gooブログはじめました!

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

聴くこと

2014-06-30 16:49:49 | 日記・エッセイ・コラム

                                 Img_1732
梅雨休み  空一面に  厚き雲  爽やかき風  木立を揺らす
                                         ひのひら  ろくべえ



  
  人間のコミュニケーションの特徴に言葉を使うという事がある。

  コミュニケーションに言葉を使用するのは多くの動物の中でも、

  人間だけであろう。これを言語的コミュニケーションという。しかし

  言語的コミュニケーションには、誤解もあるのではないだろうか。

  言葉は、同国民同言語で、通用するという誤解、この誤解は、殆

  どの人が持っているという風に感じる。例えば家族内で、言葉が

  通じなかった経験はないだろうか。友人との交流で勘違いされた

  経験はないだろうか。言葉というものはその伝わり方は、常に大

  まか、アバウトにしか伝わらないことを知っておく必要があるので

  あろう。そうでなければ、そうではなかったのに、私の言いたかっ

  たのは違うといったことが日常の中で起きてしまう。このような小

  さな出来事が重なり、あなたは解らない人などとレッテルを張られ

  たり、説明がへたくそなどとレッテルを張られたりもする。自分的

  には一生懸命なのに人間関係がうまくできないという、ジレンマに

  陥り、引っ込み思案になったり、自閉的になったりすることで、社会

  活動や学校活動を停止することにもなりかねない。もとは言葉とい

  う共有できる価値観をうまく活用できないことに端を発しているのか

  もしれない。毎日の仕事が嫌だとか、人間関係が鬱陶しいと思うの

  もそのせいなのかもしれない。

    言葉は個人で価値観も使い方も違い、それぞれ個としての使い

  方をしていることを解ることからスタートである。

    対人援助職は、「聴き上手、話し上手は技のうち」このことが

  うまくできないと、対人援助職は成り立たない。特に聴くという作業

  であるが、ただ単に聴くという事だけではない。相手が何を伝えた

  いかのか、聴きとる力がいる。ここで大切なのは、この「とる」という

  力である。聴いてるのではなく「聴き取る」これこそが技なのであろう。

  このことがスタートにある。このことをさらに発展させると、読み取る

  という事がある。読むんではない、観るんではない、読み取る、観て

  取るということが大切なのである。この「とる」という事ができるかで

  きないのか、これがプロとアマチヤの境目なのではないだろうか。

  「聴き取る」ことができる。「読み取る」ことができる「観とる」ことが

  できる。これこそがコミュニケーションなのではないだろうか。単純に

  話す、聴くという事だけが言語的コミュニケーションではないことだけ

  は、肝に命じて仕事というものを実行したいものである。まずは身近

  な関係の人から実行して、コミュニケーション力をつけよう。


パーソナルスペース

2014-06-29 19:27:09 | 日記・エッセイ・コラム

                                1_img_0902
  梅雨空に  太陽の顔  草取りに  木陰休息  雀蜂かな
                                        ひのひら  ろくべえ


    

     長雨の途中で、青空のぞき、このチャンスとばかりに

  草取りにチャレンジ、草の山はなかなか減らず、体は暑

  さと、疲労で限界に、木陰で休息をと腰を下ろすと、そこ

  には大きな雀蜂が、ご挨拶とばかりに、ブーンとやってく

  る。歓迎ではなく縄張りを犯すなとの警告であろう。

    雀蜂のパーソラルスペースに無断で入り込んでしまっ

  たらしい。申し訳ないとすぐさま退散する。雀蜂も人間も

  同じ、パーソナルスペースという自分の縄張りを持ってい

  る。雀蜂などはそのスペースが意外に広いが、人間は集

  団の動物が故に意外に狭い。例えば電車の中の吊り輪の

  真下とか、自分が座っている椅子の周りなどスペースを

  その時その時の場所や状況に合わせて持つことが解って

  いる。例えばベットの上だったり、自分の部屋だったり、

  様々である。しかしそこには、列記としたパーソナルスペー

  スが存在する。そのことを対人援助者は知ることは基本の

  基本である。そのことが個人を尊重、尊厳するという事なの

  であろう。人という動物は明らかにしないが、深層心理的に

  は、パーソナルスペースが脅かされることを、非常に嫌う、こ

  の嫌う感情を知らず知らずのうちに傷つけることがあるので

  要注意である。如何なる関係であろうと、このパーソナルス

  ペースを尊重し合う関係を意識しなければならないのであろう。


自然は凄い

2014-06-28 19:28:32 | 日記・エッセイ・コラム

                                  Img_2047

  豪雨の後  晴れ間覗きて  草取りに  暑さ襲いて  力抜けるや
                                           ひのひら  ろくべえ


