goo blog サービス終了のお知らせ 

蹴球放浪記

緩まない、緩ませない。
横着しない、横着を許さない。
慌てない、「だ」を込める。

貫くものがなければ、私は私ではない。

2008-05-10 22:26:07 | 舞台のこと

今日は月いちの病院の日。
いつものようにひととおり「前に進まないから厭で厭でしょうがない」と
散々苛立って、でもなんとかかんとか、という話をする。


で、主治医の先生、こういいました。
「じっくり一年間見させてもらったけれど、『連続性』を保ってやれてるから大丈夫、
人の生きてる時間というものはいろいろな抵抗で曲がって、途切れてしまうことがあるけれど、いろんな苦しい目にあっても貫き続けているから由としないと」
・・・最近、いろんなところでおんなじこと言われているよ。
まず最初は大阪におーたさんの仕事を見に行った次の日、舞台計画の大将に
「自分の強みっていったい何よ」と博多行きの昼行バスでメールした答えが
「あなたの継続力はすごいと思う」、次は月いち話しに行くところでもなんとなく
自然に「自分って、『諦める』という言葉がどっか欠落しているんですよね、
 自分というものに対して合えば残るし、合わないから離れる、ただそれだけで」
最近の月曜仕事もそんな話ばかりしているような気が。
やっぱり、そうなんだ、としか言いようのないシンクロシニティを感じて、
今日は流れで昼の部の舞台見学をしにぽんプラザ。

 

今日はニットキャップシアターの「愛のテール」という演目。
まあ、中身は「恋愛って基本的に妄想、結婚は妄想の現実化」
という原理を関西風のこてこて味で楽しませていた。
つーか、これってリアル自分じゃないですか。
彼女の「顔の傷」の代わりに「心の傷」となかなか相手の親に会えない、
というところを除けばほとんどおんなじことをしているからまぢで怖かった。
・・・「性交に対する恐怖感」まで一緒だ。
例のサイトでそこまで書くの、なんだかなと思って
ラストの解釈を「別れるべくして別れたかもしれない」としか書かず、
そのあとに続く「けど、『別れよう』といっても結局そばにいる、故に愛は続く」を
あえて書き飛ばした。

 

で、みさかちゃんがオフィスに珍しく出張っていたんで業務連絡をしてから
地下鉄の一日乗車券を買ったものだから元を取りに祇園から博多駅まで
地下鉄に乗り、JRで帰る。
「最近の自分、先生のいうたように貫いたものがにじみ出ているな、自分から、
結局、貫いたものがあるから自分は自分なのだろう」という結論にたどり着く。


まだまだ未熟だ。

2008-05-03 22:27:31 | 舞台のこと

最近、藍色やら、ホルブラの最新作に対して例のサイトでこれでもか、これでもか、
とこき下ろしと叩きに余念のない人にかなりの怒りを覚えていた。
だって、自分の人生をどっかでさらけ出していないし、
見て、大事なメッセージをうまく受け止める能力もないのに、ゆうてることは立派だ。
これが、まあ文章や実際に板の上で技量を出すことを生業としている人が
こういうずれたことやると、同業者から鉛入りの鉄パイプのようなきつい言葉で
徹底的にぶん殴られる、だからこそ修練と鍛錬は欠かせないのです。
そんなことをわかろうとしなくて、自分を安全圏においてひどい言葉浴びせるのは
ものすごく卑怯だよね、正直許せない、と思っていた。

 

そういう重たい空気を抱えて今日は佐世保から遠征してきた
劇団HIT!STAGEというカンパニーによる「白波の食卓」という演目を見学。
初見のカンパニーに対して、こんなよどんだ感情を持って見るのは
相手に対してものすごく失礼だということは十分知っている。
加えて、中身が「人が死ぬ」ということに対して真正面から挑んでいるので
それでさえも重たいのに、「若くして死んで、たくさんの無念を残してあっちに
行っちゃった、ずるいよ」という「負い目」を残された人たちに与えたあと、
だから場面の端々から緊張感がばしばし伝わってくる。

 

けれど、「負い目」にいずれは決着つけないと前にも、後ろにも進めない。
決着付けるために後半激しくぶつかり合うこと、しかもぶん殴ったり、
投げ飛ばしたりすることなく穏やかに、ひたすら穏やかにぶつかり合うことを見て
「自分はなんて未熟なのか」ということを思い知らされた。

 

いろいろな人生があって、いろいろな言葉がある。
当然、いろいろな想いだってある。
いずれはそれを赦さなくちゃいけないのですよ。


メーデー! メーデー!!

