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解釈

2014-01-31 18:28:16 | インポート

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  雨の後  生駒霞て  寒さかな  梅花開き  近づく歓喜
                                        ひのひら  ろくべえ


 
    「夏下冬上」という四字熟語がある。これは炭火を起こす時の

   教えで、夏は種火を炭の下に置き、冬は種火の上に置くという

   ことを意味しているらしい。先人の知恵である。しかし今の時代

   あってない言葉となろうとしている。アウトドアを好きな人でも、し

   らないのかもしれない。しかしこの言葉を人間世界に置き換えて

   見ると、どのようになるだろうか。夏は暑い、つまりテイションが高

   い人とすると、そのような人とかかわる時は、下からかかわる方が

   良いという事にもなる。つまり低姿勢でかかわることが、良き結果を

   もたらすことに繋がると考えることもできる。

     次に冬である、冬を人間に置き換えると、テイションが低くなって

   いる人という事もできよう、このような人とかかわる時は、上から見

   守るように、徐々に上から暖める感じでかかわるという事になるだろう。

   つまり、人とのかかわりを教えた四字熟語という事にもなろう。

   言葉とはそういうものではないだろうか。四角四面の解釈だけ

   でなく、自分なりに解釈を広げていくことも、またいいのではな

   いだろうか。既成概念だけを正しく捉える狭義の理解でなく、

   広義に捉える理解も許されることを、望たいものである。

   

     



   

    


氷雨

2014-01-30 18:33:43 | 日記・エッセイ・コラム
                               

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氷雨ふる  大地の肌を  潤すや  乾きを止める  神の言伝
                                         ひのひら  ろくべえ



   
 インフルエンザウイルスにとっては、恵みの雨ではなく、

 嫌な雨だろうが、人間にとっては恵みの雨、インフルエンザ

 ウイルスは湿度に弱いと聞く、そのため部屋の中に洗濯物

 を干すのも効果的だと聞いたことがある。という事は乾燥が

 大好きという事になるだろう。氷雨というぐらい、冬に雨が降

 れば、冷たく感じる。当たり前だが、その雨だってすべてが

 マイナスなことばかりではない、マイナスだけを捉えてしまうと

 憂鬱にもなりかねないが、プラス面を少しでも知ることで、ある

 いは、考えることで、時にはマイナスが嬉しい出来事にだって

 変化する。

   マイナスは限りなくマイナスではなく、マイナスの時もあれば

 プラスにも変化することがあることを、信じながら生きていたい

 ものである。

   冷たい雨も捉えようで、あたたかい雨となりうる。 

 


「きく」

2014-01-29 18:29:59 | 日記・エッセイ・コラム

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   将軍や  寒さの手綱  ゆるめたり  南島より  足音響く
                                         ひのひら  ろくべえ


   人間のコミュニケーションは、きくことから始まるが、どのようにきくか

  で、きくことが変わる。門構えの聞くであれば、なんとなしに音を捉え

  自分勝手に聞きたいことだけ

を聞くという事になるから、主役はあくま

  でも自分である。しかし、聴く変わると、主役は話す側になり、聴く人は

  ひたすら、集中して聴くという事に専念することになる。

   耳を十四の心を持ってきくとも表現される。さらには訊くである、言葉を

  挟みながら訊くという事になると、適度な質問をしたり、相槌を打ったり

  しながら訊くという事に発展する。たかが「きく」であるが、されど「聴く」

  「訊く」である。対人援助職を行っているものは、このぐらいは理解して

    いたいものである。「きく」とは単純ではなく奥深いものであることを

  心して、援助に役立てたいものである。



    






     


 くち 

2014-01-28 16:03:24 | 日記・エッセイ・コラム

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    花咲いて   季(とき)の手綱だれが持つ  緩めて引いて  春めいていく
                                           ひのひら  ろくべえ



    
  口をキーワードに諺辞典を引いてみると、様々な諺が出てくる。

  口というところが人間関係に大きくかかわっていることが、よくわかる。

  例えば「禍は口から出る」「口は禍のもと」「口に関所なし」など戒める

  諺のほうが多いようである。その中にあっても「口と財布は絞めるが得」

  というのがある。つまり、口は禍の元、喋ることは最小限に、無駄使い

  せずに、暮らすことが得があるという教えだそうな。確かに言葉という

  ものは、自分に禍ももたらすが、得ももたらす。どちらを選ぶか自分

  次第。喋ることが当たり前になってる人は、気をつけなければ、つい

  つい、言わなくていいことまで、つい喋ってしまう。一人の人に喋ると

  いう事は、世間に流布したことになる。そのことがまわりまわって、

  とんでもないことを自分にもたらすことにもなりかねない。

 

   口という人間の機能が、自分自身を追い込むことにもなりかねない。

  「人の口には戸はたたぬ」「口自慢の仕事下手」などまだまだある。

  口という機能と言葉という道具が重なった時、弊害を起こすことも

  ある。「口は閉じておけ、眼は開けておけ」このことが諺としてはいい

  つまり、必要以上に喋らず、眼をしっかり開けて物事をとらえる力を

  持ちなさいと言う事であろう。喋らなければならない所では、しっか


  り喋り、喋らなくていい所では、口を慎む、当たり前のことであるが

  なかなか実行できない。対人援助の場は、人間関係の渦の中、そ

  こでの、口はとても大切、心して口を使いたいものである。

  

  

  



    


2014-01-27 15:08:35 | 日記・エッセイ・コラム

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    寒き朝  香り届けし  蝋梅や  黄色い我が身  陽に透かすかな
                                             ひのひら  ろくべえ





    
 「握れば拳、開けば掌」という言葉がある。

  同じものであっても、気持ちの持ち方、受け取り方で、自分の

  生き方までもが変化することがある。

    この「握れば拳、開けば掌」という言葉もそんなことを現して
 

  いるのではないだろうか。

     人といううものは、視えるものを、どのように捉えるかという

   脳によって、その価値観は変化する。そんな曖昧な価値観を大

   声あげて護ることが必要なのか、どうなのか、不思議に思うこと

   がある。自分の価値観は自分の価値観、他人が形成した価値観

   ではないのである。当たり前のことではあるが、時に人間は他人の

   価値観の中にいて、そのことを護ろうと、必死になっている時がある。

   そんな自分に気づいたとき、なんだか羞恥心が働き、恥ずかしい

   思いに駆られる時がある。人というものは、他人の価値観なのか

   自分の価値観なのか、わからない時が多いのであろう。

     先ほどの言葉「握れば拳、開けば掌」という言葉も、たかが手のこと

   と感じるか、されど手のこと、さらには価値観のことと感じるかで、随分と

   変わってくる。大切なのは自分はどのように思い、考え、感じるかという

   ことではないだろうか。手は万能の道具、手あればこその知能、という

   こともできよう。その深き価値観を噛み締め生きていたいものである。