またもや問う・徴兵制はあり得ないか・・その1・・

2015-07-31 16:26:21 | 日記

 またもや問う・徴兵制はあり得ないか・・その1・・

  衆議院の平和安保特別委員会で「徴兵制」をめぐる討論が行われたが、その質疑を展開したのは野党であった。これに対する安倍首相をはじめとする大臣の回答は「何人も、いかなる奴隷的拘束を受けない。その意に反する苦役には服させられない」とする憲法18条をもって、徴兵制制度は「違憲」であり制度の新設はあり得ないとする回答を続けてきた。しかし、参議院に法案が移されるや事情が変わってきた。質疑時間を増やした自民党議員は、有利な「言葉」を安倍首相の口から引き出すという論法を取り始めている。その最たるものが「徴兵制度」であり、その新設を危惧する国民の安心を得るための質問となっている。「徴兵制はとらないとする明確な回答を求める」とする質問に対し、安倍首相は「防衛のハイテク時代にあっては、高度な教育と訓練が必要であり、徴兵制による対応では間に合わないし、なじまない。さらに18条がある。よって絶対に徴兵制はあり得ない」と回答している。その回答を受けた質問者は「私も二児の母親である。子どもを持つお母さん方はこれで安心できるでしょう」と、コマーシャルの役割よろしく、議場のマイクを通して国民に流布する姿に愚かさを感じる。いや怒りさえ覚えるものである。国の最高決議機関である国会の論議の幼稚さにはあきれる。「議員先生方、そのような質疑の内容で済むと本当に思っているのですか」と疑う。

  折しも、7月31日の毎日新聞の余禄欄にロボット論議が提起されている。その一部を貼りつけて見よう。

  「フランケンシュタイン・コンプレックスなる言葉がある。SF作家のアシモフの言葉というが、人造人間を作り出す者が、やがて自らが創造したものに滅ぼされるのではないかと恐れる心理である。…中略…『ロボットは人間に危害を与えてはならない』。この第1条で有名なアシモフのロボット3原則は、そうした人間心理をふまえて彼が小説に登場させたルールである。…中略…事態は天才SF作家の予想を上回るペースで進んでいるのだろうか。人の操作なしに探索や攻撃判断を行える自律型人工知能(AI)を備えた兵器開発を禁止せよ−−そう訴える文書が研究者ら1万2000人余の署名を集めてAIの国際会議で公表された。…中略…20年以上前に亡くなったアシモフは述べている。『現在の最も悲しい光景は、社会が知恵を積み上げるよりも早く科学が知識を積み上げていることだ』。誰しも頭に浮かぶのは軍事大国のAI軍拡競争と、闇市場を介した殺人ロボットのテロ組織などへの拡散だろう。後略」

  ウクライナ政府が防衛の強化として60歳以下の男性への徴兵を復活している。しかも女性にも拡大している。海上・空中・遠隔戦争はまさにハイテク戦争である。しかし地上戦、あるいはテロとの戦いにあっては目の前での殺し合いである。ハイテク化による軽量と操作容易な武器は充分以上にその役割を持つ。このことを忘れてはならない。また、少子化が徴兵制を妨げるとしたら大きな間違いである。だからこそ「徴兵制」を取らなければ軍隊が構成できないということをノルウェーの実例は物語っている。

 (資料)

  アシモフ・ロボット三原則

  第一条    ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、人間が危害を受けるのを何も手を下さずに黙視してはならない。

  第二条    ロボットは人間の命令に従わなくてはならない。但し第一条に反する命令はこの限りではない。

  第三条    ロボットは自らの存在を守らなくてはならない。但し、それは第一条・第二条に違反しない場合に限る。

 

 


校庭内地下保管の除染物掘り起し・撤去を見て思う

2015-07-26 05:58:12 | 日記

  校庭内地下保管の除染物掘り起し・撤去を見て思う

 

