痴呆の妻をおいて、先に往った夫、そして息子

2013-05-27 18:58:55 | 日記
家内を置いて先には往けない。しかし逆になった人生

 久しぶりで訪ねた知人のことである。知人とは言っても深く知り合ったわけではない。少しばかりの家庭菜園を楽しんでいる時に、声をかけて通る方であった。その方も自転車の後、前に収穫物を積んでいたので近くに畑を持っておられるのだろう。そんなこともあっていろいろとアドバイスをしてくれた。
 しかし、畑もなくなって以降はあっていないが、2年前だったか、道でお会いをしてその方の自宅を知ったという関係である。そのとき、見てはならないものを見てしまった。その方の奥様が下着姿で家からとび出してきたのである。痴呆も進み徘徊の兆候が出てきたと言うのである。その方が急いで追いかけ上着をかけていた姿を思い出す。

 80歳は超えていたはずである。「この家内を置いて先に往くわけにはいかない」と奥さんを家の中に入れてから、玄関先で述べられた言葉を記憶している。
 今回、その家の前を通ったら男性が庭の手入れをしていた。直感的に息子さんと判断して「お父さんは元気ですか」と尋ねた。昨年の暮に亡くなったという答えが返ってきた。そしてお母さんは寝ているというのである。「残して先に往くわけにはいかない」としながらも逆になってしまつた。

 長寿社会の中ではよくあることである。「人生、ままにならない」というが、まさにその通りである。さて、かなり進んでいるだろう痴呆の母親をどうするのか。介護者の父の突然の死であり、息子さんも途方にくれたことであろう。多分老夫婦二人の生活であったはずである。尋ねるのも詮索となるので止めた。所詮、他人が尋ねてもどうすることもできない。そのまま帰ったが重い気分であった。

 「老をどう過ごすのか」。有識者はいろいろと評論するが、考えたくとも、考えられないというのが実態ではなかろうか。「ケセラセラ」ではないが、なる様になるしかならないのである。
 
皮膚の細胞から臓器をつくるまでの科学が発達しているこの時代である。中国の始皇帝が、部下に不老不死の「仙薬」を見つけることを命じたとの喩えと同一視するわけではないが、「老老介護」・「認認介護」からくる、悲しい、忌々しい出来事は見たくもないし、聞きたくもない。しかし避けて通れないのも事実である。とするなら、社会が「国を支えてきた先輩の老」に責任を持つことが「仙薬」を探し出すことであり、近代政治の姿ではないだろうか。

 1500万円までの相続を「孫の教育費」に当てるとするなら税を免除するという。対象者がどれだけいるかはわからないが、見当外れの政治ではなかろうか。無年金者、年収200万円未満、非正規労働者の親はどうなるのか。それでも自助努力と政治は答えるのか。


奥会津・桧枝岐のそよ風に吹かれて原発を思う

2013-05-26 15:19:49 | 日記
若葉の緑が、こんなにも濃いのか。  

 以前は「桧枝岐集落」と称して、山中の寒村といったイメージがあったが、それは過去のことであり、今は、ハイカラな建物が建ち、街中も整備され、街中を流れる「伊南川(桧枝岐川)」は川幅も広く釣り人の姿も見られる清流である。
 桧枝岐と言えば、桧枝岐歌舞伎(国指定重要無形文化財)がある。かやぶきの舞台(重要有形民俗文化財)そして前には、積み上げた石段があり観客の席となる。語り部の話によれば「お伊勢参り」に出かけた村人が江戸で観た歌舞伎の台本を持ち帰り、村人の娯楽として始められたものだと説明をしていた。ある説には平家の落人によるものとも語られているが確証はないとも言う。(歌舞伎座の星長一10代目座長) ただ、舞台衣装に平家の家紋である「揚羽蝶」が染められているとの説明もあり、資料館にあつた衣装にその家紋を見ることができた。いずれにせよ、村人が集まり、舞台を観ながら、酒を飲み交わし、弁当を食べての娯楽の席であったことは間違いない。

 観光案内はこのくらいにして、若葉の緑がこんなにも濃いのかと言うことを報告したかった。尾瀬の湿原までは20キロ余りであり、今尚、真っ白に雪を抱いた燧ケ岳が見える。
 しばらくは、川の土手に腰をおろし考えた。澄み切った青空、初夏並みの気温であるが、さわやかな風が、さして暑さを感じさせない。

今朝の新聞にも、原発の再稼動の記事が載っていた。そしてインドとの原子力協定の締結、日本国産原発の輸出が確実になった。安倍首相は「各国より、わが国の原子力技術への高い期待が示されている。私自身もリーダーシップを発揮し、わが国の技術を提供していく」と。さらに「事故の経験と教訓をもって、世界の原発の安全に貢献することが責務だ」とも述べている。

