の前にだ、かねてからの懸案だった愛媛陸の「ネーミングライツ」、
ニンジニア様に決定、とのこと。
~ジニア、とかいうものだからIT関係かな、と思っていたが、
どうやら「明日来る」とかより小回りの効きそうな文具通販会社のようだ。
プリンタのインクって、なんかぼったくりだよね、という向きには
ここのリサイクルインクは検討の余地ありか?
さて、表題の話進めようか。
・・・5つのカンパニーがおんなじ舞台装置を使って違う演目を演る、という試み。
この舞台装置が秀逸。
ぽんプラザのタッパ(高さ)を十分に生かした造り。
前面が縦6掛ける横6面の蚕棚で、真ん中にあるはしご以外の階段、床板は
ストーリーしだいで自由自在に組み立てられる。
肝は、上手上層のほうに渡り廊下を作って、舞台とつなげちゃった。
この装置の応用で自分はmusic-unitというショーを演ってみたくなった。
下手のほうは蚕棚にして・・・とかね。
演目についてお話。
クロサイ「タワレコ」
・・・時事ネタを鮮度のよいままストーリーにぶち込む手法はさすが。
はまさきさんが離れて以来、このカンパニーはフィジカルとことばの力を
さらに強めたムーブ、マイムを志向していることがさらに強くなった。
「時間泥棒」と「バベルの塔」を下敷きにしてマイナー兄弟をスパイスで効かせたな。
破壊神「タワレコ」のぞくぞくっとする美しさにはっとさせられた。
きらら「ゲシュタルト」
5月のotoでひとつの区切りを迎えたこのカンパニー、どう来るかと期待してた。
いろいろな新しい要素、満載だよ。
まずは、「ダンサー」としての身体言語の表出で勝負していたものが、
「転回社」という映像と身体表現をシンクロさせるのがうまいところと手を組んで、
マットという外国人のプレイヤーを加えることで表現の幅が広くなった。
・・・女の人がみんなかっこよくてものすごくえろい。
逆に男の人はなんだかかっこ悪くて情けない。
「仕事もあって、お金もあって」という「しあわせ」がまるで劇薬のように
それぞれの心と体を蝕んでいきやがる。
いまの社会って「身の丈でやる」のがいい、とか言われてるけど、
現実はそんなこと許さない、窮屈な世の中だよな。
危機感と飢餓感をなくしたら人間、おしまいなのかも。
PA !ZOO!! 「馬鹿とけむり」
開演前から「場の空気」をうまく表現できてる。
作劇も「ラッパ屋」の空気を「肉体労働系」の仕事に置き換えたら
こんな感じになるのかな、という味わい。
それぞれの夫婦を一人二役でやる、というのが斬新だな。
・・・自分も近い将来結婚する、そんな夫婦もありかな?
あと「絶対的評価」に生きる人と「相対的評価」に生きる人との
色合いがはっきり出ていた。
それにしても、よく食べるなぁ。
あなピグモ捕獲団「東京ハニロボ」
東京で見た最先端をそのまま福岡に持ってきた造り。
「東京」という「戦場」にたたかいに行く前と、たたかってる途中のおはなしを
うまく組み合わせて、これから戦いに行くかもしれない誰かに対しての
「応援歌」として纏め上げてる。
かばんは「自分の持ってる知識、経験、才能、そして夢と希望」だし、
キオスクは「たたかい」の入り口、ピクニックは「人生」そのもの。
東京タワーは「最終的な目標」、永遠にたどり着きそうもない。
それでも自分の足で歩かなくちゃいけない、途中から靴を脱いで
素足の感覚を使ってまでも。
座”k2t3 「プロローグ」
手の凝ったご馳走を連日食べたあとにいただいた
「お茶漬けとおしんこ」のようなシンプルだけど、すっきり、あっさりした味わい。
プレイヤーそれぞれが生きてきた「人生の時間」をうまく出して、
他の人の「人生」をうまく受け止めている。
結局、人生に疲れてて、「何か」を作って完成させることで、
蹴りつけたかったんだけど、家はさすがにでかすぎた、というか
ある種の「覚悟」がないと人の命を預けるようなものは作れないな、と。
・・・多分ね、あの女の子達は家を作ることで自分の甘さを思い知ったのかな。
そのあとの続きをみてみたいなぁ、ごとーさん。
それぞれのカンパニーが力を尽くしたご馳走は確かにうまかった。
しかし、それをお出しするギャルソンの女の態度が気にいらねぇ。
あれじゃぁ、せっかくうまいご馳走食ったってまずいもん食った、と腹立てて当然。
こりっちの評価が若干「辛め」だったのも、そのギャルソンの責任が少しあるかも。
・・・どさくさにまぎれてそいつのドタマ蹴って当分「出入り禁止」になったほうが
今後、よかったかもしれなかったけど、できなかった。
ん、まあ、それでいいのですよ、こっちも改めないかんところもあるし。