2008-05-01 22:22:49 | 舞台のこと

今日はなんともいえない怒りがふつふつと沸いてきて、家にいてもくさくさする。
仕方がないので、彼女に定期便打って、自転車で天神。

 


その前にぽんプラザのオフィスに寄って演劇評N.T.Rの最新号をぱらぱらと。
前号が「演り手」側から見た「福岡演劇の黎明期」だったのに対して、
今回は「見手」側から見た「福岡演劇の黎明期」という趣。
言葉は悪いが、高度経済成長前夜の「文化未開の地」福岡に
「演劇」という芸術活動の中でもより高度な知性、品性、精神性を必要とする
ジャンルを根付かせようとする過酷に過酷を重ねて力尽きた歴史の記録。
・・・多分ね、こういった「高度なもの」を国民が持つと国家はコントロールできなくなる
  から時の政府は「入場税」なんていうある種の「贅沢税」を使って
  高度なものを必要とするジャンルを潰しに掛かってたのでしょう、
  で、国家のコントロールをいろいろな意味で強化したのが
  高度経済成長以後の世界で、そうなると同時に「入場税」を廃止して
  ある程度に「自由」を認めた、しかしコントロールはきつくなってる。 
その結果、何が起こったか?
日本人の根底をなしている高度な知性、品性、精神性が破壊された。

 

で、昭和の終わりごろにいろいろ反体制運動が起こって、
表向きには鎮火したけれど、今も埋め火となって燃え続けている。
こないだ見学した第七インターチェンジ/転回社の「インターチェンジ」という演目
にも、その空気が伝わっているのかなぁ、という感じがした。
「どうして、どこにでもいる普通の彼女たちは革命という特殊なせかいに
身を投じたのだろう」
そう感じさせるほど、革命と生活というものがマーブル模様になって
搾取だ、何だといっても、おなかはすくし、お金も何とかしないといけない。
雨露だってしのがなくちゃいけないし、当然死ぬのも惜しい。
それでも、何かを変えたくて、彼女たちは行動を起こしたのだろう。
最後はすごく切なく、哀しいことになったけれど。

 

モールス信号での非常事態用語は「SOS」というのは良く知られたことだが、
今の救難無線での非常事態用語は「メーデー、メーデー」らしい。
モールス信号が使われなくなったと同時に若者たちが5月1日の
「メーデー」という日を使って、「コントロールされきった社会の現状」に
「メーデー、メーデー」と警鐘を鳴らし始めたのは何かの偶然だろうか?

 

                 


ちょっと切ない。

2008-04-29 21:59:07 | 舞台のこと

ホルブラの「アンダーグラウンド・サイコ」という演目について見学した話の続き。

 

このお話を理解するのに、去年、このカンパニーでやった「2007年三部作」に
ついておさらいをしないとこの世界はどうもむずかしすぎるようだ。
まず、最初の「これはただのしみだ」、急成長のベンチャー企業の引越しで
新しい事務所の床に「しみ」が見える、その「しみ」はその場所にたどり着くまでに
捨てたいろんなものかもしれない、見えない人はどんどん無理して
進んでいくけれど。

 

次が「若者の生態」、いわゆる低賃金、低希望の「マックジョブ」にしか
かかわれなかった若者のほんの少しの希望をも奪ってしまう、
「格差」っていったい何よ、結局不誠実に生きたものが勝つんじゃないのか、
しかし、冒頭部分の「三途の川の渡し場」のように人はいずれは死ぬということ。

 

最後の「ヘルメット・オン・ザビーチ」、勝ち組だらけのコミニュティって
平和でまったりやれてるのかなぁ、なんて思ったら大間違い、
そういう人ほど細かい「格」にこだわりすぎて最後、いろいろなよくない過去に
絡めとられて不幸になってしまう。

 

