gooブログはじめました!

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

迷歩録 (隠れたもの)

2014-10-23 16:19:54 | 日記・エッセイ・コラム
   秋空の  向こうに隠れ  顔を出す
                  東の空の  丸起笑顔や
                          ひのひら  ろくべえ




   「思い内にあれば、色外に現る」
  こんな諺がある。胸の奥で思っていること、それはおのずと
 言動や表情に出るものという事を、言ってる言葉、この語れで
 言えば、国会議員の言い訳記者会見、真実を語っているとは、
 テレビを見てる人は誰も思わないであろう。あの態度や表情
 から、視聴者は言葉にならない真実を導き出しているからで
 あろう。つまり、視聴者は隠れたものを観る、力がそなわっい
 ているから、いくら言葉で繕っても、見え見えなことになる。
  これが人と人のかかわりにおける大事な部分なのである。
 その事、その問題に自分がどのような価値観で取り組んでい
 るか、そんあことは相手にはスケルトンのように見えるという
 事である。対人援助という職業ではそのことを、しっかりと
 自覚する必要がある。教育について、福祉について、医療につ
 いて、どのような考え方を持って取り組んでいるか、それは
 どんなに隠しても、隠れたものとならないことを自覚して、
 日々の研鑽を怠らないようにすることが大事なのであろう。
  幅広く社会をしり、幅広く人間を知る、そんな行動が人間性
 豊かな、対人援助者をつくるのではないだろうか。

条件づけと習慣化

2014-10-17 17:08:39 | 日記・エッセイ・コラム

                                    Img_1215
秋深し  下界見下ろし  鱗雲  稲刈り済むや  祭囃子か
                                       ひのひら  ろくべえ







    稲刈りが済み、各地から祭囃子、ピーヒョロロ、ピーヒョロロ

   と聞こえてきそうな、季節、各地の祭りの話題が、マスコミから

   も流れてくる。朝晩はだいぶ涼しくなり、半そででは寒さを感じ

   るほど、長袖に上着が必要な時期、足元も素足では冷たく、靴

   下を履いて過ごすことになる。確実に冬という季節に向かって

   いる。冬になると空気が乾燥して、インフルエンザウイルスが

   元気になってくる。インフルエンザウイルスに対抗できる体力を

   今の内からつくりたいものである。

    インフルエンザと言えば、その予防は手洗い、うがいが代表

   的、高齢者施設ではノロウイルスも心配、手洗いうがいなどは

   一年を通じて習慣として、できるように取り組みたいものである

   特に乳幼児に対しては過剰に進めるのでなく、習慣としてできる

   ようにしたいものである。ある意味条件反射的に習慣化できれば

   素晴らしいことであろう。

    生活習慣とはそういった事なので、条件づけしてなおかつ習慣

   化できれば継続もできるし、予防にも効果的と言うことになる。

   条件づけ、と習慣化、対人援助職が学びたい人間の心理で

   あろう。一定の条件を付けることで、習慣として獲得できる。その

   条件をどのようにするか、工夫のいる所であろう。その個人にあ

   った、条件というものを見出すことも、対人援助には必要なこと

   その人を知ることに努めたいものである。


しがらみ

2014-10-16 17:30:06 | 日記・エッセイ・コラム

                                 Img_2150
月ひとつ  闇夜を照らし  すすきかな  故郷想う  虫の鳴き声
                                          ひのひら  ろくべえ







