退職女のアメリカ便り

オーストラリアンシェパード、ジュンタのマミーのアメリカ、セントルイス生活

#559: 清水寺は想像以上だった、中国人が。

2015-10-18 14:41:16 | アメリカ便り
皆様、お久しぶりです。
14日初めてのロス経由で、無事関空に着陸しました。
税関はサムが言っていた通りの混雑で、外人用は通過に2時間待ちは覚悟がいるでしょう。
日本人の私は“すー”と問題なくとることができました。
私の10年間パスポートは来年8月で切れますが、ものすごい数の税関スタンプが押されています。
だから、いつも税関を通るとき、“薬の運び屋”に間違われないか心配していますが、今のところ大丈夫です。
でも税関検査官って、一目見ただけで、“良者”と“悪者”の違いがわかるのでしょうね。

今回はアメリカを数え切れないほど往復している私が、始めて“荷物取り違え事件”を起こしてしまいました。
いつも、バッゲージピックアップのところで聞こえる“荷物の取り違えがございませんようにお気をつけください”のアナウンスを、“馬鹿なやつもいるもんだ”と冷淡に聞き流していた私が、まさにその“馬鹿なやつ”をやってしまったのです。
これも飛行機の中で、親切な若者と隣り合わせになったせいなのです。
その人が、荷物を取るとき、“僕がやってあげますよ”なんて親切にしてくれたため、緊張して似たようなスーツケースを指差してしまったのです。
そして、いつもは絶対に確かめるのですが、それを怠ってしまったのです。
気づいたのは、黒猫ヤマトの宅配便のところでした。
“あれ、ちょっと軽いな、小さいな”とようやっと気づき、あわてましたが、ここは日本、バッゲージピックアップのところに戻る時に通った税関事務所のお兄ちゃんが、例の“公務員”特有の怠慢さ無愛想さで接した以外はみんなさん親切に、この還暦過ぎた高齢者に親切でした。
“大げさにことを荒立てるアメリカ税関文化、拳銃、薬にあふれているアメリカ社会”でこれをやっていたら、荷物を全部点検されていたことでしょう。

飛行機の中で私の隣に座ったお兄さんは、300年以上続いている伏見の酒倉の跡取り息子。
商売のためにアメリカその他の外国のレストランに年5回ぐらいは行っているとのこと。
今回はマイルでビジネスに乗ることができたため、食事は何回でもできるので、その人“まーよく食べるは食べるは”で“寝ているとき意外は食べている”でした。
“若いということは良く食べる”的な好青年でした。
空港では、かえこちゃんのいとこ美貴ちゃんが迎えに来てくれていて、ホテルに荷物を預けてから食事。
ホテルの近くの居酒屋さんに行きましたが、ここも日本人よりはアジア系観光客で、壮絶な感じ。
接待も例の客の顔を見もせず、“らっしゃーい”で“うわべ愛想、ざつ、料理だめ”でした。
美貴ちゃんと2,3時間一緒にいてホテルに戻りました。

もうだいぶ長くなったので今日はこの辺で。
といいたいところですが、今日はしばらくお休みにしていたため、特別エクストラがあります。
私は、日本の空港に着いたら文芸春秋を買うのですが、今回は読者の欄20日締め切りに間に合ったため、また投稿しました。
ちょっと読んでみてください。

11月号の佐藤優氏と池上彰氏の“新教育論”は興味深い物でした。読み終わって、改めて“教育に手本はない”ということを感じました。この二氏は教育自体を総括的に考え、それに対して国家間、大学間での違いを述べていますが、それは違う気がします。教育にはいろいろな、一派一絡げに考えては、または比べてはいけない要素(その国特有な文化等)がたくさん含まれています。どの国の教育が優れているからそれを見習おうなんてことを言ってるから、単純に教育のグローバル化が叫ばれるようになるのです。教育というものは複雑なもの、“この方法が良い”なんて言う画期的な方法なんてあるわけがないのです。というのも人間という複雑怪奇な個人を育てていく“手助けをするのが教育”だからです。そして、将来必ず直面するであろう人生の分かれ道において、可能な限り的確に自分に見合った道を選択できるように育てるのが本当の教育だからです。池上氏の言う最終的に“納税できる良き市民”を育てることが、決して教育のあり方ではありません。
小国、単一民族でありながら、20個ものノーベル賞をとることができ、更に言えば国民ほとんどすべてが読み書きできるなんて日本人、日本文化はすばらしいではありませんか。私はあえて言えば、“日本人、人間としての誇り”、を教えることがまず一番大切だと思います。日本人の誇りの原点である国歌国旗を否定するような教育者政治家の教育が先だと思います。

経験から言えば、これもきっと載る!!!! と信じたい。

池上彰氏、歴史やら政治の仕組みなどの事実を知る上では大好きな人ですが、氏個人の意見は時々“エー”と思わざるを得ないときがあります。

家を出るとき、この先、1ヶ月あまり私のいない面白くない生活を強いられるであろうことを予期しているジュンちゃん、見送りもしてくれませんでした。

ハブグレジュンタのマミー