  地方紙の二紙は、夏休み期間を使って実施される郡山市内の「小学校校庭内」に埋められた除染物の搬入作業が開始されたことを報じた。次にその記事を貼りつける。

  「東京電力福島第一原発事故に伴う除染廃棄物を搬入する中間貯蔵施設の保管場へのパイロット(試験)輸送に向け、福島県郡山市は薫、安積二、高倉の3小学校で校庭に埋めていた除染廃棄物の掘り起こし作業を始めた。24日、薫小の作業が報道機関に公開された。薫小では、平成23年8月以降、除染廃棄物約340立方メートルが校庭の6カ所に埋設されていた。放射線を遮蔽(しゃへい)するためかぶせていた土砂を取り除いた上で、廃棄物を重機を使って掘り起こし、フレコンバッグに詰める作業が行われている。24日、現場を訪れた品川萬里(まさと)市長は「原状回復への第1歩。着実に運搬できるよう努力したい」と語った。薫小の廃棄物は来週半ばから1カ月程度かけ、10トントラックで中間貯蔵施設の保管場に運ぶ。安積二小は27日から、高倉小はいったん市内の県県中浄化センターに移した上で来月下旬からそれぞれ運搬を開始する」。

  さて、では中間貯蔵施設の地権者との交渉はどうなっているのだろうか。地元にありながらもその経過は知らない。約半数の地権者は不明であり、登記されていない土地もあると聞く。さらに「法的相続人」が100名を超えるだろうという報道を見ると先の見えない「中間貯蔵施設」と言っても過言ではないだろう。そして契約が成り立った件数は僅か「数件」と報じられている。

  そして、いわゆる試験輸送(搬入)の先は、敷地内に確保された「一時保管場」と称する11ヘクタールの土地である。およそ東京ドーム2.5個分の広さであり、そこにフレコンパック5段積み、その上をシートで覆うという「青天井保管」である。一時保管と言うことは、現在全県に点在している「仮置き場」・「敷地内保管」のように長期間残存という危惧は払しょくできない。耐久年限5年と言われているフレコンパックである。一部の仮置き場にあっては袋の破損も始まっている。またコンクリートの裂け目から押し上げて芽を出す「ど根性草木」に例えられるように、今やコンパックの上に根を下ろしている草木も発生している。

  あらためて、薫小学校の除染物撤去の現地における作業を見ながら、「掘り出し、そして運べ」ば良いというものではないのではという想いをもったことも事実である。

  まさに未知の世界であり、最善の方策が求められないことも事実である。また住民、そして自治体の要求は大事にしなければならない。そのこを承知しつつも「それ行けどんどん」で良いのか。ここにも「統一指令部」の必要性を痛感するが、どうだろうか。

 郡山市薫小学校の除染物掘り起しとコンテナ積み込み作業の現場(福島民報・7月25日)

 


猛暑の中、介護が圧し掛かる重さを痛感する

2015-07-25 11:33:03 | 日記

 猛暑の中、介護が圧し掛かる重さを痛感する

 

  東北は未だ梅雨明けとはならないが異常な暑さが続いている。その中で半年遅れの市議選も兼ねた、安保法制に反対するオルグを続けている。「ねっとりとした暑さ」には堪える。また、堪えるのは暑さだけではない。それは、お会いする皆さんの多くが、何らかの介護に苦しみ、悩んでいる現実に直面することであった。

  玄関先のチャイムを押す。しかし返事が無い、留守と思い帰ろうとすると扉があく。そこには、おぼつかない足取りで立つ先輩の姿がある。そしてあとからお顔も見せた奥さんもまた同様である。まさに「老々介護」という事実を見ることになる。それでも懐かしいと言って部屋に案内される。その場合、私は遠慮をしないことにしている。またお茶の接待を受けるがこれも断らない。それは不自由な手つきであっても茶を入れるという行為は、ご本人にとっても良いことだと思っているからである。後片付けもあるだろうが手足を動かすことも必要であろう。また、現役時代の思い出話しの聞き役に徹するのも大事だと思っている。老々二人暮らしの中では、声を出し合うことも少なかろう。ましてや一人暮らしとなれば尚の事である。

  さて、そこで体験をした幾つかの介護の実態を報告する。奥さんに先立たれ一人暮らしの先輩である。年令は93歳。一昔前では考えられない男性の年齢である。一時は「魔の10年」という言葉があった。それは夫を看送り、その遺族年金で過ごす妻の10年間の生活の厳しさを指しての言葉であった。では妻を看送り、残された男性の生活はなんと譬えれば良いのだろうか。「孤独の○○年」とでも言うのだろうか。「これからも顔を見せてくれ」といって玄関まで見送る姿に重いものを感じるのであった。

