梅雨休み 空一面に 厚き雲 爽やかき風 木立を揺らす
ひのひら ろくべえ
人間のコミュニケーションの特徴に言葉を使うという事がある。
コミュニケーションに言葉を使用するのは多くの動物の中でも、
人間だけであろう。これを言語的コミュニケーションという。しかし
言語的コミュニケーションには、誤解もあるのではないだろうか。
言葉は、同国民同言語で、通用するという誤解、この誤解は、殆
どの人が持っているという風に感じる。例えば家族内で、言葉が
通じなかった経験はないだろうか。友人との交流で勘違いされた
経験はないだろうか。言葉というものはその伝わり方は、常に大
まか、アバウトにしか伝わらないことを知っておく必要があるので
あろう。そうでなければ、そうではなかったのに、私の言いたかっ
たのは違うといったことが日常の中で起きてしまう。このような小
さな出来事が重なり、あなたは解らない人などとレッテルを張られ
たり、説明がへたくそなどとレッテルを張られたりもする。自分的
には一生懸命なのに人間関係がうまくできないという、ジレンマに
陥り、引っ込み思案になったり、自閉的になったりすることで、社会
活動や学校活動を停止することにもなりかねない。もとは言葉とい
う共有できる価値観をうまく活用できないことに端を発しているのか
もしれない。毎日の仕事が嫌だとか、人間関係が鬱陶しいと思うの
もそのせいなのかもしれない。
言葉は個人で価値観も使い方も違い、それぞれ個としての使い
方をしていることを解ることからスタートである。
対人援助職は、「聴き上手、話し上手は技のうち」このことが
うまくできないと、対人援助職は成り立たない。特に聴くという作業
であるが、ただ単に聴くという事だけではない。相手が何を伝えた
いかのか、聴きとる力がいる。ここで大切なのは、この「とる」という
力である。聴いてるのではなく「聴き取る」これこそが技なのであろう。
このことがスタートにある。このことをさらに発展させると、読み取る
という事がある。読むんではない、観るんではない、読み取る、観て
取るということが大切なのである。この「とる」という事ができるかで
きないのか、これがプロとアマチヤの境目なのではないだろうか。
「聴き取る」ことができる。「読み取る」ことができる「観とる」ことが
できる。これこそがコミュニケーションなのではないだろうか。単純に
話す、聴くという事だけが言語的コミュニケーションではないことだけ
は、肝に命じて仕事というものを実行したいものである。まずは身近
な関係の人から実行して、コミュニケーション力をつけよう。