退職女のアメリカ便り

オーストラリアンシェパード、ジュンタのマミーのアメリカ、セントルイス生活

#391: 私のふるさと

2014-10-25 08:34:57 | アメリカ便り
今日は友達と会うため札幌ダウンタウンに行ってきました。
札幌は昨今すっかりと観光地と化し、中国人観光客をたくさん見かけました。
でもここは中国とは違います、ゴミポイ捨てをしてはいけないのです。

本当に日本はきれいですね。
ごみはめったに見かけません。
中国ほどはひどくないけど、アメリカはごみだらけですよ。
道路の両肩なんて、ゴミ箱みたいです。

私の実家は札幌の南のはずれにあります。
バスと地下鉄を乗り継いで、札幌ダウンタウンまで約40分かかります。
昔は札幌白石から定山渓温泉まで定山渓鉄道が(1918-1969年)が走っていて、小さい頃はこの鉄道を利用して祖父母のところに遊びに来ていました。
しかし、赤字経営のためこの鉄道が廃止となってからは、実家のあるところから札幌に出るにはバスや地下鉄を乗り継いでいかなければなりません。
今でも鉄道が走っていたら大して便利だったでしょうに。

私はこの実家には住んだことがありません。
父の仕事関係で、札幌、室蘭、小樽と渡り歩き、アメリカに渡るまで官舎住まいだったからです。
この実家は父と言うより、母が退職後用にと私が高校の時に母の実家のそばに建てた家です。
母方のひいおじいさんが青森から開拓者として入居して以来の土地です。
小さい頃、祖父がいかに苦労してこの地を開拓したかをよく語ってくれました。
時には熊とまさかり一本で戦ったとか、マムシの入った一升瓶から酒を注ぎながら話してくれました。
風呂は五右衛門風呂、トイレは厠というにふさわしいものでした。
私自身が還暦を向かえ、“祖母”と呼ばれるにふさわしい年となった今、この五右衛門風呂、厠、鶏小屋、田んぼの中のおたまじゃくし、胡桃の木に止まったせみ、木の古株のカブトムシ、一升瓶の中のマムシ、馬小屋、すべてが懐かしいです。
そしてあの頃は、もう戻ってこないと言うか、より遠ざかる一方だと思うと私の生きてきた年月と言うものを感じます。

ふるさととは“親がいるところ”と聞いたことがあります。
私にとってのふるさとは、親だけでは無いのです。
鮭が何年も経ってから、自分の生まれた川に戻ってくるように、嗅覚、視覚、聴覚、遺伝子等すべての感覚で導かれるところとでもいえるでしょう。

私は子供達が10ヶ月の時から年一回1ヶ月を日本ですごして来ました。
これも日本人の血を半分持った子供達が、日本をふるさとと思ってくれるようにしたいがためでした。
親の手を離れた子供達がこの先、日本に対してどのような感情を持つか、果たして日本をふるさとと思ってくれるか、まるっきり未知ですが、ふるさとと思えるところをここに作ってあげたいです。

ハブグレジュンタのマミー

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1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
藤野の実家に行きました (ちょっき)
2014-10-26 04:13:02
初めてのアメリカ(ハワイ)のお土産を届けに実家に行ってきました。長期ご滞在すると聞きましたのでお会いしたいです。
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