ホクトマンのアドブログ

アドベンチャープログラムを愛するすべての人と、そうでもないすべての人へ。ひとりごと、今思うこと、泣き言、楽しか

電池

2020-09-30 | 雑念
いつも通り電池が切れた。

クロージングが終わって懇親会になったら急に病的な睡魔に襲われて途中退場

全てが終わった後、仲間が食事と打ち上げと振り返りをしようと誘ってくれたが

車の中で眠りについていた。

動けなかった。

いつもこうなる。

体力がないわけではないのだが
もうみんなと飯を食べることも出来ない。

何もしたくない状態になった。

やり切ったという方が近い。

抜け殻のようになって気づいたら朝日が顔に当たった。

海からの風が冷たい。

オンライン◯◯で

2020-09-29 | 雑念
「オンラインコンテンツをブレスト(ブレインストーミング)」

「オンラインでブレスト」ではなく
「オンラインコンテンツをブレスト」

100は出ませんでした。
3人で必死で
20くらい。

それほど「オンラインで…」と枕詞につくと発想にブレーキがかかるのかもしれない。

でも中には心が躍るアイデアもあって、
試してみる価値はある。

いよいよフィナーレへ

チャンス

2020-09-28 | 雑念
あと2日

南房総の道の駅で朝日に照らされて起きた。

「自分たちのやりたい事をやる」

それが難しいと感じる世界
それは幸せな世界なのだろうか。

限られたルールの中で
たとえ難易度の高い設定でも
何が幸せだと感じるのかを
見つける事はできる。

それを自分に忠実に実現すればいい。
「誰かに何かを思われるから自分の行動を制御する」が邪魔をするらしい。

当然、この僕でさえ邪魔な思いも浮かんでくる。

でもそれが結局自分にとって大したことのない障壁だったという事を思うことが多い。

それは周りに対して「勝手に自分で想像したことが大抵間違っていることが多いから」だ。

人見知りの人はよくわかると思う。

「自分の事をこう思われているんだ」と勝手に想像するから、話すことができなくなってしまう。

この「勝手に想像する」は、
イマジネーション、クリエイティブにも直結していて

一概に損するとは言えない。

メリットもデメリットもある。

そう考えると、
「自分がやりたいことができる」を表現できない大学生たちは

「想像力が豊かである」とも言えるのかもしれない。

それを表にあらわせないだけで

どちらにせよ、自己表現できる場所、機会は少ない。

何故なら他者をコントロールする事は出来ないから、観客が自分の話を聞いてくれるプレゼンの場は人生で「ハレ」の舞台となる。

その「ハレ」の舞台で自分を表現する時に、どう思われてもいいから「自分を全部出す」ことを望む。

心が動くリアルな体験を
オンラインでも

オンライン

2020-09-27 | 雑念
オンラインで参加者の感情を動かすことができるのか?

できるっ!

それが僕の答え
時間はかかる
戸惑う
参加者の反応はさまざま

ただ諦めず
伝えたいという思い
参加者からの小さな兆しをキャッチしながら
信じて寄り添う

それは対面であろうと
オンラインであろうと
変わらないことが分かった。

ただ「オンラインだからこのくらいでしょ?」という諦めが指導者側に流れ始めると、それが伝播するのは早い。

もう明日は最終プレゼン

いちかわ

2020-09-26 | 雑念
道の駅いちかわで目覚めた。

参加者との面談を全て終えて
いよいよFTチームとして南房総のプログラム開催地で大集合する。

雨模様は今も続き
車の窓は曇っている。

昨夜は甥っ子姪っ子ともファミレスでご飯を食べた。

ま、それなりに話ができた。

色々思うが、なんとも言い難い。

今日もオンラインでプログラムをする。