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迷歩録 後生大事

2019-09-30 13:28:09 | 日記
  鱗雲  菊月晦日  暑さかな  草に覆われ  戦い挑む


                             ひのひら  ろくべえ



     残暑厳しい秋、畑は草の山、その草山に戦いどむものの、あっけなく降参してしまい程

    暑さが厳しい、明日からは十月というのに、暑さが続く南九州、南の海上には台風がいる

    季節が夏のままといった感じである。

     後生大事に持ってるものも、暑さの中に埋もれてしまい、腐れてしまう。今の時期で言

    えば、かかぼちゃである。夏にとって、どのように保管して、熟成をさせ旨味を出す時

    期なのだが、うまみどころか暑さのせいで、腐りかけている。雨か暑さかそんな日を繰り

    返す今年、野菜たちは堪えることに限界が来てるのかもしれない。

     いずれにしても後生大事にとは、未来(来世)を大事にするということらしい。そのた

    めには今、(現世)どのように生きるかが大切かという教えだそうな。

     つまり過去を大事にするのではなく将来のために今をどのように生きるかということで

    はないだろうか。コミュニケーションスキルにおいても、将来の関係をどのような関係に

    するのかということがあって、今の関係がある。

     援助の場であっても、今日の関係が明日にどのように繋がるのかということが大切なの

    である。そのような思いを持ちながらの関係性維持が、信頼という関係性をつくることに

    なるのである。今日だけ良ければというコミュニケーションでは成立しずらいという事に

    なってしまう。いずれにしても人との関係は後生大事が決め手となるのかもしれない。

    

迷歩録  こころ

2019-09-27 13:31:53 | 日記
  雲多く  秋風揺らす  柿の木や  日に日に赤く  染まり行くかな


                                      ひのひら  ろくべえ


   <strong> 爽やかな秋風が吹き抜けていく南九州だが、空は曇り空、気温は高め、なごり夏といった

   感じの一日である。

    世界にデビューした、環境大臣の発言が取りざたされている。つまり発言に、心がないと

   言った批評が多いようだが、もともと民衆を見下げた態度発言がある人、その奥に情熱も心

   も感じ取れることは少ないのではないだろうか。

    マスコミの過剰な取り上げ方で、民衆はそのことに気づかなかったのではないだろうか。

   上から目線で、大衆を捉えていること自体、心なしではないだろうか。いずれにしても心

   とは形もないものなのだが、何故だか多くの人には見えてしまう代物、この心を鍛えるには

   目に見えない所の修行と、人を尊ぶ哲学を持ち合わせていることが大切なのであろう。

    対人援助の場で、援助者の良しあしを図るバロメーターが心のありようということになる

   心を磨いて、クライアントに信頼される援助者となりたいものである。そのためには、日々の

   心の鍛錬を行う必要があるのではないだろうか。

    人を見下げたり、蔑視したり、差別するような心だけは持たない方がいい。

迷歩録 憩う

2019-09-26 12:43:12 | 日記
  下り坂  食指をのばす  落花生  子孫を残す  植物ちから


                                ひのひら  ろくべえ



     雲が多く、天気は下り坂、夕方には雨が降りだすとの予報、その雨を待つがごとく

    落花生は食指をのばし、地中へと突き刺さっていく。植物の力の凄さを垣間見る。

     子孫を繋ぐメカニズム、そのパワーに驚きを改めて感じる今日である。

     人生には憩が必要である。その憩をどのようにとるかは自分次第である。憩を上手に

    とって、充実した人生を送りたいものである。今の時代ボランテァ活動が当たり前のよ

    うに普及をしてきた。対人援助行動である。しかしこのことに迷惑がる被災者もあるこ

    とを知ることも大切である。

     多くの芸能人が、被災者を癒そうと活動して、憩を与えるのは良いことだが、与えら

    れる憩より、自ら望んで憩うことができる環境の方が大事であることも理解した上での

    活動であってほしいのである。

     対人援助という活動は、集団的であってはならない、それは人間は個人だからであらる

    援助者側の都合で、集団的援助をしようとすると、そこには矛盾が生じることもある。

    そうではなく、援助というものはもともと個人的な活動であることを知っておかなければ

    ならない。特に憩うと言った、活動は個人的な価値観なのである。そのことを理解した、

    援助というものを考えたいものである。

     被災者が憩える援助を国を始め行政機関は考えてほしいものである。

     

