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蹴球放浪記

緩まない、緩ませない。
横着しない、横着を許さない。
慌てない、「だ」を込める。

決着ついたかな、と思ったけど。

2008-02-25 21:36:51 | 舞台のこと

まだまだ苛立っている、というか次の段階にいくための苦しみに直面してる。
また、いつものように何某さんがテレビにぎょぅさん出てて、
「心と体に悪い商品」を一生懸命消費者に売りつけている。
それで、やつらはこれから先、幸せな生活が黙っててもやってくる。
翻って、自分とその周りはどうよ?
一生懸命身を削って、一つ一つ足場を固めてじっくりと山登っても
何某さんのたどり着く場所には遠く及ばない。
早く彼女と結婚して、ほっとする場所を作らないとこのままじゃ参っちまう。

 

そんな中できららのゲシュタルトを再び見る。
福岡でやったときより、陰翳の使い方がよくなっている。
上のほうの着替えとかをムーブマイムで表現したところと
表演部で繰り広げている本筋のお話のメリハリが陰翳によってできている。
それにしてもいけださん、うまいよ。
何某さんがテレビやフアッション雑誌で得た幸せって所詮は劇薬なのだよ。
口当たりはすごい甘くて、食べやすいけれど。
だんだん年取るにつれて劇薬の副作用に心蝕まれて山田らぶのように
何もできなくなって、ひどいことになることのほうが、とまたメッセージをもらった。
そのほかにも自分の生き方じゃないもので得た幸せで苦しんでいる人の多いこと。
・・・このままだったらおれ、自分以上の幸せなんかいらないよ。
彼女と結婚して、作ったご飯食べて、たわいのない話して、
一緒にお風呂入って、そろいの寝巻き着て寝て、
朝起きて直にがんばれ言ってもらって、仕事して、シーズンになると
ゴール裏のこととか舞台のことでいろんな「たたかう」ひとびととつながる。
それが自分は最高の幸せだ。


きたよ、きたよ。

2008-02-09 22:05:03 | 舞台のこと

今年の福岡フェスの詳しい日程がぼつぼつと。
今年は「口開け」のギンギラが無いようで、リリパットが代わりに入るのかな。
で、若手枠がホルブラ、ヒット、フーズの順番のようで、ホルブラが2日間、
フーズが1日興行でヒットはどんな感じか不明。
そこに推薦枠でアントンが絡んで、「古典戯曲解釈」の最優秀作の公演が入って、
中〆がニットキャップ、大〆が南河内万歳一座(これが夏につながるそうだ)。
あと、関東の商業枠が何ぼかあって、それ以外でなんかあるやろ。



肝腎のチケット、現時点ではリリパットはローチケの販路に乗っているし、
ニットキャップはFFACのネット直販で取り扱っている。
・・・とくれば、シリーズ通し券のパッケージと価格が発表になるはずなのに、
まだ、こっちにねたが上がってこない。
というか、今月のえりこ通信まだ来てない。
去年は2月のえりこ通信が「えりこ通信大感謝祭」と銘打たれた
プレゼント大出血サービスがあって、商品の目玉が「福岡フェスシリーズ通し券」
(ギンギラは日時指定)で、それを狙って自分、見事玉砕しました。
もうそろそろ出てもおかしくないのですが。

 

最近、彼女にも、えりこねえさんにもあえてない。
「大人の事情」というものなのですが、なんかつらいな。


傲慢って、何よ?

2008-02-04 22:19:03 | 舞台のこと

というか、エンターテイメントの中にこれだけの「問題提起」をぶち込めるとは。


ということをAfro13というカンパニーの「ライカンスロープ」を見て感じた。
まず、箱の使い方がすごい。
最前の仮設の椅子、入れ方がちと違う。
下手側は2列、上手側は1列とどうも変則的、何かあるのかな、と思ったら
客席の間を縦横無尽にプレイヤーが走る走る。
そういうことだったのですね。

 

あと、余計な装置を使うことなくプレイヤーのフィジカルと
そこに生まれるムーブやマイム、コーディネーションで
ちゃんと物語を作っている。

 

