僕は冒険教育を学んだ後、体験学習ファシリテーターとして飯を食べている。
そりゃもう細々と、と言った方がいい。
いつ飯を食えなくなってもおかしくないくらいの「売れない芸人」である。
でも、それでも「僕じゃなくてもいい仕事」は少しずつ距離をとっている。
もうこの業界からフェードアウトしているが如く
今、この仕事に憧れて「どうしたらファシリテーターになれますか?」と聞いてくれる若い人もいる。
そんな人に偉そうにお勧めはできないが、このスキルや哲学はどんな仕事にも生きると思う。
いや仕事だけじゃなくて、子育てや人生の豊かさを考えるきっかけになると思う。
だから「こんな儲からない仕事しない方がいいよ」とは言わない。
逆に「力を抜いて気軽に体験会に参加してみたら?」と誘うようにしている。
周りのフリーランスの人たちは大抵、大学の先生かNPO団体のような社会福祉として活躍している人が多い。
僕はどうもどちらにも縁がなく、ヤケになったのか天邪鬼が発動したのか
「どーせ、どーせ、僕なんて」と拗(す)ねている。
自己肯定感が低い(時もある)。
長く付き合っている人は周知の事実である。
虚勢を張って生きているのだろう。
かなりその虚勢は板についていて、僕を相当な自信家で孤高の人と評する人もいる。
違うっ!
ただその塗り固めた虚勢に説得力を鏤(ちりば)めるのが上手のだ。
今回のブログも僕が名刺を持たず、自分を営業しない理由を書いている。
たちが悪いのはそれを正当化して、さらに頑固であること。
「そもそも何で売れなきゃならんのだ?」
と思っている。(正当化)(虚勢)
名刺を配ったり、ビラを作ったり。昔、共同でやったもんだ。
僕はそこでサボり癖が発動して、疑問を感じながらやる気も中途半端に営業活動をしていた。
当然そんなダメ人間に仕事が舞い込むはずもなく、安全で安定した仕事に飛びついた。
月金で九時五時のサラリーマン的な仕事は僕の精神を蝕(むしば)んだ。
その反動だろう。
僕にとっての人生の幸せは。
とても楽しい冒険教育の手法を用いた体験学習を使って、僕は何ができるのだろう?
同時に僕自身も幸せになりたい。
同時に参加者も幸せになってほしい。
本当に僕にできることは何だろう?
そんなことを考えて、正当化も鏤めると…
やっぱり「ホクトマン、あちらの席にお願いします」という売れっ子キャバ嬢の指名制度のようなプロジェクトをお手伝いするようになった。
さらに一緒に働くメンバーについても考えるようになって、「誰とでも仕事します」という状態ではなく、「あの集団スゲェな」というメンバーと仕事をしたいと考えるようになってきた。
こうなるとかなり仕事は無くなる。
何故ならニッチな世界でありつつ、更に少ない座席を椅子取りゲームのように取り合っているから
どうやら僕は自分の幸せのために売れない芸人の道を選んだのだ。
それでも「後継者がいない」と嘆いている自分は本末転倒のような気がしている。
そもそも後継者を増やす事に注力する必要はないのかもしれない。
時代は変わり、体験学習のコンテンツは多種多様になった。
プログラミングなどはここ数年の話。
僕自身が生まれ変わらないといけないのだと思う。
「人はいつでも変わることができる」
別に名刺を持って、仕事を選ばず、媚を売る自分になる訳ではない。
勝手に自分で作った「こだわり」をもう一度考え直して粘土の様にグニャグニャにして、作り替えたい。
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一緒に考えましょう(^^)