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一視同仁

2014-05-19 18:10:44 | 日記・エッセイ・コラム
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   生き返る  水が戻りし  水田や  蛙喜び  恋の宴か
                                     ひのひら  ろくべえ







    「一視同仁」という言葉は、すべての人に平等にかかわるという事を現す言葉だそうな。

  仁とは「思いやり」のことだそうな。言葉としては素晴らしいいが、このことを具体的に実行

  するのは、難しい、難しいからと、ほっておいていいと言う問題でもない。常に目標としての

  もののの考え方として、頭の片隅に置いておかなければならない問題なのであろう。特に

  対人援助職とい物は、常に問われることであるが故に、日々反省と向上心を持って、立ち

  向かうべき問題ではないだろうか。完璧ではないだ、常に「一視同仁」とありたいと願いそ

  こに近づこうとしてる姿こそが、大切なのであろう。できないことだからと、開き直ることが

  一番危険な考え方なのかもしれない。目標概念を設定し、そのことを実現したいという、

  思いを実行すること、そんプロセスが大事なのであろう。
   


翻雲覆雨」

2014-05-18 16:43:19 | 日記・エッセイ・コラム
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水田に  蛙戻りて  恋の花  鳴き声競い   我を高める
                                   ひのひら  ろくべえ






    秋の空と男心、あるいは女心などと言う言葉があるが、とかく人間の心は移りやすく

  あてにならないことの例えを「翻雲覆雨」というそうな。広辞苑によると、手を翻せば雲と

 なり、手を覆せば雨となる。掌を上にすれば雲となり、掌を下にすれば雨になるの意が

  あるらしい。簡単に状況は変化するし、人間も簡単に心を移すという事であろう。

そんな性質を持つ人間だからこそ、毎日のかかわりが大切なのであろう。昨日のこと

  を、今日に活かすとか、恩義に思うなどと言う事は、幻想なのかもしれない。そんな生き

  方をすればするほど身動きできなくなる。しかし、また人間関係では恩義というものが大

  切というのも、またしかりである。という事は、移り変わりのある人間の心を持っている自

  分を知って、如何に移り変わりをしないように、恩義というものを心に留め置き、その心を

  生かした、人間関係を構築していくのかが大切なのではないだろうか。

     「翻雲覆雨」な自分を知り、その自分を如何に表現しながら、人間関係を構築してい

  くか、それが人生そのものの、課題なのかもしれない。移り気当たり前、だからどうするの

  か、自分の心をどのように扱うかそれが、人生ではないだろうか。 


2014-05-17 15:21:35 | 日記・エッセイ・コラム
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雨の後  皐月の空に   雲流れ  遠きのあなた  思い浮かぶや
                                      ひのひら  ろくべえ