まあ、お話の中身は狼と人間の対立、そこに相の子で「狼に種つけられた」人間が
絡んできて、ものすごく切ない。
・・・じっくりみてみると「支配と被支配」に対するある種の問題提起が
  このおはなしの根底を流れているのかなぁ。
「狼狩る人」が使っていることばは所謂「東京ことば」、
「狼」が使っていることばは本当はアイヌ語を使いたかったけれど
(名前は使うことができたが)せりふで使うと少々難しいところが。
で、大阪でいろいろやってるアイドル?グループを狼役にして
ことばのアクセントを「大阪ことば」にしちゃった。
おまけに話をまわす役割の「狼に種つけられた」おんなのこに
台湾の人を使うことでことばのたどたどしさ、というものがうまくあってる。

 

多分ね、狼が危ない、というのは人間の思い込みであって、
本当は狼だって人間に牙を剥きたくないんだよな。
でも、人間は「この自然界」を「支配しなければいけない」なんて
傲慢なこといっているから腹かいちゃったんだよね。
その傲慢さのシンボルがライカンだったのかな。
人間同士だっておんなじ、すごく考えさせられた。

 

・・・うーん、こういう「全体美」命のやつは自分は最上で
  見たほうが楽しめるのですが。
うまく席を選べなかったことが残念といえば残念。


正直、ドキッとしたのです。

2008-01-24 00:13:18 | 舞台のこと

今年は、これからの12年の足がかりを作らなければいけない。
その流れでどれだけのものを見学できるのか、気になる。
というわけで「謎のモダン館」というカンパニーによる「水の簪(かんざし)」
きょうは見学です。

 

とにかく、お話の質感がすごい。
徹底的な自己との対話の連続、そして謎解き。
見れば見るほど自分をみているようですごく驚き、そしておののいた。
この質感を武器にしてたたかっていかなければ自分はまずいのかもしれない、
そう感じたひとときでした。

 

そのためにはいろいろ学ばなくちゃいけないことが色々ありすぎて。


ミリ単位、グラム単位の精度が問われるぞ、これからは。

2008-01-20 23:59:57 | 舞台のこと

・・・自分も、われらが愛媛も。

 

さて、きょうは戯曲講読講座@熊本に行ってきた。
まあ、始まる前のひとときに高速バスの切符が往復でさんごーとか、さんにーとか
いいながら「天神の大黒屋ってなんかぼ(以下略、天神言うたら云々、
え、天神てどこよ」というキャッチボールの中から、
天神をこっちは福岡の天神、というのに熊本は「味噌」天神というふうに
地名の呼び方に関する不思議な違いを楽しんでる。
ウオームアップで体ほぐして、「名前」というボールを使ってサッカーで言う
「鳥かご」の練習をやって、ちょうど自分に回されて、戸惑って。
でも心がほぐれて、いい按配で最初の精度を上げる「読み」のトレーニングに
入ることができた。
ブレヒトの「三文オペラ」を使って、物語の基本的な質感が「木の質感」なのか、
「石の質感」なのか、「鉄の質感」なのかを慎重に感じ取り、ことばを出す。

 

休憩を挟んできょうのメンバーをふたつに分けて平田オリザの「隣にいても一人」
と別役実の「雛」をそれぞれ読むトレーニングにはいる。
まずは役を決めず輪読して物語の基本的な質感、キャラクターの質感を
さらに慎重に探り、感じ、その結果を「自分はこの役をこのアプローチングで」演る。
という意思表示をして、それぞれ持ち寄ったアプローチングをすり合わせて、
一度別のチームにお見せする。
そうすると、自然と今回のポイント、というのが見えてくる。
今回は「ことばの力」を殺さないムーブ、マイムの「添え方」にいつの間にか
なっていたわけで。
「ことばの力」で押し通そうとすればするほど、見手の「情報処理能力」は
いっぱいいっぱいになってしまう、そうなるとダレ感が強く出る傾向が多い。
となると、「ことばの力」を殺さないように立ち、座りのムーブや手のマイムを
使う必要性がでてくる。
・・・すごく難しいな、きっちり、しっかりやればそっちに脳味噌がいっちゃって
  「ことばの力」による想像の拡がりを邪魔してしまう。

 

