会
2010-02-10 | 雑念
昨日「リヒテルズ直子」さんの講演。東京国会議事堂の裏、衆議院議員会館(第二)の会議室で行われた。
旅の第2部のメインと言ってもイイこのオランダの教育から学べる事は何だったのか?一晩寝て、そぎ落とされたシンプルな心情を述べる事にします。
結局つまり、市民活動である。今回の日本の政権交代が象徴するように「変わらないといけない」ということに気付いた日本人。でもこのまま「神頼み」のように「政治が変えてくれる」と手を合わせていては・・・
変わらない!
また、「民主党になってもダメだったね」が関の山になる。
どんなことでも「変えようと動いてコミュニケートしてつながり、動くこと」これが私の結論である。
例えば教育について本気で語り合う。そして「より良い教育は何なのか?子供にとって将来のためにどのように変えて、どのように動いていくべきなのか?を草の根から育てていく必要がある」
と、いうことだ。それは漠然と知り合いに語っていた内容そのものだった。
つまり私自身が人に語ったことは間違えなく、今の日本の重要な課題であった。幸いなことに周りに教員になる知り合いが増えている。現場の声を集約したり、一同に会し、新しい教育について語り合える場を作り出せるはず。
そして現場も求めているはずだ。グチ大会はできても、本当の教育を語ることができないんじゃないか?ブログやコミュニティなどのネットでのライブ感のない世界や教育フォーラムや講演会などのえらい先生の話は聞くことはできる。
でも現場の実際子供たちと関わっている先生やてんやわんやの保護者の声。これが実際にないがしろにされている。ここを拾い出して「教育基本法」や「指導要領」に反映させていくヨーロッパ諸国を参考にしなければいけない。
今回の講演内容は「教育改革提言」ということで、私のブログに掲載すると違う意味で取られたら困るので必ずface to faceの場合にのみ話をしたいと思います。
そして「具体的手法」を期待して待ち構えていた方もおられると思います。しかしそのスタイルこそが「良き教育」の妨げの原因でもあったのです。これも前から私が研修するときに伝え続けて来た「考え方を学ぶ」につながっていたのです。
リヒテルズさんは「教材の商品化」とおっしゃっていました。それはつまり流行り廃り。
100マス計算、インド式、モンテッソーリ、ダルトン、イエナプラン、シュタイナー、外国人英語教師、環境教育導入、自然学校。
まだまだあるのでしょう。その教育手法自身はとても良い部分が多いから注目されるのでしょう。
が、しかし「取り入れ方」がマズイ。圧倒的なカリスマが導入を決める。行政主体で。挙句、特区を作って行う。
本当に「日本人に必要な教育」を考えることをしてない。「評価指標もない」つまり方針がない。それが決まってからの「教育手法」の論理でしょ?
そう考えるとはじめの方に言いました、「1人じゃ無理じゃん」
「だからまず偉い人に任せてたら現場の意見が反映されないから、集まって本当に良い教育って何や?を考えよう」
につながる。
後、「学校」が生活の場になっている子供たちにとって、今の学校は何を学んでいるか?ということ。
「競争が社会の縮図ですよ」
「いい大学に行ったら勝ち、それ以外は負けですよ」
「受験は一発勝負!失敗は許されない」
そんな価値観の人間の養成施設になっていませんか?
じゃあ何を学べる学校がいいの?
それを考えましょうよ一緒に。いろんな人呼んで語り合って「評価基準」や「理念」「手法」「教材」「対処方法」「未来の教育」「クラス運営」「保護者との関係」などなど。
小さいことからコツコツと。早速、「本気で教育を語る会」発足です。
旅の第2部のメインと言ってもイイこのオランダの教育から学べる事は何だったのか?一晩寝て、そぎ落とされたシンプルな心情を述べる事にします。
結局つまり、市民活動である。今回の日本の政権交代が象徴するように「変わらないといけない」ということに気付いた日本人。でもこのまま「神頼み」のように「政治が変えてくれる」と手を合わせていては・・・
変わらない!
また、「民主党になってもダメだったね」が関の山になる。
どんなことでも「変えようと動いてコミュニケートしてつながり、動くこと」これが私の結論である。
例えば教育について本気で語り合う。そして「より良い教育は何なのか?子供にとって将来のためにどのように変えて、どのように動いていくべきなのか?を草の根から育てていく必要がある」
と、いうことだ。それは漠然と知り合いに語っていた内容そのものだった。
つまり私自身が人に語ったことは間違えなく、今の日本の重要な課題であった。幸いなことに周りに教員になる知り合いが増えている。現場の声を集約したり、一同に会し、新しい教育について語り合える場を作り出せるはず。
そして現場も求めているはずだ。グチ大会はできても、本当の教育を語ることができないんじゃないか?ブログやコミュニティなどのネットでのライブ感のない世界や教育フォーラムや講演会などのえらい先生の話は聞くことはできる。
でも現場の実際子供たちと関わっている先生やてんやわんやの保護者の声。これが実際にないがしろにされている。ここを拾い出して「教育基本法」や「指導要領」に反映させていくヨーロッパ諸国を参考にしなければいけない。
今回の講演内容は「教育改革提言」ということで、私のブログに掲載すると違う意味で取られたら困るので必ずface to faceの場合にのみ話をしたいと思います。
そして「具体的手法」を期待して待ち構えていた方もおられると思います。しかしそのスタイルこそが「良き教育」の妨げの原因でもあったのです。これも前から私が研修するときに伝え続けて来た「考え方を学ぶ」につながっていたのです。
リヒテルズさんは「教材の商品化」とおっしゃっていました。それはつまり流行り廃り。
100マス計算、インド式、モンテッソーリ、ダルトン、イエナプラン、シュタイナー、外国人英語教師、環境教育導入、自然学校。
まだまだあるのでしょう。その教育手法自身はとても良い部分が多いから注目されるのでしょう。
が、しかし「取り入れ方」がマズイ。圧倒的なカリスマが導入を決める。行政主体で。挙句、特区を作って行う。
本当に「日本人に必要な教育」を考えることをしてない。「評価指標もない」つまり方針がない。それが決まってからの「教育手法」の論理でしょ?
そう考えるとはじめの方に言いました、「1人じゃ無理じゃん」
「だからまず偉い人に任せてたら現場の意見が反映されないから、集まって本当に良い教育って何や?を考えよう」
につながる。
後、「学校」が生活の場になっている子供たちにとって、今の学校は何を学んでいるか?ということ。
「競争が社会の縮図ですよ」
「いい大学に行ったら勝ち、それ以外は負けですよ」
「受験は一発勝負!失敗は許されない」
そんな価値観の人間の養成施設になっていませんか?
じゃあ何を学べる学校がいいの?
それを考えましょうよ一緒に。いろんな人呼んで語り合って「評価基準」や「理念」「手法」「教材」「対処方法」「未来の教育」「クラス運営」「保護者との関係」などなど。
小さいことからコツコツと。早速、「本気で教育を語る会」発足です。