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迷歩録   てぬき

2016-08-31 11:12:58 | 日記
  いが栗や  落ちて身を出す  野里かな  流れる雲よ  東へ向かう


                            ひのひら  ろくべえ





    「てぬき」というものはできない人や、賢くない人が行う事ではない。器用な人や、賢い人がする。

    それを「てぬき」という。不器用な人は「てぬき」をする所が解らない。賢くない人も同様で「てぬき」

    する所が解らない、だから「てぬき」という行為はできない。ひたすら実直にその物事に向かうだけなの

    だが、器用な人とか賢い人は、実直そうなふりをして「てぬき」をする。その負担は実直な人たちに負担

    となり、実直な人が駄目になって行くことを、心の奥で密かに笑っている。「てぬき」をする者は実直そ

    うなふりをして、平気で嘘が言える。例えば平気であなたのために働いていますなど云うのは朝飯前であ

    る。このよう「てぬき」という言葉は、器用な人賢い人に当てはまる言葉であることを知ることも大切な

    ことであろう。

     つまり、自分が器用なのか不器用なのか、賢いのか賢くないのかを知ることが大切ではないだろうか。

    自分は不器用で賢くないと思えれば、実直にコツコツと前に進むしかない。ウサギと亀である。走ること

    に自信を持っていたウサギは居眠りをしたがために亀との競争に負けてしまう。ウサギが「てぬき」をし

    て、実直に歩き続けた不器用な亀が勝ってしまう。そんな話と同じことが人間の社会の日常なのである。

    ウサギなのか亀なのかはさておき、実直に進むことこそが勝利を勝ち取ることができるのは事実でない

    だろうか。対人援助という仕事は、カメのような実直に前に進むことが大切な仕事であろう。そのことを

    受け入れて、覚悟して実直に一歩一歩前に進むことが大切なのではないだろうか。

     「てぬき」せずに歩き続けることの大切さを実感できることが、対人援助という職業の最も優れている

    部分であろう。このことを胸に刻み込み、懐で温めながら、前進したいものである。

迷歩録   ゆだねる

2016-08-30 14:10:29 | 日記
  台風や  涼しさ運び  抜けて行く  秋への道を  急ぐ木の葉や


                           ひのひら  ろくべえ



    ゆだねる。言葉は簡単だが、行動としては非常に難しい、つまり任せるという事であるが

   人を信用していないと、任せることはできない。つまり、「ゆだねる」ことはできないこと

   となる。「ゆだねる」ことができなければ、個人は自分の考えや、思いで活動することがで

   きない。という事は、指示待ち人間をつくり、指示がなければ動くことができない組織、家

   族、集団をつくってしまう。つまり独裁的組織で、一人一人の人間の自主性は失われてしま

   う。そのことの効率性は少なく、弊害の方が多くなる。子育ての時にも気をつけたいのだが

   教育の場ではもっと気をつけたいことである。自主性というものは、環境によって違ってく

   る。対人援助の場で、特に施設でよくあることだが、スタッフは自主性を取り上げて援助者が

   サポートすることを援助と勘違いしている人が多くいる。援助とは自主性を回復させるサポート

   こそが援助なのに、自主性を取り上げ過剰に介護して、人が足りない、仕事が忙しいと嘆き、

   方針もないままに、走り回っているスタッフ、如何にも一生懸命援助しているように見えるが

   クライアントの自主性を失わせてしまう援助しかできていないという事になる。

    「ゆだねる」大切な援助技術の一つである。「ゆだねる」勇気をもって援助を行うことが

   本質的なクライアントのための援助であることを肝に命じたい。

迷歩録   すりかえ

2016-08-29 09:37:58 | 日記
  つゆ草や  照らす朝日  名残夏  飛び交うトンボ  きらきら星


                             ひのひら  ろくべえ




    人間は様々な「すりかえ」をしながら、精神的安定を護っているための無意識の働き

   なのかもしれない。この「すりかえ」に自ら気がつくことで、精神的にも楽になる場合が多い、