演り手自身も、体調面、心理面で「ミリ単位、グラム単位」の調整をやって
常に、とはいわないけれど「自分に向き合う」必要性があるぞ、と考えさせられた。
何某さん見たく、そうする機会がありながら「大人の都合」でやらずに
易きへ逃げさせるのは正直、可哀そうだな、と。
「だいすき」のかりなのほうがちゃんと自分がどんな人間だったか、
に真正面から向き合いながら1クールやってる分、ましだぞ。
この仕事が終わったらこの子、いままでの拠りどころとしているものを
拠りどころにするのはもう止めたほうがいいぞ、といいたくなるくらいのでき。


今年最初の

2008-01-12 23:00:40 | 舞台のこと

舞台の見学です。
演劇版「福岡対札幌戦」の絡みで「劇団千年王國」というカンパニーによる
「イザナギとイザナミ 古事記第一幕」という演目。
すごくシンプル、自分らが「福岡舞台計画」でやった「仕事」を削り込んで極めたら
こんな形になるのか、と驚き、感心しながらみていた。
「おとこのこの物語」と「おんなのこの物語」がものすごく日本的で、
西洋の「アダムとイブ」のお話とは違う世界観を強く感じた。
結局、いまの社会のひずみは「日本独特の創世観、死生観、人間観」を
古くは中国、朝鮮、新しくはヨーロッパ、アメリカのものによって捻じ曲げられ、
さらには間尺にあわないことを無理して取り入れたことによる悲劇だったのかな。
そう考えると聖徳太子以前、以後が日本最初の分水嶺だったようだ。
・・・西洋にとってのイエス・キリストのように。
そうでないと厩で生まれた、とかいろいろな共通点の説明がつかない。

 

開演前ばたばたとチケットのピックアップをしにオフィスに出向くと
ちょうどT親分がいた、手短に新年の挨拶をしてこないだ書いた話について
少しはなしを付け加える、といっても「まあ自分の見方はこんなのです」と
いうことなのですが。
それにしても歩みが遅い、遅すぎる。
とにかく余裕もって6月、7月までには彼女と籍入れて
いっしょに生活しないことには、どないにもならない。
今月、2月、3月は去年までの「膿んだ部分」を徹底的に搾り出して
いろいろな面でできる範囲内、けりをつける、お願いできることは
恥を忍んでお願いする。
まずはそこから、彼女には「ちょっとしか会えない」ということで
きつい思いをしてしまう分辛いけど。

 

・・・それにしてもなぁ、とまりさんに「バツ」が一個あったなんて。
  というか「売れる、有名になる」ということはかくも大変なことなのだな、
  そこの部分だけはきちんと覚悟しとかないと自分も彼女を辛くさせてしまう。


梅は梅、桜は桜、紅葉は紅葉。

2008-01-10 22:43:38 | 舞台のこと

やっぱり、東京のアミューズとかホリプロが一枚噛むとすげぇな。
今年は舞台方面は福岡のギンギラ、音楽方面はパフューム、
このふたつを猛プッシュという雲行きのようで。
水曜のニュースゼロ、を見たとたんぶっ飛んだよ。
で、スポーツ新聞の芸能欄もベタ記事ながら取り上げてる。
なんだか、昔のNHK跡地から始まったカンパニーが遠くになった様で、
うれしくもあり、寂しくもあり。
まあ、バー、とかダストのように「消費」するまでしゃぶりつくす事はなさそうだ。
「露出」と「抑制」のコントロールもうまそうだし。
東京の皆様、飛行機編を楽しんだあとは福岡に出向いて天神編やお菓子編という
「福岡観光案内」の演劇版を楽しんで、福岡を十分に堪能してもらえたら。

 

長浜の某放送局のレポーターにがらぱのしいきさんが入って、
玉突きでレギュラーだった人がももちの反対側の夕方ワイドのレポーターやってた。
こう、なんていうか、ある意味激しい場所でみんなたたかっているな。
場所ややり方が人によって違うだけで、激しさはどこも同じ。
自分は自分の場所が現にあるわけで、その場所でベストを尽くすしかない。
・・・男の子に対してはそうやって整理がつくのだけれど。


「芝居屋コロシアム2007」総括。

2007-12-16 20:58:54 | 舞台のこと

の前にだ、かねてからの懸案だった愛媛陸の「ネーミングライツ」、
ニンジニア様に決定、とのこと。
~ジニア、とかいうものだからIT関係かな、と思っていたが、
どうやら「明日来る」とかより小回りの効きそうな文具通販会社のようだ。
プリンタのインクって、なんかぼったくりだよね、という向きには
ここのリサイクルインクは検討の余地ありか?

