gooブログはじめました!

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

迷歩録   ひびき

2016-09-30 14:17:22 | 日記
  白雲や  秋桜揺れ  暑さかな  汗や滲むよ  神無月前


                           ひのひら  ろくべえ



   人と人がかかわる時、そこには何かの響き合うものが存在するほうが、コミュニケーションは発展

  しやすい。当たり前と言えば当たり前だが、この当たり前をなかなか実行できない。実行できない

  ことの理由を相手に求める人は、一生できないであろうが、自分の方に原因を求め改善を試みる者

  は、「ひびき」という単語が手に取るように理解できるのではないだろうか。

   相手の心に「響く」コミュニケーションを行う時大切にしなければならないことがある。、まず

  一番に、信用という問題である、最初から嘘っぽいと感じる人との交流は、真剣とならないばかり

  か、まず話を聴こうとはしない。次にそのことにたけてる人という事になる。つまり専門性だが、

  この専門性も、専門的言葉を知ってるという事ではなく、専門性を如何に相手にわかるように、か

  み砕き話ができるかという事が大切ではないだろうか。

   さらには信頼性つまり物事に取り組もうとする姿が、真摯的であり、相手の得を優先させること

  ができることが大切ではないだろうか。このような三つの要素を取り入れながら、かかわりを持つ

  ことができれば、初対面であろうと、相手の心に「ひびく」かかわりを持つことができるのではな

  いだろうか。

   コミュニケーションが苦手な人とか、うまく行かない人というものは、この法則を無視して、自

  分の立場の保守傾向が見え見えになったり、自分を大きく演出しようと無意識に行動する人は、本

  気度が見えないため、相手は口だけの人、本当のことを解ってくれない人、などと位置づけ、話を

  聴かなくなってしまう。そうなるとコミュニケーションはビジネス的に進むだけで、人間対人間の

  関係ではなく、仕事上の言葉という捉え方をされてしまう。そのことが後々のコミュニケーション

  に発展することはなく。当然信頼関係とは程遠い関係となってしまう。

   「ひびく」大切な単語である。人間関係の始まりは「ひびく」関係を如何に演出できるかが大切

  である。心にある思いを行動にすることで「ひびき」は変わるのではないだろうか。

  