この3つのお話を貫いているのは、「世の中には二つの精神的人種がいる、
ひとつは、五感五体を十分に働かせてうそ偽りを生活から極力排除しよう、と
考える人々、もうひとつは頭だけ働かせてうそ偽りで生活を満たそうとする人々」
その二つの人種はいつも、別々の世界で生きているけれど、なんかの拍子で
それぞれの世界がぴったりと重なってしまう、そのずれから来る痛みを
いろいろな形で表現していること。

 

今回は、このテーマを「バブルから現在まで」の時間軸を自由自在に使いながら、
表ざたにならなかった「ある殺人事件」をなんかの拍子で掘り返してしまった
騒動を基本の骨組みに、「前向き会」というなぞの啓発団体のお話をスパイスにして
これもまた上手に表現できていた。

 

こういった世界観をさらに補強できるように、自分をいろんな意味で
上げていかないと。


ゆがみっぱなしのこの時代に。

2008-04-26 20:33:49 | 舞台のこと

また、どこぞの誰かが昨日のお話しでうだうだいいよる。
・・・例の大型掲示板使って。
せっかく、いろいろな思いを表現できる「道具」が目の前にあるのに、
その使い方を知ろうともせず、なんか馬鹿にするような人を正直許せない。

 

ああ、気分悪いわ、自分を見せないで他人を攻撃する馬鹿者の相手するのは。

そんなことはさておいて、先週の土曜日の見学の話。
熊本の「ジャガーパンツ」というカンパニーによる「きょう、コのために」という演目。
新進気鋭の、といいたいところですが、何のことはない、きららの演目で
なんともいえない存在感をかもし出している男の人二人がメインのカンパニー。
いや、豊永・ゴムコンビの存在が今のきららを支えているとはちといいすぎか。
徹底的にぶっ飛んでいることがいい刺激になっている、というか、なんかいい。

 

というわけだからバンプの間が絶妙。
で、お互い舞踏手(ダンサー)の体とことばを持っているから
「いまどきの子供はかなりゆがんでる、それを取り巻く教育と社会は
 もっとゆがんでる」というきわどいテーマをおしゃれに切り取れている。

 


さらにゴムさんが、教育現場で実際に働いている経験をかなりの誇張を
スパイスに使って「狂気」を前面に出したつくりに度肝抜かれた。

 


「適者生存」なんていうけれど、そのサイクルが年毎に縮まってきているぞ。
もっと昔は12年サイクル、近い昔は4年サイクル、ついさっきまではもう半年で
「適合」が「不適合」に変わってしまう恐ろしさ、その世界にさらされている恐怖から
来る心理的、肉体的な圧迫感、そうして訪れる常識を逸脱した行動の数々。
見たあとに、「ああ俺たちはこんなえげつない時間を生きているのか」と感じた。

 

そうして「壊れちゃった人」ばかりが大量に生産されて、どこかで人を刺し、
どこかの駅のホームで人を突き飛ばし、「混ぜるな危険」で
自分だけ逝けばいいのに知らない人を巻き添えにしたり、
酒を飲んで自分だけ楽しんだところで車という凶器を使って見ず知らずの人を
殺しても「俺にはかんけいねぇ」と開き直ってみたり、いろいろ理不尽だ。
とにかく、いろいろ不利な状態にあっても、歯を食いしばってやるしかない。
こういった闇に巻き込まれず、身を慎みながら。


さて、今度は自分の番だ。

2008-04-12 23:05:34 | 舞台のこと

おーたさん、自分の心に決着つけたね、よかった。
という出来を見せていただき、ありがとうございました。

 

今日の見学は藍色りすとというカンパニーの「ソレカラ」という演目。
このカンパニーはおととしの福岡フェスでの「デコラヴ」から見始めるようになって、
そこでうまくバンプをここでのお話で取って、がきっかけで次の年の新年交歓会、
おーたさんが「みてますよぉ」というところからリアルでバンプを取りはじめて、
秘密公演見て、自分の心にある苛立ちを吐き出して、「ハルカナ」見て
自分の歴史まで吐き出して、仕舞いには大阪まで追っかけてる。

で、「今回は勝負どころだからお願いします」という話を聞いたら
ちゃんとこのバンプを受けなきゃ、やっぱりだめでしょ。
ということで初めてトレーニングのところにお邪魔して出来る過程を
しっかり見せてもらって、いろんなことも出来る範囲で伝えた。

 

