
僕は他人にこんなふうに見えているんだと漠然と感じた。つまりおじさんとして、である。
話し方、考え方、気遣い、そぶり…
やはり年相応に美しく、そして落ち着いた大人であるべきである。
キチンと挨拶やお礼、気遣いなどができてこその大人なのだ。
話をした人は、大変よく喋る人。
自分にも自信があるのだろう。初対面の僕にもいわゆる主義・主張を惜しげも無く語る。
少し高圧的な印象と、
有無を言わせぬ覚悟を前面に押し出していた。
僕は結構、楽観的な部分も持ち合わせているので、深く関わりたくないという直感も働いて議論を深めない様に話題をズラしたりスカしたりした。
でも社会では僕たち世代は完全にリーダーシップを取る現役の世代である。
その同世代の大人がお酒の席でどんな話を語るのかは興味があった。
しかし、その喋る人は少しお酒のチカラも借りながら語る話は、到底その場を楽しくする様な話題でもない。
もし彼の部下である若者が意見を言おうものなら、高圧的な反論をされそうな雰囲気を察知するであろう。
今の若者は過敏と言えるほど敏感である。KY全盛期である。クラスの空気を読む事でその居場所を辛うじてキープしてきたともいえる。
だから怒られたり、異質であることへの恐怖は避ける。
だから僕たち世代の語りによもや意見しようという冒険者(使い方が間違っているが…)はいないのだ。
そういう意味でも僕たち団塊の子ども世代は気をつけなければいけない。
最近の若者はなどと毒づいている場合でもない。ある意味一番たちの悪いのは僕たちの世代なのである。
受験戦争を経験し、勝ち残ったエリートは経験もない理詰めの官僚資質でパワハラをする。
負け落ちた輩はニート以上、正社員未満の負け犬である。卑屈で皮肉屋だ。
だからこそ気をつけねば、たちまち社会の厄介者になる。そしてダメな若者をダメな教育や指導で、量産してしまう。
ガンダムを作らず、量産型ジムを大量に作り出す様に。
これではジオン軍に負けてしまうぞ!
ということで
僕も高圧的な主義・主張は控え、
若者に媚びない様にしながら
課題を解決できる関係性を築いていきたいものである。
…わ、若者が近くにいれば!
の話である。