曇天に 上を向いて開く 百合の花 新緑縮む 肌寒い初夏
ひのひら ろくべえ
歴史的な米朝会談の時に、テレビカメラがとらえた会談風景、北朝鮮は、トランプ大統領が
「うなずく」場面を多く放送編集していると、日本のマスコミは報じていたが、何も変な事で
はない、自国の代表を優位的に主役にして放送するのは当たり前であろう。日本もそれは同
じことではないだろうか。
日本のマスコミだけなのか、それともどの国のマスコミも同じことなのかは解らないが、
編集者の考え方や、価値観が反映され放送されていることを知らなければならない。公共
のものだが、その平等性は疑わしいのがマスコミ、しかし平等性を取り入れようと努力し
ている過程が見えるマスコミには共感が集まるのではないだろうか。
コミュニケーションにおける「うなずき」は様々な意味を持つノンバーバルコミュニケ
ーションである。その場にて、言語とのつながりを捉えながら相手の言葉、伝えたいこと
を理解する過程の一部なのである。
「うなずく」という行為が意味することは、相槌、了解、聴きとる、納得、など多くの意味
を相手に伝えている。つまり反応であるから、反応を受け取る側がどのように捉えるかが
大切である。「うなずく」行為だけで真剣に聴いているとは限らない。態度と言葉は必ず
しも一致しないのである。
それを北朝鮮では代表が話を聞かせているという優位な立場であることを強調するために
アメリカの大統領が 「うなずく」場面を多く放送したとコメンテーターは行っていたが
あまりにも幼稚な分析なのではないだろうか。
コミュニケーションは、言語的要素と非言語的要素、両方が融合して相手に伝わるもので
ある。そのことを知らなければ、対談の分析などはできない。
軽々に隣国の放送などを見下げるものではないであろう。
戦前の日本はもっとひどい状況だったとも聞く。大切なことは平和という方向に外見上で
あろうとも進もうとしていることに、賛同姿勢をとりたいものである。
平和という船には乗り遅れてはならないのではないだろうか。
コミュニケーションというものは双方向、平等性が最も大切なこと。そのことを踏まえた
上で放送してほしいものである。子供はじめ若年者、国民に多大な影響を与えるのだから。
対人援助の場でも言語的コミュニケーションだけでなく、その場での非言語的コミュニケ
ーションを捉え、総合的に相手を理解する力をつけることが、コミュニケーションの力とい
うことになる。
コミュニケーション力を向上させることが、援助力そのものを向上させることではないだ
ろうか。
ひのひら ろくべえ
歴史的な米朝会談の時に、テレビカメラがとらえた会談風景、北朝鮮は、トランプ大統領が
「うなずく」場面を多く放送編集していると、日本のマスコミは報じていたが、何も変な事で
はない、自国の代表を優位的に主役にして放送するのは当たり前であろう。日本もそれは同
じことではないだろうか。
日本のマスコミだけなのか、それともどの国のマスコミも同じことなのかは解らないが、
編集者の考え方や、価値観が反映され放送されていることを知らなければならない。公共
のものだが、その平等性は疑わしいのがマスコミ、しかし平等性を取り入れようと努力し
ている過程が見えるマスコミには共感が集まるのではないだろうか。
コミュニケーションにおける「うなずき」は様々な意味を持つノンバーバルコミュニケ
ーションである。その場にて、言語とのつながりを捉えながら相手の言葉、伝えたいこと
を理解する過程の一部なのである。
「うなずく」という行為が意味することは、相槌、了解、聴きとる、納得、など多くの意味
を相手に伝えている。つまり反応であるから、反応を受け取る側がどのように捉えるかが
大切である。「うなずく」行為だけで真剣に聴いているとは限らない。態度と言葉は必ず
しも一致しないのである。
それを北朝鮮では代表が話を聞かせているという優位な立場であることを強調するために
アメリカの大統領が 「うなずく」場面を多く放送したとコメンテーターは行っていたが
あまりにも幼稚な分析なのではないだろうか。
コミュニケーションは、言語的要素と非言語的要素、両方が融合して相手に伝わるもので
ある。そのことを知らなければ、対談の分析などはできない。
軽々に隣国の放送などを見下げるものではないであろう。
戦前の日本はもっとひどい状況だったとも聞く。大切なことは平和という方向に外見上で
あろうとも進もうとしていることに、賛同姿勢をとりたいものである。
平和という船には乗り遅れてはならないのではないだろうか。
コミュニケーションというものは双方向、平等性が最も大切なこと。そのことを踏まえた
上で放送してほしいものである。子供はじめ若年者、国民に多大な影響を与えるのだから。
対人援助の場でも言語的コミュニケーションだけでなく、その場での非言語的コミュニケ
ーションを捉え、総合的に相手を理解する力をつけることが、コミュニケーションの力とい
うことになる。
コミュニケーション力を向上させることが、援助力そのものを向上させることではないだ
ろうか。