  それに比べ女性の力強さにも頭が下がる。夫に先立たれた女性のど根性である。それでも半年は気が抜け何もしないで過ごしたように思うと述べている。でも立ち直りは早かった。そこに「女」の底力を見る。

  また、1年前に訪れたときは、チャイムと同時に大きな声で返事をして出てきた先輩であるが、1年後の今回チャイムへの応答はない。施錠されていなかった扉を開け再び声を掛けると重たい声の返事。そして壁を伝わって出てきた姿の変わり様には驚いた。よく聞く言葉に「80を超えると1年とは言えない」と言うものがある。このことか。つまり80歳を超えた体は急激に衰えるということである。

  2025年戦後のベビーブームの団塊の世代が一斉に75歳、後期高齢者に突入する。「超高齢化の時代」である。このことをもって社会保障の戦後最大のピンチと受け止め、年金・介護・医療の制度改革がますます政治化していく。その陰で「持てる者と持たざる者との高齢貧困」が拡大する。「高齢者が生きていく危機」を痛感した行脚のような想いの日々であった。

  遅きではあるが「景気拡大、金目の政治」(アベノミクス)の見直しを、国民的課題としてとらえることが急務であることを再認識をした2015年猛暑の7月であった。

 


内閣支持率激減・さらに揺さぶり、安保法制廃案へ

2015-07-19 20:13:21 | 日記

 内閣支持率激減・さらに揺さぶり、安保法制廃案へ

 

  「世論調査によると、審議時間を経れば経るほど理解が深まっていないという声が大きくなっています。それに伴って、内閣支持率や自民党の政党支持率も下落傾向にあるのですが、その辺りを幹事長はどのように思っておられますか」の記者会見場での質問に対し、谷垣自民党幹事長は答えている。「今まで与野党対立する事案のなかで、審議を進めていく中で、国民の理解がどんどん得られなくなっていく世論調査は私の記憶する限り、残念ながらあまりないですね・・・中略・・・これは一体何なのだろうと私は思います。なかなか、これは難しいのですよ。誰に責任があるとか、どういうことが問題だという以上に常にそういうことが多いように思います」。後は省略をするが、幹事長が述べている言葉の意味が解らない。日本の国のあり方を決める重要法案であることは与野党が認めている。しかし、そのことを共有しながらも「審議時間数」の正当性を俎上にあげ、その審議の中身についての論議には乗ってこない安倍政権の政治姿勢はどうなのか。その説明はまたしても省略されたままである。

  そして自民党の高村副総裁である。安全保障関連法案が16日に衆議院を通過したことに関連して、「重要な節目を一つ越えたが、国民の理解が進んでいないことは、残念ながら認めざるをえない」と述べたうえで「参議院で早く審議に入り、間違っても『60日ルール』を使うということにならないよう、熟議をして結論を出してほしい」と、またしても「熟議論」を述べている。私は、その言葉を自分の額に貼るべきであろうと言いたい。

  残念であるが録画画面を消去してしまったのでその出自を記することはできないが、(7月17日のテレビ報道であった)その中で述べている二階自民党総務会長の言葉がある。「大体、議事堂内でプラカードを掲げての抗議をする姿はいかがなものか。私は内閣支持率の低下はさして心配していない。すぐに上がり逆転しますよ」と言ってのけている。そして、これを裏付をする次の発信(ツイター)が連発されている。「目先の内閣支持率が多少下がることはあってもたいしたことはない。こんな野党に支持が集まるはずはないからだ。国民は賢明である。プラカードを掲げるぐらいなら議員辞職で抗議しろ。国民を裏切ったのは政府ではなくお粗末な野党だ」と。そしてそこに、麻生副総裁の発言が続く。派閥会合のあいさつでの安保法案の採決について述べている。「事務所で抗議の電話をもらった人。どれくらい来た?数十件ね。新聞の言う通りだったらめちゃめちゃ来るはず。80%反対してるんだもん。もっと来なくちゃおかしい。俺のところだってめちゃめちゃ来るはず。秘書を並べて待ったが、ほとんどかかってこない。「日本がより安全なものになるための抑止力を確保について自信を持ってやったんだ。きちっとした法案を作り上げて日本の安全が確保されるようにしたことを、自信と誇りを持って(地元)説得して欲しい」。