迷歩録 エース

2019-09-25 12:25:57 | 日記
 <strong> 中秋の  高隈麓  落花生や  うまみの時期に  収穫急ぐ


                                 ひのひら  ろくべえ



    雲は多いが秋晴れの一日である。旨味を蓄えた落花生の収穫時期、老体に鞭打ちながら収穫を急ぐ

   そのエースは、自分である。エースとは、野球の投手に使う言葉だが、時には様々なチームの重要な

   役割を担う者に与えられる言葉なのかもしれない。

    しかし、落花生取りは自分だけ孤独な作業、エースは自分なのである。自称のエースである。組織が

   あるわけでもなく、こつこつと一人で時には黙々と、時には休み休み、作業を重ね収穫をしていく。

    どのような作物であれ、育てるのは何か月もかかる、その間管理などの手間暇かけて収穫できる。し

   かし食べるのは一瞬である。その一瞬の味覚に応える味を創り出そうと農家は必至なのである。そのこ

   とを知ってる消費者がどのくらいいるのであろうか?

    食品ロスの多い時代、作物に対する感謝はどのくらい持っているのであろうか。

    一瞬で食べてしまい、旨い、まずいの二文字しか言葉を知らない、食レポをするタレントたち、食品の

   成長過程ぐらいは知っていてほしい、それこそが食レポのエースではないだろうか。味も大切だがその味

   を創り出す過程こそが、最も大切なのである。

    エース自称エース以外は、他者が認めるからこそ組織のエースなのである。そのエースは組織の隅々まで

   把握した行動をとれることが大切なのではないだろうか。今流行りの自分ファーストの考え方ではエースと

   認められるにはほど遠いようである。それなのに自称エースを唱えて、自分ファーストを唱えるアメリカの

   大統領のようになってしまえば、組織はまとまらない。大切なのは人間の集団性、このことを尊重した、他

   者からも認められるエースを目指したいものである。

迷歩録 半畳

2019-09-24 14:43:29 | 日記
  雲多く  暑さやわらぐ  秋風や  疲れを癒し  通り過ぎ行く

                                     ひのひら  ろくべえ


    昨日の晴天ほど、青空はないが、雲多き秋晴れといった感じの南九州である。木陰の涼しさは

   秋という気候を感じるに十分である。

    畦道を歩くと、彼岸花が咲き乱れている。彼岸花というと色は赤色に決まっていたが今は違うよ

   うである。黄色もあれば、ベージュ色のようなもの、白いもの等いろいろ咲いている。

    起きて半畳、寝て一畳という諺がある。人間一人が住む最低限の広さである。人を羨むことは

   ない、あくせくしないでもいいと言う事らしい。しかし人間は欲張りだから、ひろい家や場所

   を欲しがる。なぜなんだろうか。不思議なものである。

    さらには、半畳入れるという諺がある。これは他人の言動を茶化したり、非難したり野次った

   りすることを言うらしい。今の時代あまり使わない言葉だが、行動としては多い行動ではないだ

   ろうか。

    半畳入れる、半畳入れたくなる、このような想いをすることは沢山現代社会でも存在する。

    台風被害の対応、特に東電の官僚体質、東大震災の時の後始末の時も思ったが、相変わらず横

   柄な対応、さらには、新環境大臣の無責任発言、すべてが汚染水の処理ができないのに、いいか

   っこだけする発言、このような態度や発言には、半畳入れたくなるものである。、