ホクトマンのアドブログ

アドベンチャープログラムを愛するすべての人と、そうでもないすべての人へ。世界中の人がファシリテーターになればイイのに。

自分で自分を・・・

2011-05-27 | 雑念
兵庫でやってきた事の集大成。

鹿児島に移り住んで新しいことを生み出す事はとてもじゃないけど、難しい。

自分が持っている少ないスキルを絞り出すように捻出して事業に生かすしかない。

例えば
「人前に立って大きな声を出せる」
これは高校時代の私からすると考えられない程の成長だと思う。

同級生は「同じ人?」と目を疑う程の変わり様だと思うだろう。

そんなプライベートでも声のデカイ私は鹿児島に修学旅行に来た生徒さんの民泊開校式・閉校式などの司会をする。

まあひとクラス程度の人数だからマイクは要らない。とても便利な声だ。

そして
「キャンプを企画・運営・指導する」
このスキルは経験の少なさから未だに勉強中だが、経験が仇になる固定化されたオーソドックスな企画はしないから、ある意味本質に近いかも知れない。

夏休みに5泊6日でキャンプを企画する。鹿児島で受け入れられるか不安だ。

しかも周りの人間は「キャンプに関心がない」自然体験活動の経験者は私しかいない。プロフェッショナルな話し合いは誰とも出来ない。そこがさみしいところだ。

「青少年育成の独自の理論を語れる」
これはいつでも何処でも仕事にできたらイイと考える。これもプログラム開発に重ねて今年、事業として大学生対象でトレーニング講座を行う。

「環境」がテーマなので講師は別に頼んでいるが、基礎的な指導理論や団体としての方針を説明する時にはワークショップを交えながら組織力をアップできる。

そしてネックになる「広報」ここが新境地になる。全くスキルが見当たらない。

しかし広報について本気で語れる同世代の鹿児島人がいて、今でもビジネスな話をしている。

この「広報」という分野は「今」私が学ばなければいけない分野なんだろうと感じる。誰かが私に試練を与えてくれているのだろう、と。

個人で行えばリスクが伴うのに、団体の予算でスキルが高まるのなら幸せだ。

多分2011年は私にとってまたまた飛躍の年になるのだと、自分で自分を予測できるのであった。
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Twitterからの続き

2011-05-21 | 雑念
問:あなたは何処を補強する?ボロボロになった帰還した戦闘機。弾丸に当たってボロボロになった部分なのか?まだ無傷の部分なのか?

何かの文章で印象に残った。

そこには「まだ弾丸が当たってない場所を補強すべし」とのこと。

でも「?」と一瞬考えた。

理由はこうだ!

ボロボロになって帰還した戦闘機以外の帰還しなかった戦闘機がたくさんあるのだと。

つまり帰還できなかった戦闘機は、その部分に弾丸が当たったから帰還できなかったんだ。

だから帰還した戦闘機の無傷の部分に弾を通さない補強をすべし!となる。

この話を読んで、とても考えさせられた。表面的なことに囚われる自分の考え方に。

少し頭においておこう!っと。
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37歳の夏だから

2011-05-19 | 雑念
久しぶりに胃が痛くなった。

兵庫県で行われる小学5年生5泊6日「自然学校」(今は4泊5日かな)で、先生の対応を施設側として受け入れたり、外部講師で関わったりしてきた。

今は鹿児島県で修学旅行の中・高生を1泊及び2泊する事務局としてのコーディネートが仕事になる。

直接現場での仕事ではない分、違うストレスがかかる。

新境地だといえば、その通りだ。

しかし慣れない分、大変。

自分が講師に向いているのか?コーディネートに向いているのか?と問われれば、「講師の方が好きです」と答えるとは思う。

しかし鹿児島は講師業は少ない。開拓すればあるのだろうが、正直今のところそこに手が出せないくらい忙しい。

でも事務局たる弊団体で事業に「講師業」を試せるものがあったり、自然体験活動の指導者は絶対数が少ないので何やら少しは「かじる」事ができそうだ。

そんなこんなで「胃が痛い」事は忘れるという手段を取ろうと思う。

そして「希望」が見える事業に集中する!これに心掛けたいと思う。

うん、それしかない!