迷歩録   おかしい

2016-09-29 12:52:47 | 日記
    目を開けて  空を眺める  オレンジに   山河草木  染めて行くかな


                                 ひのひら  ろくべえ




     マスコミの話題は横浜で起きた点滴事件に終始している。医療機関で起きてはならないことが起きた

     体内に入れる点滴に入ってはならない界面活性剤が混入していたという事件である。この事件について

     インタビューに答えている病院関係者の管理意識が不思議でならない。つまり管理意識とは、いつもと

     違う。なにか「おかしい」という感覚から発見されることが多いのであるが。多くの死亡者を出してる

     にもかかわらず、病死としてかたずけてしまっている。病気による死亡なのか、そうでないのか医師の

     診断能力は如何なものであろうか。何か「おかしい」という感覚がもう少し早くに」働いていれば、死

     亡者を出さん無くても済んだのなのかもしれない。

      なにか「おかしい」とは通常では起きないことが起きているという感覚であるが。事件が起きるまで

     に、通常起きない出来事が、起きていたと聞く、その時点で何故、院内での問題提起や院内捜査委員会

     など危機管理、リスクマネージメント部門が活動しなかったのか不思議である。このような活動は、何

     もなくて当たり前だから、何も起きなければ評価されることはないので疎かにされがちだが、最も大切

     な委員会のはずである。医療安全委員会なども設置されているはずだが、機能はしていなかったことが

     透けて見える。対人援助の場ではなにか「おかしい」という感覚は、最も大切な感覚、この感覚を大切

     にする医療現場でなければならない。何か「おかしい」などと問題提起すると、あんたが「おかしい」

     などと、揶揄する組織なども存在する。

      医療にかかわらず、対人援助の場での援助者など関係者のなにか「おかしい』は大切に取り扱う姿勢

     がなければ、人の命は守れないという事を知らしめる事件である。

      お金にはならない、保険の対象でもないしかし、なにか「おかしい」を大切にする組織こそが本当の

     対人援助を目指しているのかもしれない。

      派手な活動だけではなく、地道ではあるがコツコツとスタッフの能力を大事にして、その発言を取り

     入れる受け止める能力のある組織でなければならないのではないだろうか。事件の起きる場にはその場

     なりの問題が存在していることを国民はしっかり見つめておく必要があるのではないだろうか。

迷歩録   なわばり

2016-09-28 13:09:07 | 日記
  朝靄に  浮かぶ高隅  島ごとし  神羅万象  物音たてず


                           ひのひら  ろくべえ


    地球上のすべてのものに、縄張りは存在する。テリトリーである。人間の場合は、パーソナルスペース

   と呼ばれる部分である。このパーソナルスペースを対人援助の中で考えてかかわりを持とうとする人は少

   ないのではないだろうか。

    パーソナルスペースには、親密ゾーン、対人ゾーン、社会的ゾーン、公的ゾーンなどが存在する。この

   ことを知ってか知らずか、対人援助者はいきなり、親密ゾーンに裸足でずかずかと入ってくる。誰もパーソ

   ナルスペースに受け入れるまでには時間がかかる。この時間を飛び越えて親密ゾーンに突然入り込んでくる

   必要最小限の関係の中での出来事、相手の戸惑いなどを考慮することが、大切だがそのような配慮のある所

   は数は少ないのではないだろうか。

    対人援助の場はそういった意味では、人間のコミュニケーションプロセスを飛び越えて関係性をつくると

   いう事が、当たり前になっている場である。それだけに丁寧に時間をかけて関係性をつくるという事を意識

   しながら、コミュニケーションを行わなければならない。今、起きてる点滴殺人なども対岸の火事ではない

   日本全国の対人援助の場で、危機管理という観点から、リスクマネージメントをしっかりと検討する必要が

   あるのではないだろうか。

    人間の縄張りは目に見えない、精神的なわばりの部分が大きい、最低限如何なる職業であろうとも、最初

   の出会いは、自己紹介から始めたいものである。対人援助の場はとかく援助者側が上から目線となることが

   多い。この上から目線が、パーソナルスペースを無視した言動の根源となることが多いのではないだろうか。

   その延長線上に、援助してやってるという感覚、仕事だからという感覚などが存在するのではないだろうか。

    人の「なわばり」自分の「なわばり」相手の「なわばり」チームの「なわばり」、組織の「なわばり」な

   ど様々な「なわばり」の中で人間は日常生活をして生きていることを意識して援助という活動を行いたいも

   のである。


迷歩録   しょうけい

2016-09-27 09:32:02 | 日記
  秋の空  覆い垂れ込む  鉛色  暑さ遠のき  すすきの御辞儀

                     ひのひら  ろくべえ



     憧憬とは、憧れの事、憧れとは幼少期の出来事ではない、いくつになろうとも

    憧憬を持ち、そのことをかなえようと、活動するその活動性こそ、生きるという

    動機を触発するものではないだろうか。ケアに行き詰っている人、良く情報取集し

    て、クライアントの憧れているものは、どのようなものかを知ることがとても大

    切で、その憧れを共に満たそうとかかわることが、そのクライアントの満足度を

    満たし、ケアとしての充実観を満たすことにもなるのではないだろうか。

     ケアをする側のの憧れを持つという事も大切な職業動機付けともなる。例えば

    ソクラテス、ピネル、呉秀三、森鴎外、ナイチンゲール、トラベルビー、など歴

    史上の人物だったり、現在活動している有名人だったりするのであろう。ビルゲ

    イツに憧れている人は、今の若者に多いと聞く、いずれにしても憧憬を持つとい

    う事は、自分を磨く上での基本的価値観となるであろう。さらにはケアする上で

    の、援助者、クライアント両者の動機付けにもなる。憧憬という価値観を活用し

    ないというてはない。

     自分、相手、チームメイト、友人、両親、兄弟、姉妹など様々な人の憧憬を知

    る、そのことを人間関係性に活かす、活用することを技術として獲得すれば、対

    人援助職の技術のほとんどをクリアーしたことになるのではないだろうか。

迷歩録   ぜんしょう

2016-09-26 11:20:51 | 日記
  風の波  乗りて遊ぶ  蜻蛉かな  黄金の郷を  見守る案山子

         
                   ひのひら  ろくべえ





    昨日豪栄道が、全勝で見事優勝を遂げた、素晴らしい成績である。スポーツの世界では勝敗がすべて

   その点解りやすい。しかし人生では全勝という事はほとんどないのではないだろうか。人生はいつも五勝五敗

   それが人生というもの。今、目前にある苦しいことも、うまく行かないことも五敗の内、五勝は気づかないま

   まに、通り過ぎているのではないだろうか。

    人生で全勝という事があるとするなら、どのような事だろう、想像する事すら困難である。五勝五敗の人生

   をどのように生きるかは、自分自身の問題と、運命という問題が存在するのではないだろうか。いずれにして

   も、自分の人生、他者の人生いずれも五勝五敗の人生であることを知ることは、ケアをする時一つの考え方の

   基本となるのではないだろうか。

    全勝が基本でなく、五勝五敗が基本、全勝は宝くじに当たったようなもの、しばしばあるものでもないし、

   また無理なこと、そのことを求めるのでなく、五勝五敗から、六勝五敗、七勝五敗として行く姿こそが、他

   者からの共感を誘うのではないだろうか。

     目の前のクライアントの五勝五敗の人生をさらに六勝五敗、七勝五敗の人生へとサポートするのが対人

   援助者の大きな役割ではないだろうか。間違ってはいけない、クライアントの人生を五勝六敗、五勝七敗に

   することではない。その点はいつも脳裏に刻み込んでいなければならないのであろう。

    全勝ではない、五勝五敗からスタートすることを知りたいものである