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迷歩録  ゆきどけ

2018-03-29 11:23:15 | 日記
  朧げに  照らされ揺れる  桜木の  下でたむろう  飢えし人々


                                  ひのひら  ろくべえ




     北の国と中国の電撃的接近、南北会談、北とアメリカの会談予定、相撲協会の問題、春ともなれば

    豪雪地帯でも「ゆきどけ」が進む。世界の政治的緊張も「ゆきどけ」ムードとなり取り分けアジアでは

    そのゆきどけが急激に進んでいるようである。急激すぎると「ゆきどけ」が雪崩、洪水とならないよう

    にしてもらいたいものである。「ゆきどけ」から、雪崩となってしまうと、その危険度はとてつもない

    ことになってしまう。

     日本の政界の、森友学園、加計学園問題は「ゆきどけ」どころか、さらに頑なに凝り固まって、真

    実を明かそうとしない状況である。春なのに「ゆきどけ」をゆっくりとして、国民に信頼される政党と

    なろうとは考えないのであろうか。

     さらには相撲界の貴乃花親方の「ゆきどけ」国民にはどのように映っているのであろうか。長いもの

    には巻かれろという諺がある。長いものに巻かれた親方は今後どのように行動をするのであろうか。

     いずれにしても、「ゆきどけ」は春を呼び、春が「ゆきどけ」を呼ぶのであろうか。こじれた関係で

    あっても、いつかは「ゆきどけ」という現象を起こす。その根本は暖かさであろう。気温の上昇が「ゆ

    きどけ」という現象を起こす。

     つまり、こじれた人間関係の「ゆきどけ」は暖かさがキーポイントである。頑なに溶かす融けることを

    拒むのでなく。互いに暖かさをつくることに努力して、「ゆきどけ」を創り出すことが大切なのではない

    だろうか。

     「ゆきどけ」雪崩、洪水に注意を払いながら、「ゆきどけ」をしていきたいものである。

迷歩録  かたくな

2018-03-28 13:08:40 | 日記
  青空に  届き渡るや  鶯の  声に乗せたる  君への想い


                               ひのひら  ろくべえ




  「かたくな」とは、すなおでなく、ねじけてるさま。融通のきかぬさま。片意地なさま。劣って

  見苦しいさま。教養がなく、また情諏を解さないさま。愚鈍なさま。(広辞苑より)

  昨日の証人喚問、「かたくな」に、発言を拒否して、誰を護ろうとしているのだろうか。国民は

  その一挙手一投足を見極めている。にもかかわらず国民を敵に回しても護りたいものは何であろ

  うか。民主主義の根幹を揺るがす行為を行いながら、その真実を闇に葬る行為、官僚としてある

  まじき態度ではないだろうか。

   さらに、自民党議員の質問の可笑しさ、自民党幹部のこれで疑いが晴れたという感覚、国民感情

  とは大きくかけ離れているのではないだろうか。疑いはますます深まったという方が、的を得てる

  のではないだろうか。

   どこまで驕り高ぶれば済むのであろうか。国民は愚弄され馬鹿にされているとしか取れえること

  ができない。昨日の証人喚問で疑いが晴れたとは言い難いのではないだろうか。

   いずれにしても、証人も、自民党も仲間内で、「かたくな」に態度を変えないことが、真相究明

  国民信頼に繋がるとでも考えているのだろうか。「かたくな」は時には大切な時もあるが。間違い

  や、失敗、などマイナスな時は「かたくな」でなく、早めにオープンにして早めに非を認め、謝る

  のが常套手段である。このことを知ってか知らずか「かたくな」である。

   人はいつも完璧ではない、だからこそ、失敗やしくじった時こそが大切なのではないだろうか。

  人間関係も同じこと、コミュニケーションの参考としたい、政治劇場である。

      