   
 南九州は、凄い豪雨であった。バケツをひっくり返し

  たとはこのことか、と、思えるほどの雨が一昼夜続いた。

  ただただひたすら降り注ぐだけ、手も足も出ない、天を

  仰ぎ、雨の降る音を聞き入るのみ、人間というものは

  自然にとっては無力に等しいことを改めて思い知らされ

  た。今更ではあるが、自然と言えば人間もまたその一部、

  予測をすることは困難であったり、突然思いもよらない

  行動をしたりするのもまた、納得できないだろうか。

  いつも理屈で動いていたり行動しているわけではない、

  天気と同じように、その時々で違う。これは人間を知る

  上では大きな事であろう。人間とは天候と同じ予測や

  理論が通用しないことが殆どという事を肝に命じたもの

  である。


教学相長

2014-06-27 16:33:23 | 日記・エッセイ・コラム

                                    1_img_0963
  五月雨に  一夜一尺  西瓜蔓  打たれて強く  実をつけるかな
                                         ひのひら  ろくべえ





    
人に物事を教える立場の人はこの世の中、立場変われば

  人も変わるというくらい、その時その時で、教えられたり、教

  えたりという事を繰り返している。大切なのは教える立場の

  時、どれだけ教えられるかという事ではないだろうか。常に

  教える側が優位で憂愁ではない。それ故自ら学ぶという姿

  勢を忘れないことが大切なんのであろう。

   「教学相長」という言葉がある。これは人に教えることと

  人から学ぶことは互いに作用し合うものである(広辞苑より)

  という言葉らしい。確かに教える立場とか、指導する立場に

  なると、すぐに学ぶという事を忘れてしまい、教えてやってる

  指導してやってるなどと傲慢な姿勢をとりがちだが、この姿

  勢こそが、自らの人間性を陥れるものとなるのではないだろ

  うか。「実るほど頭を垂れる稲穂かな」ではないけれど、教え

  る者ほど、学ぶというモデルでなければならないのではない

  だろうか。つまり我が身を持って「学ぶ」という伝道師となるこ

  とが必要なのであろう。特に対人援助職の養成をしている先

  生がた、自らを常に問い、介護職とは、福祉職とは、教育職と

  は、医療職とはを問いながら、学ぶという姿勢を伝授してほし

  いものである。ややもすると、経験や知識を振りかざし、自分

  が一番などと言う雰囲気を作り出していないだろうか。人とか

  かわるという事は、その雰囲気は百害あって一利なしである。

  ヘルパーという仕事は、人とかかわることが基本の仕事である。

  そのことを養成の時から学ぶことが必要であろう。このことは

  言葉だけでなく、先生一人一人が自らモデルとなって、姿勢、態

  度を見せ学んでもらうしかないのである。という事は常に自己意

  識を高め「教学相長」の姿勢を持ち続けることで、クライアントか

  ら学ぶという姿勢を学び取ることができるのであろう。

   そうなることで、精神的にも「水魚之交」つまり、水と魚の関係と

  いうものを築けるのではないだろうか。

   精神関係は生きてる限り永遠なのである。大切にしたいもので

  ある。


二律背反

2014-06-26 16:59:27 | 日記・エッセイ・コラム

                                 1_img_0910
  雨褒美  芽を出し伸びる  胡瓜たち  胸を躍らせ  おはら節かな
                                            ひのひら  ろくべえ


   人間の心というものは、複雑なものだ、その証拠に、表現

  された言葉を素直に聴きとると、とんでもないことになること

  だってある。例えば高齢者がよく使う「大丈夫」という言葉、

  本人はそのように感じているから使う場合と、周りに迷惑を

  かけたくないから使う場合と二通りも三通りも意味がある場

  合がある。そのことを理解せずに、本人が「大丈夫」と言った

  からなどと、大事が起きてから言い訳してももう遅い。そんな

  ことにならないためにも、人間は「二律背反」する心理を持っ

  ていることを知っておく必要がある。つまり、同等の妥当性を

  持って主張される二つの命題が、矛盾、対立して両立しない

  こと(広辞苑より)これを「二律背反」というらしい。

   心理学の中にもアンビバレンツという言葉がある(両価性)

  という心理、人間は様々な心の葛藤を生じながら、物事を表

  現しているという事であろう。だから言葉だけを聞いたから、

  その言葉がその人の心理全てを現しいるのではなく、言葉と

  ともに現れる態度や姿勢を見ることで、その人の人間性とい

  うものを、うかがい知ることができる。そういった能力こそが

  対人援助職に求められる能力であり、言葉巧みに相手を説

  得したり、支配する事、審判する事、道徳観を押し付けるこ

  と、社会規範を押し付けることなどが仕事ではないという事

  であろう。いずれにしてもエンパワーメントの発見、開発に

  力が注がれるべきが、対人援助職の真の姿なのであろう。