  
 人間関係でよく「しがらみ」という言葉を聞く、この「しがらみ」とは

  髪の毛が白くなることでもない。「しがらみ」とは、もともと水流を堰

  き止めるために作られた、杭に竹や木を絡ませて、水流の調整をし

  た、柵のことで、その言葉が転じて、人間関係にも使われるように

  なった言葉だそうな、確かに「しがらみ」の中で、あちらを立てれば

  こちらが立たず、などと悩むことがある。特に対人援助職のメイン

  的、仕事に人間関係の調整というのがある。この調整をする時、何

  ともならないことが、多々ある、少なからず体験をしているだろう。

  「しがらみ」とは、あってなきもの、気にする必要はないのだが、気に

  なってしまう。気になったので気にして調整をしてしまうと、失敗する

  ことになる。人間関係の調整は、中立が基本である。さらには審判

  しないことである。基本は当事者同士が話し合える環境をつくり、提

  供すること以外には援助方法はない。しかし不慣れな人ほど、審判

  をして、そのことで解決しようとする。この方法は、その場は治まった

  に見えても、見えない所、心の奥底にわだかまりを残すことが多い

  それ故、審判はしてはならないのである。人間関係のトラブルは

  どちらにも言い分というのがある。人間関係の調整をする者は、常

  に、中立で審判をしないで、あくまでも本人たちが互いに話し合える

  環境をつくり提供することに徹することであろう。

   人間関係のトラブルはこじれると、解決どころか、怨念まで残して

  しまう事にもなりかねない。そうしないためにも対人援助職の大切な

  仕事であり、もっとも大切な心配りの一つであろう。


観察

2014-10-15 17:02:32 | 日記・エッセイ・コラム

                                 1_img_2121
空高く  虫も眺める  錦江湾  深まる秋を   我がものにする
                                        ひのひら  ろくべえ







  
  秋も深まりいよいよ、冬がそこまで来た模様、北海道では

  雪が降ったと聞く、鹿児島で、朝は肌寒く、布団がいるほど

  日中はそれほどではないが、朝夕になると今までの格好で

  は、ちょっと寒く感じる。秋深まりて、上着重ねて 散歩する

  そんな感じである。台風が暑さを持っていき、寒さを持って

  来たという感じである。とても過ごしやすい一か月間、体調

  に気をつけて過ごしたいものである。夜が更けるのも、まだ

  まだ早くなる。夜をどのように過ごすか楽しみの一つとなっ

  て来る。本を読むもよし、テレビを見るのもよし、テレビと言

  えば、昨日のサッカーブラジル戦、こんなに実力に差があ

  るのかと見せつけられた試合であった。まだまだ日本は

  世界のトップと戦える力にないことが分かった。マスコミに

  踊らされることなく、冷静に各試合を見て応援したいもの

  である。つまり、冷静に見るのと、周りの雰囲気に影響さ

  れて観るのは違ってくるという事である。つまり観察という

  ものも、自分のコンデション、観察する側の感情や周りの

  環境などで変わってくるという事を知ったうえで、他者のと

  った、あるいは自分のとった情報を捉えなければ、大きな

  間違いをしてしまう。口数が少ないだけで、人嫌いな性格

  などと単純に捉え伝達したりすることは、御法度である。

  そんあなことは見た目だけの問題ではなく、深い人間性の

  問題だから、深く深くかかわらないと解らない問題なのに

  単純にレッテルを張り伝えてしまう。そんなことが一つや

  二つあるはずである。観察というものは、たかが観察され

  ど観察である。浅はかに取り扱ったり。単純な解釈をしては

  ならないことを、肝に命じておきたいものである。


忠告、耳に逆らう

2014-10-14 17:09:34 | 日記・エッセイ・コラム

                                  Img_2137
鮮やかに  開いた一輪  紐緩む  働いた後  一杯のお茶
                                        ひのひら  ろくべえ








    「忠言、耳に逆らう」、という諺がある。役に立つ忠告

   というものは、忠告されるものにとっては、痛烈に感じ

   られれ、喜ばれることはないという諺らしい。

    確かに忠告というものは、聴く側だけでなく、言った

   側も、あまり気持ちのいいものではない。しかし言わざ

   る負えない気持ちで言ってしまう。言った後もなんだか

   気持ちがすっきりしない。聴い方は猶の事、そのことが

   忠告と解らないばかりか、意味なく怒られたと受け取る

   場合もある。こうなってしまえば人間関係そのものが、

   崩れてしまう。忠告する側も聴く側も、それなりの関係

   性を考慮したやり取りがないと、そこには摩擦が起きる

   こともある。忠告ではなく、教えとして伝える工夫という

   ものがいるのであろう。さらには、聴く側も、忠告と構え

   て聴き取るのでなく、学びの伝えとして受け取る力が

   いるのかもしれない。いずれにしても「忠告、耳に逆らう」

   でなく、「忠告、耳に聴き入れる」そんな姿勢での、やり取

   りが必要なのでわないだろうか。

    一方的評価ではなく、互いの立場や人間性を考慮した

   関係性をつくり成り立つことではないだろうか。

    そんな関係性を成功目標として対人援助をしていきた

   いものである。