gooブログはじめました!

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

迷歩録   おしむ

2017-10-31 06:59:30 | 日記
  神無月  晦日に届く  霜たより  暖かきお茶  沁みわたるかな


                                  <strong>ひのひら  ろくべえ





    言語的コミュニケーション、言葉の難しさを感じる人も多いのではないだろうか。選挙戦前、希望の党代表の

   排除失言で、大敗をしてしまった話題はマスコミでも取りざたされている。言葉の難しさを象徴する出来事なのかもしれない

   しかし、言葉というもの言語的コミュニケーションを行う時の注意はだれもが感じることなのだが、そのことを実行できる者

   は少ない、それ故に難しいと感じてしまうのではないだろうか。

    言語的コミュニケーションを行う時、言葉の出し方がとても重要であることは知るべきであろう。知識や言葉を知っている

   からと、出し惜しみせず、立て板に水のように出せばいいというものでもない。言葉の出し方に工夫が必要ではないだろうか

   特に重要な伝達や連絡時は伝わり方がどうなのか、確認をするほど慎重でなければならないのが言葉である。

    しかし言葉の出し「おしみ」をしてしまうと、奥歯にものが挟まった言い方となり、伝えたいことが伝わらない、あるいは

   誤解されて受け取られてしまうということにもなりかねないのである。

    その結果、言葉は難しいとか、コミュニケーションは難しいなどの言葉となって、脳にインプットされてしまう。そのよう

   なことにならないためにも、言葉は丁寧に相手に伝わる言葉を選び話すことと、出し「おしみ」をせず、はっきりと伝えると

   言う事が大事である。

    知識も言葉もだし「おしみ」ではなく、出し方が大切、そこにコミュニケーション技術というものが存在するのではないだ

   ろうか。難しいと連発して避けるのではなく、難しいからこそ考えながら経験を繰り返すことが技術向上への近道となんるの

   ではないだろうか。

    コミュニケーション技術を向上させることは、人生にとっても有利な自分を磨くことでもある。

迷歩録   むくわれる

2017-10-30 17:54:29 | 日記
  山里や  木々や彩づき  秋深し  足元冷えて  抜ける青空



                                 <strong>ひのひら  ろくべえ




    コミュニケーション関係の中で、常に相手からは「むくわれる」ことを期待している人がたまにいるが、

   人間関係というものは「むくわれる」ことを期待して行うと、うまくいかないことのほうが多いのではな

   いだろうか。

    対人援助職の場合は特に相手に期待することなく、奉仕的精神をもって、かかわることが求められる。

   この奉仕の精神を、利用する経営者がいることも事実ではないだろうか。特に援助者の奉仕の精神を逆

   なでしたような制度をつくり、残業代を支払わない、認めないと言った対人援助の職場が多いのではない

   だろうか。

    「むくわれる」ことを期待しているわけではないが、労働者としての報酬は毅然と支払ってほしいもの

   である。つまり消費者であるクライアントからの納入された、金額を調整して支払うのは経営者の義務で

   ある。このことを奉仕の精神とは全く別の事、労働者も間違ってはならない。あなたが行うサービスは

   個人として行う事ではなく、組織の一員として行う事、そのことのけじめをつけなければ、サービス残

   業などはもってのほか経営者に利用されるだけとなる。

    「むくわれれる」とは、期待しない事、そのことがとても大切な人間関係の基本、ではないだろうか。

迷歩録   夜明けの台風

2017-10-29 07:44:00 | 日記
            夜明けの台風




      未明に雨が雨戸を叩き

      地面を叩き

      地響きが伝わってくる

      雨戸を誰かが乱打してるように

      次に唸りを上げて風が吹く

      嵐のまっただ中

      空は見えない

      暗闇の中風、雨音だけが

      響き渡る、恐怖をあおる音

      外は真っ暗、夜明け前になると

      白々しくなってくる

      恐怖も緩む

      未明の台風

      通り過ぎながら

      唸りと雨音を置いていく

      何とも週末の台風である。

      

迷歩録   しゅうまつたいふう

2017-10-28 06:58:58 | 日記
        しゅうまつたいふう



    週末台風が来た

    釣りシーズンの台風

    二週にわたって週末

    気持ちが折れる

    海に行けない

    部屋の中で釣竿触って

    台風の過ぎるのを

    羨みながら待つ

    週末台風

    地球のサイクルに物申す

    週末に台風を近寄らせるな

    いくら嘆いても聴いてはもらえない

    諦めるしかその選択はない

    週末の一日は長い

    部屋をうろうろ

    暇に任して口は動く

    体重は増える

    何もいいことはない

    週末台風

    今年もこれで最後にしてほしい

    週末台風

    急ぎ足で通り過ぎてほしいものである

迷歩録   いじめ

2017-10-27 18:10:00 | 日記
  てっぺんや  雲をかぶりて  桜島  朝日を浴びて  煙吐き出す


                                  ひのひら  ろくべえ





    文科省が2016年度の全国の国公私立小中高、特別支援学校調査のいじめ件数が32万件と発表したとのこと。

   格差社会を象徴した数字ではないだろうか。特に小学校では1,5倍に増えたということである。大人の社会構造

   を反映した形での「いじめ」問題、格差が広がれば広がるほど、その社会で生き抜く人の差別感覚は広がるの

   ではないだろうか。

    経済優先の社会では起きるべきして起きることでもある。アベノミクスなどと名を打って進めた経済政策が

   成功して、格差が是正されるのであれば、「いじめ」という行為は減少していくのが当たり前なのに、増えて

   行っているということは、失敗ではないだろうか。

    人間格差が起きれば、当然その格差を根拠とした、差別意識が芽生える、そのことを考えているのか、考え

   ていないのかは不明であるが、「いじめ」という集団の中で起きる社会的強者と弱者という構造をどのように

   打開していくのか大きな問題ではないだろうか。

    つまり社会福祉的考え方を教育の場に導入し、福祉教育を社会科として学習することを勧めるべきではない

   だろうか。人間は常に平等という理念を教育することで、福祉の重要性を中心にした教育を受けることで、福

   祉社旗というものを、夢見ることができるのではないだろうか。

    福祉は、人間尊重が基本、如何なる人も生きる権利、平等であるという事の教育を徹底する必要があるのでは

   人と人の交流は必ず肯定という精神性から始まることや、人間が人間を差別したり排除したり侮蔑することの愚

   かさを教育の場に取り入れ、社会もまたそのような福祉社会を目指すということが大切なのであろう。

    いずれにしても国民的課題として、政治も国民も「いじめ」というものに真剣に向き合う時が来てるのではな

   いだろうか。