 

さて、表題の話進めようか。
・・・5つのカンパニーがおんなじ舞台装置を使って違う演目を演る、という試み。
この舞台装置が秀逸。
ぽんプラザのタッパ(高さ)を十分に生かした造り。
前面が縦6掛ける横6面の蚕棚で、真ん中にあるはしご以外の階段、床板は
ストーリーしだいで自由自在に組み立てられる。
肝は、上手上層のほうに渡り廊下を作って、舞台とつなげちゃった。
この装置の応用で自分はmusic-unitというショーを演ってみたくなった。
下手のほうは蚕棚にして・・・とかね。

演目についてお話。
クロサイ「タワレコ」
・・・時事ネタを鮮度のよいままストーリーにぶち込む手法はさすが。
はまさきさんが離れて以来、このカンパニーはフィジカルとことばの力を
さらに強めたムーブ、マイムを志向していることがさらに強くなった。
「時間泥棒」と「バベルの塔」を下敷きにしてマイナー兄弟をスパイスで効かせたな。
破壊神「タワレコ」のぞくぞくっとする美しさにはっとさせられた。

 

きらら「ゲシュタルト」
5月のotoでひとつの区切りを迎えたこのカンパニー、どう来るかと期待してた。
いろいろな新しい要素、満載だよ。
まずは、「ダンサー」としての身体言語の表出で勝負していたものが、
「転回社」という映像と身体表現をシンクロさせるのがうまいところと手を組んで、
マットという外国人のプレイヤーを加えることで表現の幅が広くなった。
・・・女の人がみんなかっこよくてものすごくえろい。
  逆に男の人はなんだかかっこ悪くて情けない。
「仕事もあって、お金もあって」という「しあわせ」がまるで劇薬のように
それぞれの心と体を蝕んでいきやがる。
いまの社会って「身の丈でやる」のがいい、とか言われてるけど、
現実はそんなこと許さない、窮屈な世の中だよな。
危機感と飢餓感をなくしたら人間、おしまいなのかも。

 

PA !ZOO!! 「馬鹿とけむり」
開演前から「場の空気」をうまく表現できてる。
作劇も「ラッパ屋」の空気を「肉体労働系」の仕事に置き換えたら
こんな感じになるのかな、という味わい。
それぞれの夫婦を一人二役でやる、というのが斬新だな。
・・・自分も近い将来結婚する、そんな夫婦もありかな?
あと「絶対的評価」に生きる人と「相対的評価」に生きる人との
色合いがはっきり出ていた。
それにしても、よく食べるなぁ。

 

あなピグモ捕獲団「東京ハニロボ」
東京で見た最先端をそのまま福岡に持ってきた造り。
「東京」という「戦場」にたたかいに行く前と、たたかってる途中のおはなしを
うまく組み合わせて、これから戦いに行くかもしれない誰かに対しての
「応援歌」として纏め上げてる。
かばんは「自分の持ってる知識、経験、才能、そして夢と希望」だし、
キオスクは「たたかい」の入り口、ピクニックは「人生」そのもの。
東京タワーは「最終的な目標」、永遠にたどり着きそうもない。
それでも自分の足で歩かなくちゃいけない、途中から靴を脱いで
素足の感覚を使ってまでも。

 

座”k2t3 「プロローグ」
手の凝ったご馳走を連日食べたあとにいただいた
「お茶漬けとおしんこ」のようなシンプルだけど、すっきり、あっさりした味わい。
プレイヤーそれぞれが生きてきた「人生の時間」をうまく出して、
他の人の「人生」をうまく受け止めている。
結局、人生に疲れてて、「何か」を作って完成させることで、
蹴りつけたかったんだけど、家はさすがにでかすぎた、というか
ある種の「覚悟」がないと人の命を預けるようなものは作れないな、と。
・・・多分ね、あの女の子達は家を作ることで自分の甘さを思い知ったのかな。
そのあとの続きをみてみたいなぁ、ごとーさん。

 

それぞれのカンパニーが力を尽くしたご馳走は確かにうまかった。
しかし、それをお出しするギャルソンの女の態度が気にいらねぇ。
あれじゃぁ、せっかくうまいご馳走食ったってまずいもん食った、と腹立てて当然。
こりっちの評価が若干「辛め」だったのも、そのギャルソンの責任が少しあるかも。
・・・どさくさにまぎれてそいつのドタマ蹴って当分「出入り禁止」になったほうが
  今後、よかったかもしれなかったけど、できなかった。
ん、まあ、それでいいのですよ、こっちも改めないかんところもあるし。


自分って、いったい何?

