。「絵を見せる効果」があると考えるが、どうだろう。
それでも最終処分場は必要とする。そこで乾式方式による閉じ込めと、水素の発生を抑えた上で、貯蔵容器と保管建屋で、一定期間管理を続けようとする。減容化された使用済み核燃料を、その都度この方式で処分していけば、原発の不安のかなりの部分は解消できる。そして時は稼げる。
だが、今いる5割以上の者はすでにこの世にはいない。それでよいのか。責任がとれると言うのか。心は苦しく、重くなる。
それでも、原発再稼働を認めますか。原発エネルギーを求めますか。
再度の願いである。「鬼子・原発よ」。しばらく、しばらく眠りから覚めないで欲しいと。