話の流れで「お忙しいですか?」
と尋ねると、そうそうあのね・・・
その方は地元の祭りや色んな事のリーダー的な方で、少し鹿児島で出会う方々とは違うとても魅力的人物な人である。
話は陸前高田市に行って来た話。
しかもバスをチャーターして炊き出し200人規模を1時間以内に用意出来、
火や水や寝床、スタッフなどの自前準備を条件につけてきたとのこと。
現地に言わせるとボランティアは数多く、
どのメンバー?も地元の手助け無しには動けない中途半端なボランティアだと言われたのだ。
その避難所には700名が寝泊まりし、毎食を被災者が炊き出しを行っているそうだ。
その方はその完全自前準備の条件を全てクリアし、地元の手助け無しで数日の炊き出しをやり遂げてこられたそうだ。
電話越しだったので、
短い時間だったのだが「さすがです。」と頭が下がる尊敬の念と、気づいたら自分の行動の振り返りをしてしまっていた。
電話を切って少し考えた。
やっぱり私には現地に行って手伝いをするという選択肢は今回に関してはない。
ゴールデンウイークも時間と移動手段はあるものの、今回の地震と私の現地ボランティアへの行動力がマッチしない。
「それでいいのか?」ともうひとりの自分がいたり、
いちプロで「応援メッセージ」をやった自分の方が、現地で泥かきをする自分より好きなのである。
今回自分が現地にボランティアをしに行く事が自分のモヤモヤした気持ちを解消するためだけに行く事になるのではないか?と考えるからである。
確かに資金力があれば、
寄付や支援物資を送ることでもいいのだがそれも出来ない。
でも自分自身ができるコトを考え、
人に自信を持って説明できるコトを行動に移すべきだ。
世の中が節電が大切だと言うから節電する。
世の中が募金するコトが重要だと言うから募金する。
世の中が現地に行ってボランティアするコトが必要だと言うから現地入りする。
それでは「人生」を生きていない。
しかも「世の中がそうだから!」とか「人に凄いねと言ってもらえるから」とかの動機ってスゴく不純な理由だと思う。
だからこそ今回の震災に対する自分の考えからひとつの答えを出せた人は、自分の行動を褒めてあげてほしい。
キチンと自分で考えて、純粋に被災地への気持ちを届けようとして選択した行動を。
現地に乗り込んだから凄い、乗り込む勇気が足りないから未熟、と考えがちだが、全く違う。
真剣に考えて、純粋に自分ができるコトへの答えを出している人が素晴らしいのだ。
考えずに行動だ!と行って現地に乗り込んだ「押し売りボランティア」は被災者に迷惑がられているのだ。
なにがいいたいか?
日本列島が震災一色だ。
しかし俯いて全員が前に一列に行進していては全員で迷子になる。
上を向いて歩こう!
横を向いて歩こう!
キョロキョロする人!
歩いている人を見ながら歩く人!
お手玉しながら歩く人!
ムーンウォークする人!
手と足が一緒に出てる人!
立ち止まって全体の位置取りを確認する人!
前に進んで行く必要はあるんだけど、みんなが同じ方向、同じスタイル、同じ考え方で粛々と歩く必要はない。
それはどっかの国のマスゲームみたいになってしまう。
日本もかつてはそんな国だった。
しかし気付いた。
多様性と伝統の両立。
柔軟性と確固たる自信が日本人の新しいアイデンティティになっていくべきだ。
この震災をマスコミの描く復興ビジョンに合わせる必要はない。
若者が若者の感覚で新しい日本の在り方を創り出す時代へのキッカケになっていくべきだと考えるのである。
未来の新しい日本が好きだ。
そして今回の自分の行動は人生の中でも一番好きな自分だ。