さて、こんな自分の気持ちをコントロールすることはとても難しい。

だから「忘れる」ために「楽しい事」を考えようと思う。

それはやっぱり「いちプロ」だ。大人が遊べる場として培ってきた基盤、スタイル、コンセプトは揺るぎない。

だから楽しい事を生み出さねばならん。

昨夜のロンブーの番組「ザ・ベストハウス123」で観た「わらしべ長者」をやってみようかと考えております。

まだ未確定ですけど。

しかも「わらしべ長者Twitter」。これもすでに誰かにやられているのかもしれませんね。

でもテレビ番組では「クリップ」を「家」にまで交換していた。

少し「面白そう」と感じているので、急に始めるかもしれません。




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観光鹿児島

2011-05-16 | 雑念
鹿児島の話。

今だに「兵庫から来ました」と自己紹介する自分に色々気づかされる。

こんなに兵庫県好きだったっけ?

学生の時に卒業旅行と称してタイ・フィリピン・カンボジアのバックパック旅をして、益々日本が好きになった時の様に。

人は比較対象があって本当に大切なものを見極めている。

痛みや悲しみという感情も必要不可欠な進化の賜物だと言えよう。

ある鹿児島を紹介する本に出会った。

魅力的な写真と文章、構成力で鹿児島に居ながら県内を旅する意欲「旅欲」を刺激した。

日本でトップの離島面積を誇る鹿児島県や郷土料理と歴史。知名度と実力を併せ持つ幕末の義士達。今も大切に残される教えや屋敷や石畳。

それを言葉だけではなく圧倒的な威圧感でブチ抜き2ページを1枚の写真とコメントだけで表現する。

その本のタイトルは

「かごしまよかとこ旅」
鹿児島観光交流局観光課:企画・発行980円

回し者でも縁も所縁もないが単純に「いい本」だ。

そして鹿児島全域を旅したくなっている。

私達も観光で地域を元気にする仕事に従事するわけで、こんな本を作らねばならぬ。

ヤル気が出てきた。
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西洋医学に対する気持ち

2011-05-10 | 雑念
ゴールデンウイークの終盤に身体中にブツブツができました。

病院の嫌いな私は「また変な虫に刺されたんだろう」的な対処で「放っておく」という態度で臨んだ。

するとブツブツは身体中に広がって、赤くプックリ。顔の瞼やホッペにまで症状が広がった。

あまりにも無視出来ない勢いと影響力に下手をすると「水疱瘡」などの子供の時にかかるべきだった大病を疑ったり、ショック死するかもしれない食物アレルギーを心配し始めた。

まぁ食物アレルギーは食べたらすぐショック症状が出るはずなので、2日目にかけてジワジワ増える症状に戸惑いながらまだ呑気に構えていた。

しかしこのままでは長期休みが明けても仕事に行けるような状態じゃねぇと考えつつあった。

だから原因と病名を明らかにしておく必要があった。

人気の皮膚科にたどり着いた。土曜日の診察は特別短い診察時間となって、8:30~11:00の受付となっていた。

8:45くらいにたどり着くと、20台程度の駐車場は満杯でようやくたどり着いて順番待ちの数値は35人待ち(1時間半待ち)とのたまわれた。

当然小さな待合室はガキンチョがワイワイ動き回り、色んな病原菌が渦巻いているので(自分も振りまいているのだが)通り向かいのコンビニに行ったり、駐車場の車の中で順番を待った。

その間付き添いの奥様と様々な憶測による病名を付け、緊張を和らげたりしていた。

待ち人数が一桁になり、待合室に入り、ついに医者と対面。人気の皮膚科の先生は別にカリスマを感じられるような威厳があるわけではない。

どちらかというと小さくむさ苦しい感じの角ばったテディベアのようなおっさんだった。

そして症状を説明するのと、食い気味くらいの早さで「じんましんだね」と診断した。

その早さが人気の秘訣か?

と言わんばかりに早かった。一瞬今となっては「どや顔」をしたんじゃないかと勝手に記憶を作り変えている。

とにかく、1時間半を待って来た私からすると「唖然」としてジンマシンの本を開きながら原因と症状の例を説明するたんたんとした診察に呆れたような感心もしたりしていた。

まあ病名がハッキリしてスッキリはしたわけだけど、あんな「食い気味」の診察で7000円程度の医療費を取るんだから「ボロい商売」だと思った。実際窓口で払ったのは1000円程度だった。

とにかく久しぶりの病院はイメージをよくするような事は一切なく、「二度とこねぇ」とまた更に誓うのであった。

唯一受付の女性が若くて可愛いくらいのメリットしかなかったわけだ。

それからジンマシンとやらはクスリで少し落ち着きを取り戻し、引いていった。薬を飲み切らないとぶり返すという医者のいう事を間に受けて未だに飲んでいる。

まあ治ったからいいか。と何故か納得している。しかし未だに病院というもの、西洋医学というものに拒否感を感じる私なのであった。

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