gooブログはじめました!

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

迷歩録  組織

2015-09-30 15:38:09 | 日記
  小ぬか雨  濡れた稲穂や   艶やかに

         雀遊びて  田んぼ賑やか




        ひのひら  ろくべえ




   

   組織というものは大小さまざまあるが、その構造はどの組織も同じであろう。つまり組織というものは

  集団という単位ではないだろうか。この集団が病気のものから健康な集団まで存在する。不健康な集団は

  病気となり、さらには事故というリスクを大きく抱えてしまう事になる。組織とは人の体に似たりではな

  ないだろうか。それ故にその組織にかかわるものは、その組織の健康度を把握している必要があるのだろ

  う。身体で大切なのはまずは生命の源、心臓であろう。その心臓は組織の中ではだれなのか、自意識は勿

  論、すべてのかかわる人が意識している必要がある。その次にそこから流れ出る血液によって組織の隅々

  まで情報が届く、その血液を運ぶ血管が大事になる。大小ある血管に障害が起きれば人間は病気となる。

  組織も、気づく気づかないは別に病気となってしまう。この時気づくことができれば治療が可能だが、気

  づかないままに進行していくと、体は亡びるように組織もまた亡びる方向に向かう事になる。それほど大

  切なのが血管というパイプではないだろうか。組織で大切なのは情報であるこの情報をやり取りするパイ

  プが詰まったり、欠損していれば、情報は隅々に届かない、この時、身体であれば薬物療法や外科療法が

  施され、健康回復となるが組織はそう簡単にはいかない、しかし組織をどのように健康組織にするのかと

  いう、目標をもって時間をかけ、一歩一歩改革していく姿勢を持つことが大切なのであろう。人間も組織

  も、環境という、形が目に見えない掴もうとしてもつかめないものが、最も大切なのではないだろうか。

  人間の体に空気が大切なように、組織にとっっての環境は空気みたいなもの、この空気をどのように作る

  のか、その良し悪しが、組織の健康度のバロメーターともなろう。

   いずれにしても、身体と組織は構造的に同じようなもの、その健康には様々な立場で関心を持つことが

  必須ではないだろうか。経営者とか労働者と言う前に、体に気配りをしたいものである。、、





迷歩録  型

2015-09-24 14:42:59 | 日記
 秋夜長  一夜の恋は  蜜の味


   相手を探す  鈴虫の声

       

       ひのひら  ろくべえ





   型と言うと様々な形、型というものが存在する。平たく言えばマニアルも人るの型であろう。しかしこの型を

  マスターしたり、型にはまることが優秀とは限らない。特に日本は型というものを大事にする文化なのか、学歴

  だの、出身校だのを大切にするあまり、その人の人間力や人間性を重んじない傾向にあるように思う。

   ある国の創始者が、型にはまることが、あるいははめることが素晴らしいことではない、自分の型をつくるこ

  とが大事なのだ、若者よ真似を始めてそれを発展させ、過去の型にないものをつくれ、と国創りの時に説いたらし

  い。確かに温故知新ではないが、古きを学び新しきものをつくりだす、そんな姿勢が対人援助職には求められるの

  ではないだろうか。手順やマニアルというものは先輩たちの汗と涙なのかもしれないが、そのれをマスターするこ

  とではなく、それを基盤に発展させることこそが最も大切な方向なのであろう。そこには満足という言葉でなく、

  前進、発展という言葉しかないのではないだろうか。型にはまる、型にはまらない、どちらを選んでも自分を見

  失わないで、進むべき道をしっかりとイメージして、一人一人の人とのかかわりを学びとして重ねて行くことこそ

  対人援助の楽しさであり喜びであり生きがいなのではないだろうか。

迷歩録  多様性

2015-09-23 15:34:12 | 日記
  蟷螂や  擦弦楽器  月見かな


     秋雨隠れ  涙流すや


         ひのひら  ろくべえ



  
   
