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迷歩録 だんな

2020-01-31 13:15:32 | 日記
  晴天に  陽射を受けて  白菜や  膨らみまして  収穫を待つ

                                   ひのひら  ろくべえ


    今日はとてもいい天気、空いっぱい青空となり、燦々と陽射しが降り注ぐ大隅半島である。

   畑の白菜、キャベツたちも、久しぶりの陽射に笑い声をあげて喜んでいるようである。

    今日はだんな様という言葉にとらわれてみた。だんなとは、漢字では檀那、あるいは旦那と

   書く、この言葉の意味は布施とか、仏家が財物を施与する信者を呼ぶ語だそうな、つまり仏教

   語ということになる。しかし、現代はお金持ちのイメージであったり、妻が夫を呼ぶときに使

   う言葉となっている。つまり、言語のルーツよりも時代の変化で言葉も変わるという事

   ではないだろうか。

    言語的コミュニケーションというものはこの時代と言葉の意味に大きく影響を受けていると

   いう事でもある。この基本的な事を理解していないと、誤解や間違いというものを犯してしま

   う。そのことで信頼を失うことにもなりかねない。信頼が取れなければコミュニケーションの

   プロセスは失敗という事になってしまう。

    言葉は時代と共に変化することを理解して、言語的コミュニケーションを図りたいものである。

迷歩録 いわし

2020-01-30 12:44:28 | 日記
  雨やんで  淡い薄日に  椿かな  紅く微笑み  目白を招く

                                ひのひら  ろくべえ


   夜更けに降りだした雨は、夜明け前には降りやみ、微かな青空を見せ、淡い日差しを

  届けてくれた。その光に椿の花が照らし出され、椿姫でも現れるのではといった光景の

  朝であった。しかし、昼頃には雲が空を覆い、今にも雨が落ちてきそうなそんあ天気と

  なってしまった。大隅半島である。

   間もなく節分も近い、町のスーパーなどでは、恵方巻のコマーシャルが目立つ、節分

  と言えば、鰯の頭である。鰯の頭と柊の枝、この組み合わせが邪気の侵入を行うとされ

  てきた迷信である。

   しかし鰯と言えば、鰯の頭も信心からという、諺が有名である。たとえどんなにつま
  
  らないものでも信心のしかたしだいで、尊くありがたいものになるという事らしい、

   人間もつまらない人間などいるはずがない、どのような人であっても存在する意味が

  ある。その意味こそが大切ではないだろうか。迷惑をかけている人はそれだけ人を助

  けている人でもある。

   介護が必要な人は介護費用を支払うことで、介護者の生活を支援していることになる

  このように社会は持ちつ持たれつの関係で成り立っていることを理解したいものである。

   鰯の頭に限らず、石ころだって役にたってることを知りたいおのである。

迷歩録 絵画

2020-01-29 12:38:50 | 日記
  脆弱に  陽射差し込む  睦月まつ  梅や開いて  目白や遊ぶ


                               ひのひら ろくべえ

   今日は、少し弱めであるが陽射しが届いている。気温は低くはだ寒さを感じる。久方の太陽を

  眺め、眩しく感じる強さ、どことなく春の足音が近づいている感じはする。冬はとかく、屋内で

  過ごすことが多くなる。そんな時間は絵画などを楽しむのも一つの方法なのかもしれない。

   特にコミュニケーションの材料として絵画を利用するのは効果的なのかもしれない。有名画家の

   作品だけでなく、自分んで描いたものでも十分である。そのことをきっかけに、相手との会話を成

   立させていく、そのようなテクニックもコミュニケーションには必要なのである。会話という現

   象を創り出すことによって、自分という存在を相手に知らせ、相手の理解をしていく、そのよ

   うな行動こそが、コミュニケーション技術なのであるが、形や方法にこだわっていると、上手く

   行かないことが多い。そうではなく、ありとあらゆるものを活用して、相手を知りたい、理解し

   たい、そして信頼関係をつくり、相手のために役に立ちたい、そんな思いが重要な要素なのかも

   しれない。

    周りにある絵画を利用してコミュニケーション技術を高めたいものである。

    

迷歩録 狭き門

2020-01-28 12:15:13 | 日記
  風止んで  静かなる庭  目白きて  早春息吹き  陽射中にも


                                   ひのひら  ろくべえ

     昨日の雨風雷は、夜半にはおさまり、静かな夜であったが、その前の風の被害で庭は

    様々なものが飛んでいて、午前中はその片付けについやしていた、それほどの風であったと

    いうことである。

     今日は風はおさまり、雨も降ってはいないが、陽射しはなく曇天の冬日和といった感じの

    南九州である。

     大学や高校、中学受験の子供たちは、これから狭き門をかいくぐって目指す

    志望校へと進むのであろうが、狭き門とは進学の時の入試だけではない、人生すべてが狭き

    門と言っても過言ではない、大人になって何を目指してもそこは狭き門を通らなければ行き

    つけない。それが達成というものではないだろうか。

     単純に狭き門を考えていると、その門は増々狭き門となってしまう。重要と考え自分の

    目の前の問題をクリヤすることを心がければ、自ずと目の前の門は広き門となっていくのか

    もしれない。狭き門と考えれば辛いが、広き門と捉えればそこには、気楽さも生まれる。

    いずれにしても、自ら狭き門に何事もしないことが大切、やることをやって、後はケセラセラ

    天命を待つそれでいいのではないだろうか、何事も

迷歩録 出処進退

2020-01-27 12:48:19 | 日記
  睦月末  空に轟く  雷鳴や  蕾目覚めて  庭を彩る


                               ひのひら  ろくべえ


    一月の空に轟く雷、南九州は昨日から大荒れの天気、雨風雷、外にも出られないほどの

   荒れた天気となった一月の最終の週、部屋の閉じこもりテレビ、炬燵とお友達。

    ニュースでは隣国から始まった肺炎の話題で持ち切りである。中国の邦人が出国できない

   状況もあるらしい。人間自由というものが制限されると、パニックとなりやすい。冷静に行動

   しなければと解ってはいるのだが、できない心理状況となる。後に考えるとなぜあんなことを

   してしまったのかと悔やむことになりかねない。そんな決断を迫られることは一度や二度はある

   出処進退の決断をしなければならない時である。職業を変える時、職場を変える時、今の立場を

   帰る時、責任を取らなければならない時、様々な場面で出処進退を決めなければならない時、人

   間は何を基準に自分の行く道を決めるのであろうか?

    どのような時も基本は、自分で決めて自分の決めたことに自分が責任取ることであろう。人の

   せいにしないことが大切な事だが、国会議論を見ていると、政治家は責任を取らず人のせいにする

   言い訳をするということが仕事と勘違いしているのではと感じる。そのような政治家は出処進退も

   自分では決断せず、他者のせいにするのであろう。そのような姿勢は子供たちに無意識に影響する

   事も知らずに、教育論などを述べないでほしいものである。

    いずれにしても出処進退は、早い決断が有効的ではないだろうか。