迷歩録  へんげんじざい

2018-03-27 11:29:14 | 日記
  青空や  高隈煙る  火山灰  染井吉野や  朧の中に


                              ひのひら  ろくべえ





    国会の答弁も変幻自在といかなようで、政治訴追の恐れがありますから答弁は控えさせていただきます。

   この繰り返しに終始しているようだ、誰を護ろうとしているのだろうか。国民の方を向いてほしいが、そ

   うもいかないのか、国民は茶番劇を見させられているようにも感じる。

    いずれにしても、その頑固たる答弁の繰り返しで国民が納得するとでも思っているのだろうか。昨日総理は

   徹底して真相を究明して、国民の信頼を得たいと発言していたのではないだろうか。その責任は総理である自

   分にあると、繰り返していたのではないだろうか。そのことが証明される証人喚問であったのに、残念な事の

   ように感じざる負えない。

    いずれにしても、「へんげんじざい」の答弁ではなく、真逆の鸚鵡の繰り返し答弁となっていることに官僚

   の資質までもが見えてくる。

    「へんげん」(変幻)とは、姿がたちまち現れたり消えたりすること。じざい(自在)とは、束縛も支障も

   なく、心のままであること(広辞苑より)

    つまり、国会での証人喚問では、当事者たちは「へんげんじざい」な答弁をすることで、その問題の真実が

   国民に明らかになるのではないだろうか。承認も質問者である政治家も、国会劇場における茶番劇はそろそろ

   終わりにしてほしいものである。

    コミュニケーションを行う時、時に「へんげんじざい」(変幻自在)に対応をする人がいる。そのような人

   とコミュニケーションを行う時は、翻弄されずに、聴きたいこと知りたいことに焦点を当て、相手を理解した

   いという事に思いを集約しながら、コミュニケーションすることが大切ではないだろうか。

    つまり、相手に期待するのではなく、自分は何ができるかということであろう。

   「へんげんじざい」(変幻自在)とは、よくもありわるくもありなのだが、その時の状況によるのではないだ

   ろうか。

    

迷歩録  もつれる

2018-03-26 13:32:37 | 日記
  花めでる  大塚山や  絶景かな  鶯の声  平野にとどく


                               ひのひら  ろくべえ 中島みゆきさんの歌に「糸」というのがある。

    なぜめぐり逢うのかの唄いだしで始まり、縦の糸はあなた、横の糸は私、織りなす布は

    いつか誰かを暖めるのかもしれない。という歌である。とても素晴らしい感動的な歌である。

     しかし、「糸」というものは、「もつれる」物でもある。この「もつれた」糸こそ、その人

    が見えてくることがある。

     今、自民党や、国会、あるいは森友学園設立で関与した人たちの「糸」は「もつれにもつれ」

    複雑かして、司法問題、国会問題、など複雑化してしまって、人間関係は「もつれた」状態、こ

    の「もつれ」を、どのように解いていこうというのであろうか。政界だけでなく、相撲界、レス

    リング界などあらゆる場所、人間が集団で存在する所には、「もつれた」糸が存在するのではな

    いだろうか。

     このような、「もつれ」た関係を修復するには、互いに素直になり、時間をかけて第三者の介

    入を求め、第三者の平等な判断によって、少しずつ、解きほぐしていくしか方法は見当たらな

    い、一挙に解決したり、解決ばかりを急いだり、時間をかけない場合、その「もつれ」はますま

    す複雑化して、鋏で断ち切るしうか方法がなくなってしまうことにもなりかねない。

    そうなれば、縦の糸も横の糸も切られてしまい、布という形を失ってしまう。

     そうなれば、関係ないということになるが、人間はそれほど強くない。一人で生きていくこと

    はできない。そうなれば、待っているのは死である。そうならないためにも、「もつれ」を少な

   くして、「もつれたら」時間をかけて、丁寧に解くことを考えなければならないのだが、時の総理

    のように、言葉であやまったり、言葉で丁寧に、などと唱えても、実行が行動が伴なわなければ、

    誰も信用しない。支持者がいることすら信じられない。そんなことにならないためにも、「もつれ」

    というものは、時間をかけて丁寧に一つ一つを確実に解くという事の繰り返しなのではないだろうか。

     人間関係の「もつれ」も、同じこと、焦らず急がず丁寧に、互いを認め合い互いに解くことを目指

    し、より良い関係を互いに作り出すことが大切なことなのではないだろうか。

     

     

     

迷歩録  春が来た

2018-03-24 12:41:06 | 日記
   ng> 春が来た


    >温もりが懐に届く

    春が来た

    花々はこの時ばかりと

    笑い転げる春が来た

    メダカたちも温む水を喜び

    歌を唄う

    時に集団で唄ってる

    大合唱である

    春が来たと唱える

    鶯も、早朝から

    春が来たと泣き叫ぶ

    今朝は、遠くの野原から

    雉も春が来たことを告げていた

    春が来た

    禽獣草木、

    待ちに待った春が来た