燃やしてはならない「消せない火」を私たちは燃やしてしまった ・その22

2019-09-13 05:05:17 | 日記

 

 2011年4月3日

   「雨が欲しい」

 

   罹災以来3週間が過ぎました。依然として原発の状況は改善されません。放射能物質は海へ漏れていますが、それを止める手立ても見つかりません。しかし、放出は続いているが、「今、緊急な危険ということには結びつかない」との説明が例のごとくされています。

   そして今度は、原発建屋を大きなシートで覆うという案が浮上してきました。大手ゼネコンの発案で費用は800億円ということです。それはフランスの企業の支援で「廃炉ビジネス」を背景にしたものと言われています。当然にしてシートで覆うえば、屋内照明が必要とします。そこにアメリカ企業が大型発電機の需要を狙ってのものだとも言われています。

   それでも、日本の原発メーカーの「原発輸出」の方針は変更されていませんし、政府も前自民党政権の「政策の継続性」としてこれを認めています。

 他国を非難できません。

   しかし、いろいろな対策は必要です。外国の援助も含め、まず放射線量の縮小と拡散防止。そのための「冷温停止」への道筋を一日でも早くと望みます。これも「地元の願いです」。このままでは不安は解消しません。帰るところのない「難民」の放置となりかねません。

   避難者への炊き出しが今も続いていますが、いつまで続くかその保障はありません。その中で若松市の東山温泉の旅館などによる受け入れが実現しました。その費用は県費の持ち出しです。県は後日、東電に対して請求をすべきです。しかし、これもいつまで続くかです。

   それでも放射線量は高め安定となっています。原発から遠距離にある郡山・福島は、周辺の市町村に比べて高い数値を示しています。それは盆地であり、コンクリート面積が多いということで「チリ」が漂っているためだと専門家の説明をしています。現に郡山市内で田畑の多い地区に行きますと数値は激減します。

   ここで雨が欲しいのです。その雨は放射能物質を少しでも薄め、洗い流してくれるでしょう。その時間帯はなるべく雨にあたらないようにするという知恵と努力をすれば、リスクよりベターが多いはずです。そして乾燥した毎日は私たちの心や肌にもぎすぎすした思いを抱かせます。庭の木々が「雨を受けて喜ぶように、私たちの心にも潤い」を与えてくれるでしょう。放射能対策が進まない中で私たちに力を与えてくれるように思います。

 「雨が欲しい」。しかし当分は雨雲はやってきません。