      水というものは、四角形の器に入れれば、四角形に、円形の器に入れれば円形に

    器に添って、それと同じ形をとりながらも、存在感とか魂というものは変化しない。

    人間も優れている人間は、相手に自分を添わせることができる。優れた女優というもの

    は、役そのものがどのような役であろうと、自分の役者としての演技力を表現力を出す。

    それがいい役者という話を聴いたことがある。自分を役者というもののために、恥ずかし

    さや、苦しさ、辛さを乗り越えていこうとする。そんな人間性を持ち合わせているからこそ

    大多数の人から賞賛をあびることもできるのであろう。

      つまり、「水は方円の器に随う」という事であろう。随うからこそ、そこから学びえること

    が沢山得られるという事ではないだろうか。若いのにあるいは人生経験少ないのに、自分

    という者の好き嫌いだけで、人を選び、物事を選んでいるようでは、自分の思っているよ

    うな人間性を持つことは難しいという事ではないだろうか。人間は生まれてから生きてい

    る間、自分の好むようなことばかり起きてるわけではない。むしろ好まないことの連続の

    中で、生きているのではないだろうか。そうであるならば、好まない経験を好む経験威変

    化させるような、エネルギーというものが大切になる。常に受身で、苦しさだけを味わい

    自分は恵まれてない、不幸なんだと思う事に逃げ込まず、ダメ元でもチャレンジして、自

    分が納得できる道を歩いたほうがいいのではないだろうか。自らを弱者にするのでなく

    相手に遊ばれる前に、自分が相手を遊んでやれそんな気持ちを持つことが、大切なの

    ではないだろうか。「水は方円の器に随う」である。随っているようだけど、水そのものを

    誰も変化させることはできない。水の魂であろう。

     憧れの姿「水」それこそが対人援助の魂なのかもしれない。



唯一無二

2014-05-16 18:03:40 | 日記・エッセイ・コラム
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  俄雨  行き交う人の  傘の花  隙間を駆ける  子犬の如し
                                     ひのひら  ろくべえ





     人間というものは、「唯一無二」の存在、この広い地球という星に、同じ人は二人

   といないそれが人間という存在。だから他者の全てを知りたい、知られたいという欲

   望が存在するので、あろう。一部を知ってすべてを知ったことにはならない。これは

   地球という星に存在する全てなものに当てはまろう。

     特に誤解をしてしまうのが、人間を知った気になってしまいやすいことである。少

   しだけ話をしたり、一緒に行動したりすると、その人の全てを知ったが如く振る舞うよ

   うになる人が時にいる。これは全くの誤解で、自分だけが知った気になっているだけ

   である。

      人間は「唯一無二」の存在、一人一人は奥が深い、その奥深さを知ろうとすることが

   自分の成長に繋がる。ただ単位外見だけではない、人にはめったに見せない、性格や

   技術な、好きなものの傾向などと言うものもある。外見では決して解らない。だから対人

   援助は奥が深いのであろう。この視点を学ぶには、多くの人に本気で付き合うほどの勇

   気と、時間の投資が大切であろう。自分の学びのために、何を投資するか、つまり時間と

   自分を投資できるかにかかっている。棚から牡丹餅のように人は、学びを与えない。学び

   は、自ら自分を投資して得るものであろう。

      「唯一無二」の存在の人間から学ばせて頂くためにも、自分を犠牲にできる投資が

   必要なプロセスであろう。


五風十雨

2014-05-14 15:46:31 | 日記・エッセイ・コラム
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雨の前  雲広がりて  薄暗く  朧に見える  花々姿
                                  ひのひら  ろくべえ






      天気は下り坂、雲広がり明るさを失い、どことなく暗く感じるように変化

    した春の日天気に左右され活動性は低下、自閉的に過ごすことになる。

    人間の気分というものは天気とはいっけん無縁のように思われるが、実は

    そうではなく、大きく影響を受けているという事でもあろう。

    天気を始め、地球上の環境というものは、「それがいい」という状態がある。

    今の時期、日本では「五風十雨」という言葉がある。これは農作物を育てる

    のに「ぐわいのいい」天候だそうな、十日に一度雨が降り、五日に一度風が吹く、

    そんな気候が順調で、理想的な気候だそうな。確かに、雨ばかりでも、快晴

    ばかりでもうまくいかないという事であろう。何事もバランスの取れた「ちょうどいい」

    が世の中が落ち着いて穏やかに治まっているという事ができるのであろう。

    プラスとマイナス、白と黒、愉しいこと辛いこと、何事も五分と五分の状態こそが、

    安定している証拠となりうるという事である。今いいことが続いていると感じている

    人は、来るべき辛さに準備をし、今辛い苦しいと感じている人は、その先には

    愉しいこと、嬉しいことがあることを信じることが大切なのであろう。
 
    「五風十雨」というバランスを精神的にどのようにして保つかという事は、まさに

    自分自身そのもの問題、自分を知って、自分を愉しみ、苦しさも愉しみにできる

    「したたかさ」を身につけたいものである。