お話は「人間誰しも複数の人格を飼っている」という骨に
恋愛と夢と現実で肉をつけた内容。
最初のうちは持っている人格をコントロールできなくて動けるのに
調子の出し方と「絞り方」がぜんぜんわからないから上手に動けない。
多分、人間が翼を持って空を飛べることが出来たら、
始めのうちは調子に乗ってぐんぐん空へ行くけれど、翼の使い方がわからないので
うまく地上に降りられない、結局泣く泣く翼をへし折って降りるしかなく、
これが心の傷となって臆病になっちゃった、という感じ。

 

仕方がないから「光の自分」にふたをして「影の自分」を表に出すしかない。
・・・だって使い方がわからないし、どうしたらいいかすらもわからないから。
でも夢や希望は人一倍持ってる、が現実は遠すぎる。
そんな状況をもがいていたらある日突然「光の自分」が表に出ようとする。
この存在があまりの躁なものでぐいぐい現実を変えていっちゃう。
しかし、バランスは崩れる、崩れると自分が自分でなくなっちゃう。
こんなとき、自分で自分を殺すのが一番楽。
けれど、自分は自分をしっかり見据えて「光と影」に折り合いをつけた。
結果、「翼の使い方」を身に着けて新しいところに飛び立つ、という風にまとめた。

 

ずっと見ているとこのお話を如何こうする中でおーたさんもたたかっていたし、
自分も彼女のことをこれからは嫁といわなあかんくらいこれからのことを
たたかってる、それでいいのだ。
・・・正直、今が一番きつい。
  でもやるしかないのです。


ひょんなことから。

2008-04-10 21:40:58 | 舞台のこと

・・・うーむ、いろいろあって今年一年間は北芸に行くのを自粛しようかと。
プレイヤーとしても、見手としても今のじぶんでは行くのしんどいし。
その間に、「自分ができること」とか「いろいろな状況」をきっちり整える、
でないとあの場所ではたたかえない、ことがいろいろやってわかったこともある。

 

今日、えりこ通信最新号がやってきて、えりこねえさんの近況が別紙でついてきた。
・・・細かい話は端折るが、えりこねえさんの所属が変わって、仕事の範囲も
  西鉄ホールの仕事に加えて、北芸の仕事も新たに始めた、とのこと。
  今後ともよろしゅう、と直筆署名入りで。
ん、まあ、西鉄ホールの持ちネタの北芸公演やら飛ぶ劇のこと、
天神バスセンターの北芸の公演案内、とかいろいろで
「相互乗り入れ」がありよるなぁ、えりこねえさんの体が二つあればいいのに、
ということを感じていたから「ああ、そうなん、よかった」と喜ぶしかない。
つーか、なんか動くだろうと、北芸のポイントカードを今年は蹴飛ばしたし。
願わくば、にもか使って西鉄ホールと北芸の会員組織の相互乗り入れができれば。

 

えりこねえさん、壊れたら、おしまいですからくれぐれも心と体に気をつけて。
まあ、風邪引きの体で正統派博多雑煮を作ろうとする気迫があれば大丈夫。

 

ん、自分?
きのうはニットキャップのトレーニングを受けて、
自分は「フレーム」といっている部分をすごく大事にしているな、
言葉が違うだけで、ということを確認できたから由、とする。
で、強行突破してバンプ、取ろうとするなんて俺は馬鹿だ、あほだ。
あとで財団のT女史にはかなり丁重に謝らないと。
・・・行かせてくれなかったことで自分はかなり助かったのかな、
  それにしても、最近の自分、なんかイカレてる。


これが「良き出会いの始まり」になることを。(各論その壱)

2008-03-29 21:54:26 | 舞台のこと

ずびーっ、ずるずる、ちーん。
ああ、昼間久留米で外仕事していたら花粉症がひどくなった。
鼻水もなんかじゃりじゃりしてる。
花粉という名の「塵」が十分にからめとられているからだろう。

 

それはさておき、言葉って不思議だ。
言葉を使って板の上では風を吹かせ、雨が降っていることを見手に
感じさせることがよく訓練された演者にはできるのです。
極論、修練と鍛錬を積み重ねて研ぎ澄まされた言葉は鋭い刃となって
聴くもの、感じるものの心を突き刺して血まみれにすることだってできる。