2007-12-12 21:24:27 | 舞台のこと

日曜日の勉強会のお話。

 

「演出家向けのプレイヤーをどうまとめて、育てていくか」という内容。
しかし、ゴール裏稼業にも取り入れられるところが多いので、そこに即した
形でまとめようかと思います。

 

まあ、大事なことは
バンプ(出して、受けて)がちゃんとできること。
「自分が拠りどころとする技術」を一つ身に付ける。
「見る、見られる」の関係性を意識する。
「狂気性」をいかにコントロールできるか。
「ひとりの喜びはみんなの喜び、みんなの喜びは一人の喜び」
これらを意識していくだけでもかなり違うだろうな、ということ。

 

さらに突き詰めたら「集団」の強さはそこにいる個々人の「強さ、しなやかさ」
がシビアに問われる、ということで「いかにしてそれぞれが生きたか」という
「人生のメモ」を引っ張り出されて、すり合わせしていく作業がいるのだ。
・・・ということは個々人が折に触れて「自分って何」ということを突き詰める作業が
必要で、さらに「世界の中にいる自分」と「自分の中にある世界」の折り合いを
つける作業をバランスよくやらねば。

 

そういうことから出た自分の立ち位置は
「プレイヤーするには技量が足りない」けれどもいろいろなものを
きちんと見ることのできる技量はある程度持っているのかもしれない。
というわけで、当分の間はいろいろなものをみて、体験してそこから出たことばを
いろいろな人に伝える「スカウティング」というところなのでしよう。
「スカウティング」をきちんとやれたら次の展開がくるのかな。

 

そういうことがわかったら、きちんとやることができるように準備をする。
・・・まずは自分の生活の安定、その前にいろんな人とつながりを作ることを
  学ばなければいけない、そのために「働く」ことを半年掛けて
  集中してやってみよう、夢を追うのは一休み。


人生のメモ。

2007-11-21 00:25:26 | 舞台のこと

「見る」という行為は「人生のメモ」のすり合わせ作業。
「何かをやる」ということは「人生のメモ」を自分以外の誰かに公開する作業。

 

そんなことをきょうの見学、ホルブラの「ヘルメット・オンザ・ビーチ」で感じた。
ネタばれにならないように話をまとめると、
「お金も、仕事も、恋愛もはたまた時間も自由自在」という人たちが集まって
景色のいい海辺に閉鎖的なコミュニティを作って楽しくやっていた。
そこに偶然異質な人が迷い込んでそこで重大な化学変化が起こった。
変化の中ですごく汚くてどろどろとしたものを隠していたのがばれてさあ大変。

 

まあ、自分は「何某さん」が年取ったらこうなってしまうのかなぁとか、
自分はさんざん何某さんに苛立ってきたけど、自分の人生そんなに悪かぁないな。
だって、何某さんにはいないだろう自分をしっかりみて、「いいところはいい、
よくないところはよくない」と云ってくれる存在が結構いることに気がついた。

 

いくら社会的評価が高くても、お金たくさん稼いでも、
それだけでは人間、「裸の王様」になって自分で自分を潰してしまう。
そんなことするために神様は他より秀でた才を与えたわけじゃないのに、
最近の人たちは自分から進んで秀でた才を「裸の王様」になるために使ってる。
そうなったら自分で自分の身を滅ぼすしか道はないのに。

 

・・・2007年三部作、うまく着地させやがったな。

 

あと、終演後えりこねえさんと久しぶりに直でバンプを取り、
帰りながらある人と初めて結構な時間バンプを取る。
この公演期間中、自分も自分のまとめみたいな感じでメモを公開してるよ。
・・・うん、新しいことが始まった。