「原子力技術への高い期待」。しかし、今もって修復の見通しは立たず、いつ何があっても不思議ではない不安な状態にある。2年前の爆発に際し、何の対応もできず、それでも自衛隊のヘリによる海水の注水があった。テレビの画面で見る限り、注水ではなく「散水」としか考えられない状況を思い出すとき、「事故の教訓を生かした安全への貢献」、しかも責務だと胸をはるところに驚きと無責任さを感じるのである。

前に戻ろう。「土手に座り」木々の緑、吹く風のさわやかさ、そして真っ白な雪の山を肌で感じながら頭を横切ったのは、「原発輸出」とは、実は、国外における原発建設と稼動を事実化することにより、「安全神話の逆輸入」が目的ではないかと言うものであった。

この自然の豊かは、自然の修復力が働くことによって保たれてきた。2年前の夏の南会津集中豪雨は今も大きな傷跡を残している。しかしいつかは回復する。富士山の噴火も、溶岩で焼き尽くされた跡に、広大な「青木ケ原樹海」が生まれた。
しかし「一旦、火を噴いた原発は消すことのできないのだ。修復はできないのだ。消すことができない火を燃やしてはならない」と。  
自然の営みの中に身をおいて、あらためて原発の恐ろしさを教えられたひとときであった。


 


来年も咲くよ。手入れする花が答えてくれた

2013-05-24 10:02:30 | 日記
84歳の老婆からまなぶ、時の過ごし方

 所用があって近所のお宅を訪問した。近所とは言え、町内が同じと言うことだけである。
 夕方の4時頃である。初夏を思わせる陽気で庭仕事には絶好の時間帯である。案の定、その家の老婆が花の手入れをしていた。約20坪はあるだろうか、色とりどりの花が庭いっぱいに咲いている。
 「大変ですね」と声をかけたら、「いいえ、楽しんでやっていますよ」との答えが返ってきた。そして「私の年になりますと何もやることがありません。花いじり位ですよ。それに、鳥が運んできてくれるのか、植えたこともない花が咲いているので楽しみです」と。
しばらくの間、雑談の時を過ごした。

 お年を聞いたら84歳とのこと。私らが幼かった頃の老人と言えば60歳前後で腰は曲がり、杖をつき、いわゆる「ご老体」という姿を思い浮かべるが、今は違う。彼の老婆も粋な上着をはおり、土をいじる姿は、最近立ち上がるときに「よっこらしょ」と声が出てしまう私などよりは若い。そのことを述べると「花や草から『気』を頂いているのかも」と笑っていた。

 80歳を超えているのであるから、あの戦争を経験している。もしかして、父や兄が戦地で命を落としているかもしれない。そして敗戦後の「食えない時代」を生きてきた。働き、そして子を育て、今がある。家族状況に立ち入るつもりはなく、もっぱら花談義に費やしたが、『気』を頂いているという言葉に、私は、老婆の至福の時間を見た。「また来年も花を見ることができますね」との私の言葉に、「そうなんです。この花も、来年も咲くからねと答えているような気がします」と。
 ますます嬉しくなった。

 ブログをはじめたのは4月、この開設にあたって、ネットの先輩が「ともかく投稿を続けることです。訪問者は自ずと増えていくはずです」と勧めてくれた。以来可能な限りの投稿を続けている。この老婆との出会いを、「そうだ、これを紹介しよう」と思ったのもそのためである。

 ラジオが報じていたのだが、猫も長寿となり、耳が聞こえなくなると鳴き声も大きくなるとのことである。人間も段々声が大きくなり、テレビの音も大きくなっている。何時ぞやは、子どもが来て「テレビの音が外まで聞こえるよ」と言っていた。とすれば、我が家の、年寄り二人の口喧嘩も近所に聞こえているかも知れないと思うと、少しはガマンをしなくては思う。

 足腰が弱り、耳や目が劣ろえても、彼の老婆のように「至福の時」を過ごせる、目や耳を持ちたいものだと痛感した日であった。

散髪から、介護制度の見直しを考える

2013-05-22 15:14:53 | 日記
 再度述べたい。「きれいな、さっぱりした台所、トイレを望むのは甘えか」

 1ケ月に一回は散髪に行く。多いか、少ないかはともかく、自分の収入からしてその程度だろうと言う習慣になっていた。しかし、最近は億劫になり延び延びとなる。家内から「頭」!と言われてようやく腰を上げるというのが私の散髪通いである。億劫の裏には「髪の毛がなくなっている」こともある。

 散髪店は歩いても3分くらいである。予約制を取っているが、予約したことを忘れることもある。すべてが老化現象の始まりなのかもしれない。今月もようやく腰を上げ散髪に出かけた。椅子に腰をおろし、何時もの通り洗髪にとりかかる。そこにタクシーが店の前に止まった。散髪店の主が扉を開け、タクシーに近寄り乗客に手を添える。出てきたのが杖をついた老人であった。「ありがとう」。主にしてみればお客である。当然のことではあるが、その一言を聞いていて嬉しい。