「非・売れ線形ビーナス」というカンパニーはそこのところをうまく追及できる
カンパニーになってきた。


このカンパニーが作った「紙風船」は「夫婦の会話(内面世界版)」という趣。
演技面はタッパ(高さ)を低めに抑えて、ところどころのせりふを文字化して
大きさを変えてぺたぺたといたるところに貼り付けて、映像でも言葉の洪水を
これでもか、これでもか、と見手に浴びせかけてる。
それだったらぽんプラザのタッパをうまく使えてない、言葉の映像を「雨」にして
高さを使って降らせることも「あり」では?
演者のスタイルは当然、男と女、そして演出の人が「動くト書き読み」として
入っていくことで動きのあるリーディングスタイルをとっている。
にしては、ムーブ・マイムと言葉のディレイ(遅れ)感が「意図」して
「ずらしている」のだろうけど、なんか不自然。
というか、「この言葉にこのムーブマイムはないでしょ」が結構あった。
ムーブマイムと言葉をぎりぎりのところで不自然さを出して、なおかつ言葉の
「感情」を抜き取るように持っていけばかなりよかったのですが。

 

よくよく考えてみたら、「紙風船」という戯曲を使って「彼女シリーズ」の
延長線で一本作りました、タイトルは「ボクと彼女(ヨメ)」というふうに。

 

 


これが「良き出会いの始まり」になることを。

2008-03-28 22:12:43 | 舞台のこと

福岡フェスの新しい試み、「ひとつの戯曲からの創作を通して語る」の
最終実演コンペティションに行ってきました。

この試みは岸田國士作「紙風船」という戯曲を若手の演出家が
どう料理するか、という趣旨で、企画書審査で福岡の「非・売れ線形ビーナス」と
劇団ぎゃ」、京都の「ナントカ世代」、東京の「M・M・S・T」の4カンパニーが
次のプレゼン審査に残り、その中で京都のカンパニーがふるい落とされ、
今回の上演審査を迎えた、というあらすじ。

 

自分が考えたポイントは

岸田國士という作者が持っている「言葉の質感」を如何に掴み取り、
それを「演出家自身の世界観」とどうすり合わせていくか。

「板の上」で起きていることがちゃんと見手の頭に
「映像」として再現できているかどうか。

「言葉」が過不足なく適切に表現されていて、なおかつ見手に「ダレ感」を
感じさせないようにやれてるか。
の3つ、そこから主催者側が用意した本のコピーをさっと読んで
自分なりに「言葉の質感」と「世界観」をつかんでおく作業をやっておく。

「言葉の質感」はニスを幾重にも塗った木目の味わい。
夏だろうか、春だろうか、乾きながらも爽やかな空気。
「世界観」はあの時代のちょっとおしゃれな夫婦、それも日の浅い
そこから来る「ふわふわとした生活、ふわふわした恋愛」かなと。

 

それぞれのカンパニーについてのお話は明日から。




シーズンが変わるぞ。

2008-03-24 23:54:22 | 舞台のこと

面白い話が飛び込んできた。
北九フェス、10月開催から翌年3月開催に変更だって。
九州、福岡の演劇シーズン開幕が7月、としたら2008シーズンからこうなるな。
(あくまでも予想ですよ、予想)

2008 6月、7月 ぽつぽつと慣らし運転。
     (演出家養成TC、などの育成系プログラム中心?)
    8月 のびのび企画@西鉄ホール。
    (まあ、ある仕掛け知ってるけれど内緒)
       くるめフェス?
    9月 意欲作がぼちぼち出てくる?
    (もしかしてMeet's2008開催?)
    10月 ギンギラロングラン@西鉄ホール
    (「天神商業史」その2?)
    11月、12月のいずれかで新シリーズ開催?@ぽん
2009 1月 リンクシアター再び?
    2月 熊本「新」リージョナル?
       大分フェス?
    3月 北九フェス
       (東京リージョナル)
    4月、5月 福岡フェス

少しずつ、九州新幹線博多開通をにらんだ動きの下地はできた、
連動性が上手にできてきてる日程の組み方したようで。
あとは各フェスティバルの色合いをどう上手に出すか、
好評のカンパニーや演目を「旬のうち」にどうすればうまく出せるか、
いろいろ試行錯誤しないと。