今日は月いちの病院の日。
いつものようにひととおり「前に進まないから厭で厭でしょうがない」と
散々苛立って、でもなんとかかんとか、という話をする。
で、主治医の先生、こういいました。
「じっくり一年間見させてもらったけれど、『連続性』を保ってやれてるから大丈夫、
人の生きてる時間というものはいろいろな抵抗で曲がって、途切れてしまうことがあるけれど、いろんな苦しい目にあっても貫き続けているから由としないと」
・・・最近、いろんなところでおんなじこと言われているよ。
まず最初は大阪におーたさんの仕事を見に行った次の日、舞台計画の大将に
「自分の強みっていったい何よ」と博多行きの昼行バスでメールした答えが
「あなたの継続力はすごいと思う」、次は月いち話しに行くところでもなんとなく
自然に「自分って、『諦める』という言葉がどっか欠落しているんですよね、
自分というものに対して合えば残るし、合わないから離れる、ただそれだけで」
最近の月曜仕事もそんな話ばかりしているような気が。
やっぱり、そうなんだ、としか言いようのないシンクロシニティを感じて、
今日は流れで昼の部の舞台見学をしにぽんプラザ。
今日はニットキャップシアターの「愛のテール」という演目。
まあ、中身は「恋愛って基本的に妄想、結婚は妄想の現実化」
という原理を関西風のこてこて味で楽しませていた。
つーか、これってリアル自分じゃないですか。
彼女の「顔の傷」の代わりに「心の傷」となかなか相手の親に会えない、
というところを除けばほとんどおんなじことをしているからまぢで怖かった。
・・・「性交に対する恐怖感」まで一緒だ。
例のサイトでそこまで書くの、なんだかなと思って
ラストの解釈を「別れるべくして別れたかもしれない」としか書かず、
そのあとに続く「けど、『別れよう』といっても結局そばにいる、故に愛は続く」を
あえて書き飛ばした。
で、みさかちゃんがオフィスに珍しく出張っていたんで業務連絡をしてから
地下鉄の一日乗車券を買ったものだから元を取りに祇園から博多駅まで
地下鉄に乗り、JRで帰る。
「最近の自分、先生のいうたように貫いたものがにじみ出ているな、自分から、
結局、貫いたものがあるから自分は自分なのだろう」という結論にたどり着く。