公開中 燃やしてはならない「消せない火」を私たちは燃やしてしまった ・その26

2019-09-17 05:16:22 | 日記

2011年4月17日

 学校が始まりました。悩みの始まりです

 

   現地の課題は住民の被ばくです。今回の政府方針で年間積算放射線量が20ミリシーベルト(以下単位を省略)を超えると予測される地区は避難勧告「計画的避難準備」。同様に10ミリを超える場合は学童の就学制限となりました。そして問題は、この放射線量に対する専門家・学者間の発言です。年間100ミリシーベルの範囲は「問題ない、いや問題がある」。「政府も当初は100ミリと言っていたが20ミリにしたのは妥当である」。「一概に決めることには問題がある。同じ地域でも、例えば、道路一つ隔てだけで立ち入り禁止になるなど、数値に差で画一にすべきではない」。「いや、『線引きは必要だ」などなど、極端に言えば100人いれば100通りとは言わなくとも幾つもの発言が出されています。

 これでは何を、誰を信用してよいのかわかりません。「先が見えない、考えられない」。その意味では、他県には無い深刻な生き方を福島県民が抱えていることを理解して欲しいと思います。

 小・中学校の就学が始まりました。各学校のグランドの線量の測定数値もバラバラですし、方針もバラバラです。保護者の質問に対しては、市も県も「国の方針が明確ではない」となっています。子供の就学をためらう親は家族移動となります。仮に、郡山市以北の二本松地区・福島地区に住む学童の親が、移動「転校」を決意したとすればそれこそ10万人単位の大移動の始まりとなります。 

 しかし移動できる人は良いとして、不可能な親子の想いはどうでしょうか。そこで言いたいのです。避難される方は悔しいでしょう。しかし「静かにそっと出て行って欲しい」と思います。不安を抱えた母親は「安定剤に頼る」ということも聞きます。  

 政治「国会」は震災復興・賠償・原発存続の可否論議には熱心です。それだけではありません。この機会を狙い「政局問題」に火花を散らしています。国民、とりわけ現地はそっちのけです。私は提言します。今なすことは何か「一日も早く原発を消すこと」。風評被害の元凶でもある「被ばく数値」に対し、政府の責任ある明確な方針を国民の前に示してほしいと言う事です。

 「復興構想対策会議」が設けられました。もちろんそれも必要でしょう。しかし、それよりも先に「放射能放出・被ばく問題対策会議」(仮称)を立ち上げるべきです。そして前記した「放射線量の統一的な見解と方針」を出す場にして欲しいのです。

 二本松市で武田邦彦教授(中部大)の講演がありました。会場に入りきれず外のスピーカーによる聴講となりました。彼はいわゆる1ミリ論者です。「子供は避難すべき」と述べていやます。前記しましたように簡単に避難はできません。子供に与えるリスクの大きさの判断とその正当性。私はそのどちらにも責任ある知識を持ち合わせてはいません。でもわかることはあります。「実現できないことを科学的と称する基準をもって処する」ということは「科学ではない」ということではないでしょうか。

 放射線量の基準値は「我慢値」であると述べている学者もいます。私はその理解もあってよいと思います。「放射線量のリスクを『生活を維持する条件』の中で考える」ということです。ある学者は「放射線量の被ばくは『宝くじの当たり口』みたいなものである」と述べています。1枚で当たる場合もあれば、1万枚買っても当たらない場合がある」と。しかも発症したそのガンが、何を起因としているかの根拠は立証できないという点でも一致しています。私はそのことを冷静に考えるべきと思います。

 最後に武田邦彦教授が講演の中で触れられた次のことは重要だと思います。「国際規格の数値を決めるに当たって、日本側の参加者は下限の数値3ミリで良いと発言した。しかし欧米は厳しくとらえていた。厳しい設定は悪いことではない。そこで最終的に1ミリに合意した」という内容のものでした。所詮数値は目安であるという印象はぬぐいきれない。そのように考えれば、また異なった見方が出てくるように思います。