  毎日の畑通いで感じること、それが植物の多様性、条件は様々だが特別な条件でない限り、多様性を

   発揮してその場での生活を可能にする。時々マスコミでも話題になるド根性植物を見ればその多様性は

   一目瞭然であろう。この多様性というか柔軟性というか悪く言えば優柔不断な姿勢は自分御為にも、周

   りのためにも、好結果を生みだすのではないだろうかと予測する。いかがなものであろうか。

    人間は特に現代人が失いつつある精神性なのかもしれない。専門家、画一化される職業意識の中で、

   しかない事なんのかもしれないが、画一化の方向に進むのでなく専門性を基盤として多様性を持つこと

   で包容力のある奥深い人間性を持つことができるのではないだろうか。特に対人援助職を志している者

   あるいは今、その職業についている者、よく考えて多様性を持つことを考えてみては同だろうか。形あ

   るものに近づくのでなく、自らの形をつくることが大切ではないだろうか。そのためには日々多様性を

   持つという事に精神性を置き、かかわりの幅を広げることは勿論のこと、考え方理論など様々な分野を

   学びその多様性を精神的にも広げる努力こそが必要なのではないだろうか。

    自分たちの体験した学問がすべてではない、裏の学問も表の学問もある。裏の文化もあれば表の文化

   もある。この社会は平面でなく立体である。人を知り人を学ぶことを怠っては対人援助職は成り立たな

   いのかもしれない。


迷歩録  みる

2015-09-22 09:22:22 | 日記
 曇り空  萩の花揺れ  模様替え

    肌寒さ来て  夜明けの蒲団

      

           ひのひら  ろくべえ




    見るという漢字は沢山ある。同じみるでもどの漢字をイメージしてみているかで、捉えることが

   違ってくる。見る、観る、視る、看る、診る、みる、対人援助職の職場で使われるのは、観るが多

   いだろうか。観察という方法である。最も正しいように聞こえるが、観察という技術さえ確立していな

   いのに、あたかもその言葉が大通りうを胸張って歩いている。

    ただ単にみることと、観察することは違う。観察とは物事の真の姿を間違いなく理解しょうとみる事

   だそうな、この違いが解らないままに現場では観察という言葉が乱用されているのかもしれない。情報

   交換、共有が大切であると思えば思うほど、観察という所に視点を置かなければ、チームワークやチーム

   ケアと唱えてみても、その実現はほど遠く、棚の上の牡丹餅にすぎないという事にもなりかねない。

    対人援助職に携わっている職業人は、観察を今一度問い直し、みるという技術を高めたいものである。

迷歩録  あくせく

2015-09-21 14:19:10 | 日記
 風吹いて  秋桜揺れる  櫻島

    眺める二人  重なる薄


           strong>ひのひら  ろくべえ





   

   あくせくとは、心が狭く小さなことにこだわること、休む間もなくせかせかと働くことだそうな

  対人援助の職場でよく忙しい忙しいと聞くことがある。何を基準に忙しいと言ってるのは不明だの

  だが、その根底にある、あくせく働く自分というイメージが忙しい忙しいと言わせているのか、そ

  れとも、休む間もないという事なのか、いずれにしても対人援助職という職業は相手があって成り

  立つ仕事、長い間対人援助職にかかわっているが、忙しくて昼ご飯を食べれないという職場に出会

  ったことはない。忙しい忙しいという職場だが、休憩も食事もとることができる。つまり忙しい忙

  しいというのは、防衛的言葉なのかもしれない。忙しいから対人援助が疎かになる、あるいはでき

  ないことに対する言い訳なのかもしれない。いずれにしても計画的に時間配分して、突発的出来事

  にも対応できる能力を持ちたいものである。

   アメリカのジャーナリストのシドニー・J・ハリスという人の言葉に、忙しすぎるときこそが、

  休むべき時である。というのがある。多忙な時であればあるほど、むしろ休むべきである。その方

  が、心身にゆとりが持てて、効率よく働くことができるという事らしい。対人援助職で言うならば

  忙しい忙しいと思うならば休みなさい、その方が心身のコンデションが良くなりゆとりあるケアが

  できますよ、というう事になるのかもしれない。あくせく狭い心で働くという事は、ケア事態が疎

  かになりかねない。そうではなく、ゆとりを持つ努力をして、あくせくで、忙しいではなく、高度

  な技術力を持つことに力を注ぎ、忙しい忙しいを連発しない、対人援助職を目指したいものである。