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迷歩録  緑効果

2021-04-30 07:20:36 | 日記
  雨の後  光をあびる  新緑や  緑の変化  ギスギスをとる


                               ひのひら  ろくべえ



     昨日までの雨は朝方には降り止み、微かな朝日が射しこんでいる。その光に

    新緑が照らされ輝いている。新緑の色は目に優しいと言われるが、目だけでは

    ない。コロナやオリンピックといった世間の喧騒に刺激され、コミュニケーシ

    ョンに対する不満がたまる、ギスギスとした心にも効果があるのではないだろう

    か。疲れた心を癒す、遠くの緑豊かな林や、森を、木々を眺めているだけで、ど

    ことなく心が整い、いやされたという感じを得ることができる。緑効果ではない

    だろうか。疲れた心を緑でいやす。その効果を試すのもいいのではないだろうか。

     多くの人がキャンプを楽しむ時代、大げさなキャンプなどではなくても。公園

    のベンチで、呆然とスマホは置いて、緑を眺めてみる。その行為は心を癒してく

    れる。そのような非日常的行為が、とても大事な時期ではないだろうか。

     コミュニケーションを充実させるためには、非日常的行為が人間には必要では

    ないだろうか。



迷歩録  水パワー

2021-04-29 08:50:43 | 日記
  雨の朝  集まり流れ  大海へ  全てを連れて  旅をする水


                               ひのひら  ろくべえ


      未明から降りだした雨は本格的となり、今の時間も降り続いている。一滴の雨水も

     集まり流れを作り、下へ下へと流れ行く。その量は下に行くほど多くなり、やがて大

     河となっって大海へ灌ぐ、決して後戻りすることはできない。人間の人生をも表すが

     ごときである。

      いよいよ雨のシーズンである。時として集まりし水は大災害を起こしてしまう。気

     をつける必要があるが、どのように気をつけたらいいのか、その住んでいる土地の条

     件で違う。その土地にあった気をつけ方をしなければならない。

      水のパワーは凄い、時に人間の想像を越えてしまう。災害の後で想定外などと言う

     言葉を使わなくてもいいような、対策をしておきたいものである。

      特に危機管理が甘く弱い、我が国においては大切な事のように思う。

     選挙のための政治ではなく、国民のための政治を行うその本質が歪んで見えるのは

     私だけなんだろうか。

      危機管理のしっかりした国政をお願いしたいものである。

     

迷歩録  良き政党 

2021-04-28 08:54:11 | 日記
  芍薬や  雨の中にも  凛とたち  水も滴る  美しさかな


                              ひのひら  ろくべえ


    昨夜から降り始めた雨は、降り続き今も降り続いている。昨日曇りの間に移植した

   落花生たちは大喜びだが、人間は晴耕雨読、部屋の中に閉じ込められてしまった。

    今日は農作業も休憩、周りの畑から聞こえてくる、農業用機械の音も聞こえてこない

   雨の音だけが聞こえてくる。そんな一日となりそうな南九州である。

    南九州も毎日のようにコロナウイルス感染者が出ている。ワクチン接種は一向に進ま

   ず、予約に行った高齢者夫婦の話によると、予約は取れないもいっぱいと言われたとの
   
   こと、このようなことになる問題はどこにあるのだろうか。

    危機管理としては最低の状況、このような国家体制で、自国防衛とか国家安全などと

   言うことはどうなってしまうのであろうか。

    まったく目に見えない状況、政府は相変わらず曖昧な表現しかせず、ワクチン接種が

   上手く行かないのは他国のせい、もう飽き飽きしてるだろう国民感情を逆なでする総理

   この国はどうなっているのであろうか。

    国民の監視の目が緩いことを象徴しているのではないだろうか。選挙を冷静に判断し

   て、個人感情ではなく、日本の将来にとって良き政党を選択したいものである。

迷歩録  コミュニケーション教育

2021-04-27 08:02:35 | 日記
  朝焼けに  包まれし郷  大隅に  背伸びを始めた  向日葵の花


                                 trong> ひのひら  ろくべえ


     美しい朝焼けが見られた南九州である。徐々に雲が多くなり天気は下り坂の

    予報、畑の隅で芽を出した向日葵の花が、日ごと大きくなり、背伸びをしてい

    るようにも見える。コロナ騒動など全く関係ない植物は、暖かい気温に包まれ

    成長を続けている。その姿を毎朝見ていると、人間の喧騒がどれほどちっぽけな

    事なんだろうと感じることもある。

     人間がコミュニケーションを欲して生きているということが良く理解できる。

    其の行動が、集団行動である。その代表的な行動が路上で宴会というものではな

    いだろうか。この行動は日本だけの行動ではなく、国際的にどのような国でもあ

    るそうな。人間がコミュニケーションを生きる力としている。それも直接的なコ

    ミュニケーションであることが良くわかる。それ程必要なコミュニケーションを

    疎かにしてはならないのだが、日本の教育ではコミュニケーションというものを

    教育に取り入れない、自然成り行き的に、学ぶだけではないだろうか。明確にコ

    ミュニケーション教育を取り入れないと、今のような感染問題が発生した時に、

    ただ単に欲求に任せたコミュニケーションしかできない、それを満たすために、

    反社会的な行動で満足するということになってしまう。それでは社会性が崩壊す

    る。教育にコミュニケーションを導入することを考えるべきではないだろうか。

   

迷歩録  自粛の限界

2021-04-26 08:04:51 | 日記
  艶艶の  新茶や光る  朝陽射  初夏の薫や  頬を撫で行く


                                trong>ひのひら  ろくべえ



     昨日、そして今日、連続の好天気、お茶畑の新茶が陽射を受けて輝いている

    南九州である。緑が最も美しい季節でもある初夏、自然を満喫したいものである。

     緊急事態宣言がまたまた発令された。一度あることは二度、三度と起きる。今回で

    終わりとしてほしいがそうもならない雰囲気、対策の取り方方向性などを総括して次の

    対策を講じることが大切なのだが、選挙の事に終始している政治家たちの無能ささらに

    は、官僚の方針の無さ、そのような様々な問題が、今の日本の実情を表しているのでは

    ないだろうか。国民は次の選挙では考えなければ同じような状況が続くのではないだろ

    うか。国民は自粛の限界が来ている。早く何とか手を打ってほしいものである。