- 笑わないでください。これでも本気なのだから
「原発企業に保険金を義務付けよ」
「看てくれる人がいない。だからと言ってこのままではいられない」。そこでこのような状態のお年寄りが入所できる「老人ホーム」が過去にはあった。入所するにあたっては、町の有力者(議員さんなど)に頼みこみその紹介があってようやくは入れるということが常識となっていた介護施設である。世間は、これを「お上が世話をする福祉施設(制度)」と言っていた。そこに40歳以上の国民が保険に入ることを義務付けられた「介護保険制度」が誕生をした。保険金を受け取る代わりに、介護施設への入所や介護料の9割が補償されるということになった。いわゆる「お上による、お上の御目こぼしによる介護」から「誰もが、いつでも、どこでも等しく介護が受けられる保険制度」へと変わった。そのことが今や怪しくなってきたが。
今回は、ここから原発問題を考えたのが次の物語である。原発企業が、原発を建設し動かすにあたっては「1機あたり○○円の保険を掛けることを義務付けてはどうか」ということである。ここでいう保険とは損害保険同様に必要となった時に還付されるものである。それでは原発企業が、保険金を必要となっときとはどういう時かである。
そのことを福島原発事故に譬えよう。東電は福島県内は言うに及ばず、近隣の住民にも大きな損害を与えた。そのすべての損害に対するあらゆる賠償が必要となる。それが放射能となれば未知の被害をもたらす。よってその補償は永遠に続く性格を持つ。また事故によって発生するあらゆる廃棄物がある。その企業が「自らの金庫の中に納め、管理される」のであればいざ知らずそのようなことはできない。いまもってその処分方法は定まっていない。それらを含めた一切の処分を金銭に換算されなければならない。あり得ないことであるが例えば宇宙に飛ばしたとしよう。さらに飛ばした後、宇宙のごみとなった廃棄物の管理にかかる費用もある。これらの一切を換算しなければならない。そして更地になった現地の安全管理にかかる費用は幾らか。これら全てを保証する保険会社をつくらなければならない。そして原発企業は応分な保険金を掛けなければならない。その保険に入れない企業は、関連品の制作も含め、建設も、稼働も、営業業務に至るまで携わることができないものとする。そのことを法律で義務付ければ良い。
次の記事を貼りつける。(5月9日・毎日新聞)
四国電力 巨額の安全対策費が予想、採算性ないと判断
「四国電力は、来年9月に運転開始から40年になる伊方原発1号機(愛媛県伊方町)を10日付で廃炉とした。申請すれば20年の運転延長も可能だったが、巨額の安全対策費が予想され、採算性がないと判断した。運転期間を原則40年とするルールでの廃炉は6基目となる。 1号機は出力56万6000キロワットの加圧水型軽水炉で、1977年9月に運転開始。東京電力福島第1原発事故後の2011年9月から運転を停止していた。運転延長には、新規制基準をクリアするための電源ケーブルの難燃化などで約1700億円が必要。収支改善効果は約1500億円にとどまるため、四電は『投資回収が成り立たない』と判断した」とある。
つまり「儲からないからやめる」という当たり前の企業論理である。そうであれば「それだけの保険を掛けては採算が取れない」とすればよい。そのような攻め方も、考えてみてはどうかという発想からの例示である。笑わないで欲しい。これでも本気なのだから。