   多くの人が経験してる「すりかえ」例えば学校の試験成績が悪かった時、誰のせいにしましたか

   自分が勉強しなかったことは解っていながらも、親に怒られたりすると、あの先生の教え方が悪

   いからとか、友達が遊びに誘ったから勉強できなかったなど言い訳という形で「すりかえ」自分

   を正当化しようとする。このような状態が「すりかえ」の代表的なパターンなのであろう。

    対人援助の場でも、自分の技術性の未熟、知識のなさは問題としないで、常に言い訳に終始し

   て、「すりかえ」ばかりするスタッフがいる。そのスタッフは「すりかえ」していることすら気

   がついていない。つまり「するかえ」は「すりかえ」でなく、当たり前の日常なのである。

    この日常が続くと信頼性というものが揺らぎ、クライアント、同僚、家族など様々な人からの信

   用というものを失ってしまう。このことが信頼という二文字を失う事となり、言い訳と不振とい

   う、思いを与え、信頼という大切な大切な援助活動には欠かせないものを失う事となる。

    「すりかえ」に気がついて、その「すりかえ」をしてる自分を訂正できることが信頼という所

   にたどり着く、近道なのではないだろうか。

    「すりかえ」多くの人が行う無意識の精神活動、「すりかえ」に気づき、援助技術を向上させた

   いものである。

迷歩録   はなび

2016-08-27 09:21:26 | 日記
       はなび






     夏の夜の、空に絵画か  火薬の匂い

     空をキャンバスに赤青黄いろ

     眺める人や、口を開けて

     夏の世の楽し気な風景

     時には

     花より団子

     出店回り、

     音を愉しむもの

     バッタやこうろぎ

     何が起きたやらてんやわんや

     恋のラブコールの声も打ち消され

     ドーン、ドーン、ぱちぱち

     がやがや、頭上はうるさい

     虫たちの嘆き

     人間様は一夜の一瞬の輝きを目に

     わー凄い わー綺麗、わー素晴らしい

     声を立てる

     暗闇で肩を寄せ合う二人

     素敵、二人で見れて

     二人だけではないのに

     夜の花火、音と光の祭

     一夜だけの、、、、、、、、、、


   

迷歩録   てだて

2016-08-26 14:24:16 | 日記
 strong> 初秋の  風や通り👆  木陰かな  声遠くなり  つくつくぼうし


                         ひのひら  ろくべえ




   「てだて」とは、手段、方法、策略と広辞苑にはある。現代風に言えば、計画という事ではないだろうか

   行政監査のための「てだて」ではなく、毎日毎日繰り返す現実的なケア計画というものを「てだて」と表

   現するのであろう。今対人援助の場で多くの時間を割いて行われている。机上の「てだて」プランそのよ

   うなものができる人が優秀でなく、クライアントと向き合い、その場に応じてけケアを実施できる人が優秀

   な対人援助者という事ではないだろうか。
   
    対人援助過程というものは、いずれの援助も基本的には同じパターンを繰り返す。情報収集、情報分析

   (アセスメント)、援助計画立案、援助施行、施行の振り返り(反省)援助計画の見直し、援助計画の修

   正、新たな情報収集、と終わりなき過程が続く。このすべてを「てだて」というのではないだろうか。

    つまり「てだて」とは対人援助という活動とは切っても切れない言葉なのではないだろうか。「てだて」

   の良し悪しがケアの良し悪しに繋がる。行政監査のためのケア計画ではなく、クライアントのための「てだ

   て」であってほしいものである。

    また監査するほうも、机上の「てだて」がどのように実施されているのかをチェック指導してほしいもの

   である。このことが実現できれば、鹿児島のみならず日本全国の対人援助のレベルが向上するのではないだ

   ろうか。しいては対人援助職の社会的地位の向上にもつながるのであろう。地位向上ができれば、社会も予

   算配分が多くなり、日本の経済傾向を左右することにもなる職業となるのではないだろうか。

    「てだて」は大切な考え方行動であることを肝に命じて取り組みたいものである。