燃やしてはならない「消せない火」を私たちは燃やしてしまった ・その11

2019-09-02 05:40:40 | 日記

2011年3月22日

油を得るにも一苦労

今並んで買い求めてきました。灯油抜きの暖房は考えられません。となると高齢者一人暮らしの方は大変です。近所に一人暮らしの女性がいます。時折尋ねることにしています。気丈な方で「コメはあるし、電気、水があれば塩、味噌でも生きられるから」と。戦後の生活を経験した人の強みです。「コタツがあり、ホッカイロもあるしね」とも。子供たちが、一ケ月に一回くらいは来て買い置きしていくようですがこの時期は来られないでしょう。しかし、「冷凍を上手に使えば生活はできます」と答えています。

さて、原発炉注水の特殊車がようやく現地に到着しました。海水放水には強力な力を発揮してくれるでしょう。

放射線の被曝に対する知識は、長崎大学山下教授の講演がラジオを通して何回も報じられました。県民の多くの皆さんが正確とは言えないまでにも知識を得たものと思います。また、ぺアーで放送を担当していたラジオ福島の大和田アナの声にも安心が与えられました。

その合間にも、地震緊急警報アラームが流れ、そして揺れが始まります。戦争中の空襲警報を思い出します。嫌なアラームです。それでも大和田アナの呼びかけに安心を得ます。

フジテレビのスタッフのつぶやきが、マイクを通して漏れたとの報道が「地方紙福島民報」に載っていました。その内容は、首相の記者会見を前にした記者が「まだ原発かよ」という言葉をつぶやいたということです。これがマスコミの実態だとするならお粗末です。

「福島」と言うだけで「旅館の宿泊が忌避されたり」「都内の電車の中で福島の人とは隣り合わせになりたくない」などの発言が悔しく、がっかりしたとの声も民放を通して報じられています。いつでも、どこでも起きる事実です。

沖縄問題を考えるときは、常に沖縄の地方紙からの情報を得ることが肝心だと受けとめて来ました。私もネットを通して沖縄タイムスや琉球新報の情報をキャッチすることにしています。このように考えますと、中央紙はやはり首都圏紙なのです。以前は地方の民放を軽視していましたが、この時期、民放のラジオ報道の役割の大きさを思い知らされました。

またぞろ、牛乳と葉物野菜の買占めが首都圏で起きているとのことです。それは西の産地から福島へ向かう流通が、大量消費の東京でストップすることになるでしょう。野菜は洗えば良いのです。店頭にあれば買ってきますが店頭にはありません。そこにきてガソリンがありませんから走り回るわけにはいきません。

それにしても原発は依然不安定です。送電の準備はできましたが装置への結線ができないでいます。周囲の線量が高いからです。

今日の地方紙に載っていましたが、現場で使用されている防護服は、放射性物質のガンマ線を防ぐものとはなっていないそうです。報道によれば、すでに到着しているだろう「フランスから支援の特製防護服1万着」はどうなっているのでしょうか。マスコミは「報道をしておきながら、その経過を追求していないのでしょうか」。とするなら無責任な報道となります。

現地では、全てを知りたいし、この目で見たいのです。見えないところに苛立つものがあります。