  さて、これら一連の言葉を国民はどのように受け止め、どのような判断を下すのか。再度提言したい。「熟議が期待される参議院ならば、国民の声を届ける手段としての抗議の行動を実現したい。東京中央集会10万人、同日、同刻に『全国・県集会』の開催。総計50万人の抗議集会で改選を迎えている参議院を揺さぶれないか」。是非とも企画してほしいものである。

 

 


東芝の不正経理・労働組合の立ち位置はどうなのか

2015-07-18 15:00:47 | 日記

東芝の不正経理・労働組合の立ち位置はどうなのか

 

  今、国内5大総合電機メーカーの一つである東芝の経理不正が取り上げられている。7月18日の数社の報道機関が[東芝幹部は17日夜、一連の問題が不正な会計処理だったことを認めた」と報じていた。

  そして、調査を委託された第三者委員会でも「社長の発言には『頑張って業績を上げろ』という以上に、(損失先送りなどを促すような)踏み込んだ内容があった」と指摘。さらに「現場に会計操作をしなければいけないと思わせてしまったことが問題であった」と強調している。さらに利益水増し問題を巡っては、田中社長が幹部らに早朝の電話やメールで「何で予算を達成できないんだ」「売上高、利益をもう少し上げろ」などと要請していたことが判明。佐々木則夫副会長も、社長時代に業績改善を現場に強く迫っていたことを明らかにしている。結果して、経営トップからの強い業績改善圧力に応えるため、各事業部門が「不正な会計処理に踏み出す構図になっていた模様であった」と報じている。

  近代的経営の装いをもつ日本のトップ企業の東芝の幹部が、いかに上部からの圧力があったとはいえ、何のためらいもなく不正処理をし、また異を唱える勇気を持ち合わせていなかったということなのであろうか。いずれにしても会社ぐるみの不正であったことには間違いない。

  このようなことは東芝だけの問題ではない。同じ電気メーカーの三菱電機における防衛省などへ装備品の代金を水増し請求問題がある。そして過大請求額や違約金などを合わせた返納金の見積額が773億円。それを満額返納したということもすでに報じられたことである。しかもその不正は、1970年代頃からあったことを記者会見の中で山西社長が述べている。とんでもないことである。

  昔、豊臣秀吉の時代に世間を騒がせた「大泥棒・石川五右衛門」がいる。やがて捉えられ、秀吉によって「釜ゆでの刑」に処せられた。その時の辞世の句が「石川や 浜の真砂は 尽くるとも 世に盗人の 種は尽くまじ」であったと伝えられている。時を経て江戸時代である。この伝説の大泥棒が義賊として扱われるようになった。また権力者の豊臣秀吉の命を狙うという筋書きが、浄瑠璃や歌舞伎の演台に取り上げられ、江戸の庶民の心を捉えたことが記録されている。

  刑の前に読んだとされている「 世に盗人の 種は尽くまじ」との辞世の句。いつの時代にも「山吹色は魔物と化す」。それが近代的高層ビルデングの奥の院にも存在していたことの証明であろう。

  さて、それよりも何よりも、ここで述べたいことは「労働組合」はどのような立ち位置にあるのかという問いである。東芝・三菱もそうだが、多くの民間大手の労働組合は「労使経営協議会制度」を取っている。それは、労働組合が経営に参加することによって、経営を正し、企業努力を求め、そしてそこから生まれる利益の応分の配分を求めるという性格のものである。よって経営者も労働組合も「企業の社会的責任の追求」を掲げている。であるならこれらの「不正・不祥」の事実に対し黙認をして良いのか。共同の責任がないのかという問いである。厳密にいえば、一定の期間「不正請求によって得た利益の配分を労働組合も得たことにならないか」。そして、事実が判明し返納した膨大な金額をどう考えるのか。その回答はいかにという問いである。

  しかし、伝えられる限り労働組合の指導部の声を聞くことはない。それが「企業内組合の限界」ということなのか。また別な理由があるのか。難しい論理は必要ないと思う。不正は不正として経営の責任を正す。場合によっては経営陣の刷新を求める。そのための労使交渉を持つくらいのことはできないのだろうか。今後の労働組合のあり方への指導部の期待を大にする年金生活者の一人である。