 ようやく椅子に落ち着いた老人は「ふっと」ひと息をつき、「伸びちゃってね」。愛想を振舞うわけではなし、私の髪を洗いながら、店の妻が「今日は暖かいから良かったですね」と答える。自然に出てくる言葉と雰囲気に暖かい気分になる。散髪の椅子は暖かく、眠気をもよおす。

 過日のブログに、介護保険の見直しについて「反対だ」と書いた。軽度の要介護1と2の「家事援助」を中心としたサービスを制度から外してしまうというものである。彼の老人は、一人暮らしであるかどうかはわからない。しかし子どもと同居でないことは確かである。多分、食べること、排泄すること、そして着替えなどは、自分でできるようであることは見ても分かる。見直しが実施されれば、この老人は外される側に回ることは確実であろう。

 しかし、視力も弱くなり、耳も遠くなっている。台所や洗面所、トイレ、風呂場などの汚れは、若い人からみればひどい状態に映るだろう。「さっぱりしたい、きれいになりたい」として、しかもタクシーを利用してまでの気性からすれば、それらは、見えたら、聞こえたら「切なく思うだろう」。

 彼の老人が週一度、1時間の清掃や洗濯を求めることが甘えであるのだろうか。どうしても制度からはずさなければならないものだろうか。「銭がない、赤字である」ということで制度を低下させることは福祉には馴染まない。しかし、自治体や地域のボランテャに委託する方針である。

 そして考えた。民間の「特約医療保険」の宣伝が目立つ。これとて、「がん」などの難病に対する高度先進医療の治療費捻出のための給付と言うものとして売り出されている。保険に加入できるものは高度な医療が受けられる。それを介護の面で言えば、高度介護ではなく、むしろ、比重が高まりつつある在宅介護の中で、保険の適用しない介護が「特定介護保険」の標的にしようとしているのではないかと疑う。商品の売買によって「生きる老後」が選別されるとすれば悲しいし、悔しい。

 政府の設置している有識者会議の一つの社会保障改革会議に、有力な「保険会社からの派遣」があるとも聞く。眉にツバをつけたくなる今日である。

 

きれいな戦争ってあるの、慰安婦問題から

2013-05-19 15:10:19 | 日記
 「きれいな戦争ってあるの」
橋下日本維新の会代表の「慰安婦問題」についての発言は、米国も巻き込んだ論争となっている。
この問題は、自民党安倍首相の「河野談話の見直し」、さらには侵略行為に触れた村山元首相の「お詫び発言」に対する見直しなど、一連の中から出てきたことは間違いない。そして今や「橋下発言」が民族主義者の四番打者として浮かび上がっているが、決して橋下ひとりが独断的存在とすることには、いささか疑問を持つ。
そこで、慰安婦発言について的を絞ってみる。この発言があるや否や「女性蔑視」とか、あるいは「品格を問う」、「政党、自治体の代表を辞任せよ」などの討論になっている。そして女性国会議員団の会見の場においても同様な表明であった。それは当然のことである。近代社会においての政治家の価をなしていない。即、政治の場から離れるべきである。しかし、この四番打者を三振に打ち取って、それでお終いとしてはならないことを主張するのが今回の投稿である。

寺島しのぶが、映画の国際舞台で最優秀女優賞を受けた。その時の映画が「キャタビラ」である。夫が出征したが、両手、両足を失った「芋虫」となって帰還する。「軍神の妻」としての日々の生活。「性欲を失わない夫」。やがて男は、中国大陸の地における地上戦と、その狂乱の中での犯した女性の悲鳴、そして刺し殺した女性の顔、焼き尽くす炎。男は芋虫となって庭に這い出し池に身を投げる。折りしも「戦争終結」のニュースが流れる。
 
監督、若松孝二は問う。「正義の戦争とは、どこにあるのか」と。
  忘れるな、これが戦争だ・・・・・・・
  戦争とは、
  人間が人間に、犯され、切り刻まれ、焼かれることだ。
  人が、人を、犯すことだ。
  人が、人を、切り刻むことだ。
  人が、人を、焼き殺すことだ。

安倍内閣は、今憲法96条の改定に手がけ、その狙いは9条の改定に手をつけ「国防軍」を条項に入れることだとしている。参議院選の公約にしている。その安倍首相は「元慰安婦の方々に、首相として心から同情し、申し訳ないという気持ちでいっぱいだ」と発言している。(第一次安倍内閣当時、ブッシュ米大統領との会談において)
そうであれば、まさに市民感覚の率直な発言だと思う、次の一主婦の言葉にどう答えるのか。そこを問いたいものである。
女性の役目は「戦場の男の高ぶり癒すことではなく、男が戦場行かないように
声をあげること」ことこそ大事である。(毎日新聞5・19 みんなの広場63歳)
 
首相は「戦争をしても、きれいな戦争をします。殺さない、焼かない、犯さない戦争をします」と答えるのだろうか。
一人の政治家の暴言に対する攻撃で終ってはならない。「戦争を起してならない、起させてはならない」とする、改憲阻止の行動が今問われていると主張したい。