今年も残すところ3週間弱。毎年恒例の干支の置物が我が家に届きました。
干支の引継ぎ式?
ここ8年位、毎年取り寄せているのが福島県郡山市高柴のデコ屋敷の彦治民芸館の干支の置物。
伝統工芸品を製造している民芸店が4軒ありますが、顔がカワイイので彦治民芸館で取り寄せです。
高柴は郡山市の東部、三春町に接した所に位置します。福島第一原発からは何kmあるのでしょうか?
今年は入手できるか心配してましたが無事入手できました。本来は緑色を注文したはずですが、
送られて来たのはこの青色。まあ、これも良い色だし来年1年はコレを飾りたいと思います。
震災から9ヶ月が過ぎました。私は今は長野市に住んでいますが、3月11日は東北・山形・庄内地方に
住んでました。震災当日の金曜日は駐車場に車を止めてカーナビのワンセグで「ミヤネ屋」を流してました。
東京都知事選で石原氏の出馬ニュース中に緊急地震速報が鳴り、程なくして激しい揺れ。震度5。
その2年半前には、私は、現在放射線と風評被害に苦しんでいる福島県郡山市に住んでいました。
今は原発の対策室が置かれている福島Jビレッジ。
広大な敷地にサッカーコートが10面近くあり、このような立派なクラブハウスも点在してました。
郡山駅
会津。
それから遡る事3年。私は宮城県仙台市に居ました。
仙台湾の北防波堤から望む沖防波堤。
黒鯛シーズン中は毎週のように通ってました。ココへは、菖蒲田浜漁港から渡船で渡るのですが、
その渡船屋と釣具・エサ屋も津波の影響で廃業してしまいました。
震災の15日後に私はボランティアで宮城県石巻市に居ました。寒さの中、水を吸って重くなった畳を
運び出し、泥に沈んだ家具を運び出し、軒下に溜まった泥を掻き出し、の作業を2日間やってました。
まだ寒い中ですが泥の、そして魚の腐った臭いに閉口しながら黙々と作業をしていました。
唯一の救いは家主さんの老夫婦から作業終了後に感謝の言葉、労いの言葉を掛けられた時です。
涙が溢れて止まりませんでした。
その後酒田に戻り、震災のTVを見ていると暫くは涙が止まらなくなってました。PTSDの一種だそうです。
今、私は長野で震災と無関係なように暮らしていますが、東北を離れてからもずーっと心に引っ掛かる物があります。
東北に住んでいたのが約16年。私の人生の1/3は東北で過ごした事になります。「何とかしなければ!」と。
長野にきてから1ヶ月に一度は仙台にサッカーを見に行きます。なるべく仙台で消費するようにしている程度です。
会社で福島県勤務の募集がありましたが、悩んだ末に今回は諸事情で見送りました。
私が社会人1年生の時に呑みに行ったスナックで、丁度今の私の年齢位のおっさんに絡まれた事がありました。
「君は社会の為に何を貢献してるんだ?」と。私は「こうやって毎日真面目に働いて税金を納めていれば立派な社会貢献を
してるでしょう」と応えた事を覚えています。この考えは今でも正しいと思っていますが飽くまでも平時の話です。
取り敢えず募金を続けよう。折角自転車に乗っているので、ひと月に走った距離に応じて募金額を決めようと思います。
例えばひと月に400km走れば、その距離×10円、即ち4,000円の募金をしようと。その額をこれからblogに掲載しようかと。
ただ、〇〇円だと何か生々しいので、単位はチャリ。チャリティーのチャリ、チャリンコのチャリ。
1チャリで1円。1kmで10チャリ。1チャリは0.1kmって事ですか。
因みに今月走った距離は不明ですが、先週の白馬往復で93kmですので今月は930チャリからスタートしたいと思います。
来月からは何とかひと月に一度位のペースでボランティアで福島、宮城に行きたいとも思っています。
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★ 今月930チャリ☆
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